KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

Amata Corporation PCL.ウィブーンクロムディット

兄の背中を追い続けて、彼はビジネスを知った。

Amata Corporation PCL. ウィブーンクロムディット
この映像・情報は 2009年6月 当時のものです

内容

簡単にはいかないビジネスの世界。彼もその厳しさを肌で知った。そこから本当のスタートがはじまり、少しずつ動き出した賢者の夢。その夢はまだまだ始まったばかり。日本人の良さを「志」と語る賢者の言葉に、改めて勇気をもらった。

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男性 1960年代生まれ 海外の会社 海外 家族

Amata Corporation PCL.

タイ最大の工業団地開発企業であるアマタコーポレーション。多くの日本企業が存在するその工業団地で快適で幸せな街づくりを目指す賢者の生き様に迫る。

氏名 ウィブーン クロムディット
会社名 Amata Corporation PCL.
出身地 タイ
出生年 1961年
趣味 ゴルフ、釣り、ガーデニング
休日の過ごし方 ゴルフ、釣り、ガーデニング
こだわり Chase a problem! I do not get away from a problem!
日本を背負う若者へのメッセージ 人生にはたくさんの希望があり、ビジネスはチャンスから始まります。そのチャンスがあるから成功できるのです。
幼少~学生時代 私の家族は非常に勉強ができる家庭でした。小学校はカンチャナブリー県のソンクロ校で学びましたが、ある年齢になると両親はバンコクで学ぶことを希望したため、幸運にもバンコクで学ぶことになりました。しかも一流校といわれるスワンクーラーブウィタヤー校でした。この学校はバンコクでも5本の指に入るといわれる学校です。この学校で5年生まで学びましたが(注:タイでは中学高校教育を1〜6学年と数える。5年生は日本の高校生。ただしいわゆる飛び級が高1以降認められるため、高2以後でも大学入試に受かればそのまま大学入学が可能)、その当時ちょっとグレてしまったんです。まじめに勉強する気になれず、遊ぶ方が楽しかったのです。そんなわけで恐らく大学入試に関しては絶望的で、どこの大学にも合格できないだろうという自覚がありました。大学に入らないなら実家に帰らなければならず、新たに復学することになりました。そしてアサンプション大学、通称ABACに入学。その後は大学で学ぶにあたり、銀行から融資を受けなくてはなりませんでした。これは両親のお金ではなく、銀行のお金を借りるということです。借りたお金は銀行に返さなければ銀行に訴えられますので、なるべく早く卒業し、良い会社に就職しようと思うようになりました。
社会人時代 タイシェル石油の契約社員として採用されました。 2年も働くとコンピュータープログラマーという仕事があまり楽しいと思えなくなっていました。商売がやりたい、旅行もしたいと思うようになり、どうせ旅行するならそれを仕事として出来る輸出入業をやることにしました。そのとき、工場の経営の話があり、その出資に誘われました。大きな決心をしたけれど成功は得られませんでした。こんな毎日が4、5年続きましたが、やがて景気が悪くなり、兄の会社で契約社員として働く事になりました。
社長就任のきっかけ 兄の会社で働く際の条件はマネージャーにしかなれないが、有能で使えると判断された場合はその仕事を得ることができる。まず低い地位のマネージャーとして働きはじめ、少しずつ昇進しました。1週間のうち6日ないし7日働きました。その努力が認められ、社長に就任しました。
就任当初 アマタナコンは、まるで日本の外にある日本のようなもので、日本のマーケットにフォーカスを合わせています。現在500以上の工場があるうちの60%、300から400社の工場が一つの場所に集結しています。アマタはとても好条件で、魅力ある土地です。そこで幸せをつかんでいただきたい。いまもこれからも変えるつもりは、ございません。
今後の目標 社会人になって考えるようになったことですが、学校を作りたいです。 アマタシティにあるスワンクラーブ校は私の母校です。私が思い描く学校は、生徒の数が50から100人程度の小規模でも恵まれない子供たちにチャンスを与えることのできる、そういう学校を作りたいと思います。私は、自分の夢が実現できると信じ、今も目標として持ち続けています。
企業名 Amata Corporation PCL.
所在地 700,Km.57,Bangna-Trad Rd.,Muang,Chonburi,2000
業種 サービス - その他
設立 1989年
資本金 10億6,700万バーツ
従業員 93名
事業内容 タイ、ベトナムでの工場団地の開発運営
URL http://www.amata.com/