株式会社ディジテック
今村 健司

この映像・情報は 2015年1月 当時のものです

夢は社員とハワイ旅行

会社の創業期メンバーとして会社作りに参加していた賢者。そんな賢者にとって会社作りとは経営陣だけで行うものではない。社員一人一人が会社の事を考え、いち経営者として経営の意識を持ち、会社運営に関わっていく。そんな企業の姿こそ本当に強い会社であると言えるだろう。

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賢者プロフィール

氏名 今村 健司
会社名 株式会社ディジテック
出身地 福岡県
出生年 1961年
こだわり よく働き、よく学び、よく遊ぶ。
趣味 ジョギング、ゴルフ、野球、スポーツ観戦
特技 ベッドに入って3分以内で眠れること
休日の過ごし方 ジョギング、ゴルフ(練習)、家族サービス
座右の銘 失敗は成功の母
心に残る本 『これからの日本人へ』(松下幸之助)
尊敬できる人 今村 重信(父)
現在の仕事の魅力と苦労 コンピュータ、特にソフトウェアのニーズはさらに増えていきます。それと同時に技術も日々進化します。我々は常に研鑽に励み、ソフトウェアを通じて社会の発展に貢献していくことが魅力です。苦労とは思いませんが敢えて言えば、技術の進化に終わりがないということです。
日本を背負う若者へのメッセージ どんなに辛くて苦しくとも、何とか自分で考え、自らが解決しようとする。そうすれば必ず新しい道が開けてくるはずです。甘えを捨て、自らの足で立つことを考えてください。

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    小学生まではいつも外で元気に走り回って遊んでいるどちらかといえばわんぱく小僧だったと思います。小5、6年は小学校のサッカークラブに所属していました。中学時代は本当は野球をしたかったのですがなぜかテニス部へ入部し、結局何か燃えるものがなくてすぐに辞めてしまいました。高校から野球をはじめましたが、長身で左利きだったおかげで監督の目に止まり2年の夏までは投手の練習をしていました。新チームになれば自分がエースのつもりで頑張っていましたが、何せコントロールが悪く、新チームになるときに監督から投手NGの烙印を押されました。2年秋の九州大会予選は怪我で出場できず、このままでは終わりたくないという一心で投手がだめなら主軸を打つつもりで冬場を過ごしました。その結果、春からは4番を任されました。弱小チームでしたが、それでも4番を任されたことは私の人生において大きな自信となりました。

  • 社会人時代

    高校3年時の大学入試はすべて不合格でした。大学で何がしたいのかという明確な目標もなく浪人しても勉強しそうにない性格、色々思案した結果これからはコンピュータの時代が来ると考え専門学校へ行かせてもらえるよう父に相談したところ、新日鉄の孫会社がプログラマーの1期生を募集していることを知りそこを受験し合格しました。当時は半年以上の時間をかけて社内教育で技術者を養成するというすばらしい環境に恵まれ、技術者として歩み始めました。前職で17年わが社で11年技術者として仕事をしましたが、決してスマートなエンジニアではなかったと思います。常に正面からお客様と向き合い、少しでも良いものを作りたいという信念でシステム開発をしていました。また、何故かトラブルが発生すると、直接関わっていない仕事でもよく召集されて対応していました。結局最後は体力勝負、便利が良かったのだと思います。

  • 起業のきっかけ

    弊社はH8年1月に創業、私が入社したのはH9年4月です。当時、勤めていた会社を退職し心機一転新しい一歩を踏み出そうとしていた時、知人から先代を紹介されてディジテックに入社することとなりました。弊社の1年目はハードウェアの販売を主な事業としていましたが、私の入社をきっかけに事業の柱をハードウェアからソフトウェアへと切り替えました。当時の社員は4名。北九州でマンションの一室を借り、そこで受注したプログラムの開発をしていました。夜仕事を終えると酒とつまみを買ってきてみんなで飲みながらわが社の将来や希望・夢を語り合っていたことを懐かしく思い出します。それから、先代が社長を務めるのは65歳までと公言されていて、いずれは私がこの会社を引っ張っていかなければならないと自覚していたので、その心構えで経営に関わってきました。

  • 起業就任当初

    H22年から先代が会長に、私が社長に就任しました。私が社長に就任する3年前から売上げが毎年減少し続けており、危機感をもっての就任でした。また、その年の7月には会長が亡くなられ、さらに受注も大幅に減少していました。社長就任1年目に大変な試練がやってきました。このままでは会社は2年と持たないだろうと考え、目先の売上げよりも事業を継続するための施策を掲げました。①本年の決算内容は重視しない ②役員減給を含め徹底した経費削減 ③翌年の1~3月および4月以降の案件を確保 以上の3本柱でH23年度を切り抜ける一方で、H24年度からの中期経営計画を策定し、財務会計から管理会計に変え、幹部候補の社員に予算策定や売上げ・利益の管理をさせるようにしました。その結果業績も徐々に回復し、売上高もH24年度は前年度を大幅に上回り、その後も順調に推移しており、利益もしっかりと確保できるようになりました。

  • 今後の目標

    現状維持は衰退を意味します。地道に少しづつでもいいから成長を続けていきたい。そうでなければ現実問題として社員の給与を上げることはできません。今年は創立20期目の大きな節目の年となります。20年の総決算として、長年わが社を支えていただいた既存のお客様に感謝し、一層の恩返しができるように努めてまいりたいと思います。また、次10年を見据えての基盤作り、そして新しいことにチャレンジする一年とします。その中の一つとして自社製品開発グループを立ち上げ、わが社の基盤となる事業へ発展させたいと思います。個人的には、フルマラソンでサブフォー、ゴルフで70台を目指します。そのためにはやはり練習が大事、忙しい中でも『よく働き、よく学び、よく遊ぶ』を心がけ自分時間を作っていきたいと思います。

会社概要

企業名 株式会社ディジテック
所在地 福岡県福岡市博多区博多駅前3-18-28
フクオカZビル 4F
業種 情報通信 - ソフトウェア
情報通信 - 情報処理・提供サービス
サービス - 労働者派遣
設立 1996年
資本金 1,000万円
従業員 45名
事業内容 システムの企画・開発コンサルテーション、地図データベース関連システムの企画・開発
URL http://www.digitech.co.jp/

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