KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

株式会社赤鹿地所赤鹿保生

改めて感じる社長の責任。

株式会社赤鹿地所 赤鹿保生
この映像・情報は 2011年8月 当時のものです

内容

何かを得る為に何かを失う覚悟をしなければならない。しかし社長という立場は失うものが大きすぎる。チャレンジ精神に満ち溢れる社長は数多くいるが、そのチャレンジの裏にある大きな責任は、社長を経験しないと分からない境地なのかもしれない。

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男性 1960年代生まれ 関西地方の会社 継承 挫折

株式会社赤鹿地所

建築条件がない宅地分譲をいち早く事業化するなど、常に先進的な取り組みを続けてきた株式会社赤鹿地所。常にチャレンジ精神を忘れない賢者の原点に迫る。

氏名 赤鹿 保生
会社名 株式会社赤鹿地所
出身地 兵庫県
出生年 1966年
趣味 70年代のヨーロッパ車収集
休日の過ごし方 家族と過ごす、研修講師、各種研修参加、趣味の車の部品収集
座右の銘 「凡時徹底」
心に残る本 『意志の力、愛の実力』芳村思風
尊敬できる人 松下幸之助、田舞徳太郎、赤鹿武(父)
現在の仕事の魅力と苦労 自社の開発物件(住宅地、商業施設)で、多くの人々が生活を営み、人生の多くの時間をその「安住の地」として、選んでいただくということに、何よりも遣り甲斐を感じます。だからこそ、その開発が成功か失敗かはその後の街の姿ではっきりと答えが出てしまう点が一番怖いです。だから持続可能な街づくりをしなければならないと思います。
日本を背負う若者へのメッセージ 「一度限りの人生」をより豊かなものにするかどうかは、自分自身の行動や考え方で大きく左右します。何よりも、どんな人生を送りたいか、その問いに常に自分なりの答えを持っている事です。その答えを持っていると、自分自身が何をなすべきか、おのずと分かってきます。将来の自分自身の「あるべき姿」をより強くイメージする事が自分を一番動議付けされます。自分で「アクセル」を踏まない限り、「そこ」には決して到達しません。
幼少~学生時代 1966年9月10日、兵庫県姫路市で建築業を営む両親の3人兄弟の次男として生まれました。小さいころからとにかく車が大好きで、車輪のついているものなら、自転車でも何でもとにかく運転できるものなら何でも乗りこなしました。3歳から自転車のコマを外し、両親の心配をよそに遠方の友だちの家まで遊びに行きました。小学校に上がるころには、自転車で足を地面に着かず、階段を駆け上がったり、1輪走行をしたりして回りを驚かせました。12歳になると、レーシングカートで本格的にレースにデビューし、地方選手権、17歳になると全日本選手権と将来は真剣にレーサーの道を夢見ていました。
社会人時代 1989年、大学を卒業し、大阪の大手マンション分譲会社に就職しました。当時、分譲マンション業界は不動産ブームの真っ只中でありました。マンション販売の現場はまさに戦場でした。「作れば売れる時代」であったものの、売る物件がなかったころです。そこで新人に同社の健康事業部門で販売している「ダイエットクッキー」も販売しました。日中はクッキー販売でありましたが、夜間は分譲マンションの営業をしていました。そんな中、稀に話を聞いてくれて、「週末のモデル案内予約」が決まり、課長に報告すると「よっしゃ!ようやった!」と言ってもらえ、その嬉しさは今でも忘れられないくらいであります。当時は上司に褒められる事が何よりのストロークでありました。連日夜中まで残業もしました。その結果、100数十名居る新人営業社員の中で、新人賞(新築販売1位)を得る栄誉を得ました。それはこれまで学校の成績も振るわず、カートレースでも成果を出せず引退した学生時代に比べささやかな成功体験でありました。
社長就任のきっかけ 1990年秋頃から、何かが変わってきたことを感じました。これまでのように、新聞広告などの宣伝を打っても、反響が殆どなくなっていました。まさにバブル経済の崩壊でありました。そもそもこれまでの会社の大躍進は、夢の幻想であった事が徐々に分かってきました。そして、瞬く間にマンションの完成在庫が増加し、財務内容が一気に悪化していきました。その後も次第に会社の業績は急激に悪化し、社員もどんどん辞めていきました。1991年秋、父親である武の強い勧めもあり、当時の会社を円満退職し、父の経営する赤鹿地所に入社しました。
就任当初 大手マンション会社の激戦区で働いてきた経験からギャップに戸惑う日々が続きました。そこで業務の標準化をするため日本コンサルタントに依頼し、業務フローを整理し、徐々に不動産仲介会社として、営業ノウハウ、業務の標準化もして整備され売上も徐々に増えていきました。その後、赤鹿地所を順調に成長させ、支店を増やし不動産仲介業を軌道に乗せることができました。その時マンションブームに乗った会社は販売員の増員を進めていました。しかしブームはそうながくは続きませんでした。マンションがまったく売れなくなってしまったのです。この状況になって当時会長であった父から社長を辞める旨を宣言されました。その時、20数名の社員がいたので社長になって初めて社員の生活の心配をしました。経営者として社員を不幸にしてはいけないとその時誓いました。当時、建築条件の付いてない整備された住宅用地はないのか、多くの意見が集まり建築条件のない宅地を12区画販売しました。たった2か月で完売しました。思い切って宅地開発を始めるきっかけになりました。そこから宅地開発が本格的に事業化していきました。
今後の目標 赤鹿地所の主力商品、宅地分譲「ロワイヤルガーデンズ」はここ数年、姫路市内を中心に少しずつ知名度が上がり、他社との差別化ができたと思っています。しかし、「宅地分譲」自体に特に強いこだわりがある訳ではないです。宅地分譲も、不動産買取も、店舗開発も、あるお客様のニーズから生まれた発想で、社会のニーズが変われば、また違う商品開発が必要であります。お客様のニーズに応えるには、必ず創造性を発揮し、新しいサービスを生み出すしか方法はありません。そのキーワードは社員の成長であると思います。社員の成長こそが会社が成長につながります。世の中で使われていない不動産を宅地分譲やリニューアルで不動産の新しい価値を生み出し、自分はもとより、幹部の管理力を高め、組織の力を更に発揮できる組織づくりに力を入れていきたいです。
企業名 株式会社赤鹿地所
所在地 兵庫県姫路市辻井1-1-23
業種 不動産 - 不動産取引
設立 1990年
資本金 5000万円
従業員 20名
事業内容 不動産開発業、不動産取引業、マンション管理業
URL http://www.akashika-jisho.co.jp/