KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

大日機械工業株式会社小林雅弘

人の役にたつモノづくり

大日機械工業株式会社 小林雅弘
この映像・情報は 2015年12月 当時のものです

内容

もともとモノづくりが好きで、大学では機械工学科で勉学に励んでいた賢者。しかし、ある日の特別講義の内容に惹かれ考えが変わり、そこに興味をもつ。自分の技術力で日本に貢献していくうちにどんどんモノづくりへの楽しさを見出していく。何事にも、考え・チャレンジしていく事の楽しさを教えてくれます。

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男性 1940年代生まれ 関東地方の会社 モノづくり 海外

大日機械工業株式会社

ハードウェア開発を中心としプロセス設計およびエンジニアリングの会社、大日機械工業。モノづくりを極めるための信念とは?

氏名 小林 雅弘
会社名 大日機械工業株式会社
出身地 北海道
出生年 1947年
趣味 ヨット(海技免許1級)
特技 ピアノ
休日の過ごし方 スポーツ観戦、ヨット
座右の銘 塞翁が馬
心に残る本 『大地』パールバック
尊敬できる人 野口英世
現在の仕事の魅力と苦労 時代の最先端技術に係れること。先端技術の弁筐
日本を背負う若者へのメッセージ 視野をより広く、グローバルに。
幼少期~学生時代について 父親の仕事の都合で転居が多く、何度も転校を経験しました。
小学校で3回、中学校で2回。従って、中々親密な友達が出来ませんでした。今でもその影響で、友達同士の話題作りは少々苦手です。 しかし、一旦親密になると、どこまでも親密になり、その親交は今でも続いております。
中学時代はバスケット部に属していましたが、毎年転校する為、中々レギュラーになれませんでした。今でもスポーツの話には挫折感が伴います。
社会人時代について 東芝に希望して配属された原子力事業本部は、虎の門の霞が関ビルに本部にあり、霞が関ビルは完成したばかりの日本の高層ビルの草分けで全館を覆うガラス窓からの太陽光がまぶしかったのを鮮明に記憶しております。それは、これからの自分の人生を輝かすものに思えました。導入された米国からの原子力技術の勉強に毎日没頭する日々を過ごしました。英語でのレターのやり取りも新鮮でした。日本の原発はまず米国の原子力の導入からはじまりました。そのため様々な技術打ち合わせがあり、様々な考え方、組織のまとめ方、技術の集約方法を学びました。米国GE社の原子力事業部門はカリフォルニア州のサンノゼにありました。技術課題を抱えてここに乗り込むときは大いに高揚しました。40回くらい訪問したでしょうか。
スリーマイルアイランド原発事故で米国の原発建設は中止されて以来、日本の原発建設は比較的に順調に進んだため、日本の原発技術は世界的評価を受けました。日本の最新技術を反映した、国産原発も建設され、既存の原子炉の内部を最新装置に交換する技術も開発し、実際に交換工事も行われ、そのどれにも私は関与させて頂く事ができた事もあり、楽しい技術者生活を過ごす事ができました。
就任のきっかけ 元々大手の企業で原子力事業部に所属し、担当は原子炉の設計でした。福島3号機は最初の国産炉で、当然この炉設計に携わり、以降14基の原発の炉設計に携わりました。また、新型原子炉の開発にも参加しました。
日本の原子力技術が世界最高となり、世界第二位の原発保有国になった時に、次はこれらの原発をいかにメンテしていくか、が問題だと思いました。丁度、その時に原子炉のメンテ用のロボット機器を開発していた大日機械工業の社長さんから、この会社を引き継いでほしいとの申し出でがあり、お受けしました。
就任当初について 原子炉周辺は非常に放射線が高く、近づけません。従って、あらゆる作業はロボットを使っての遠隔操作の作業になります。気中だけでなく水深30mの細かい装置の検査も行いますし、補修もします。従って、この技術は相当高度です。そんな高度な設計技術者が8人いました。そこへ、私が加わり、電力会社から、原子力安全の評価基準作成やお手伝いなども依頼され、当初から大変忙しかったのを覚えています。
企業名 大日機械工業株式会社
所在地 神奈川県横浜市西区北幸1-11-15 STビル15F
業種 製造
設立 1965年
資本金 5,000万円(2016年1月現在)
従業員 25名(2016年1月現在)
事業内容 水素・バイオエネルギー関連機器
CAE解析ソリューション
電磁誘導・非破壊検査
機械・プラント設計製造
URL http://www.dainichikikai.co.jp/