KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

株式会社井口機工製作所井口威佐美

全員100以上にするのが私の役目

株式会社井口機工製作所 井口威佐美
この映像・情報は 2016年7月 当時のものです

内容

「幼少の頃は内向的。」そう言う賢者だが、今の彼女からは想像もできない。一度は専業主婦という道を歩んだものの"物足りなさ"を感じていた。そこで賢者は動き出す。その行動力は周囲を引きつける魅力に溢れている。しかしそこには、"変わりたい自分"と"父の背中"が原点にある。

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女性 1950年代生まれ 東京23区内の会社 イノベーション モノづくり

株式会社井口機工製作所

「0から100をつくる」株式会社井口機工製作所。創意工夫の精神で新商品を生み出し続ける、全社を上げた取り組みに迫る!

氏名 井口 威佐美
会社名 株式会社井口機工製作所
出身地 愛知県
出生年 1955年
こだわり 謙虚さ
趣味 語学学習、ヨガ、サッカー  
特技 外国語会話、英語、韓国語、中国語 
休日の過ごし方 ヨガやエステに行く。ネットで海外の人と話をする。
座右の銘 決してあきらめない
心に残る本 『翼ふたたび』江上剛氏
尊敬できる人
現在の仕事の魅力と苦労 お客様のお困りを当社の製品で解決できたり軽減できることです。また、そのような製品の開発に携われることです。
日本を背負う若者へのメッセージ 誰にでも得意な部分と苦手な部分がありますが、得意な部分を磨き上げていただきたい、そしていつもポジティブでいてください。明るい人のところには明るい人が集まり、明るい話が自然に舞い込んできます。
幼少期~学生時代について とにかく厳格で怖い父親でした。毎朝6時には必ず起こされ勉強を見てくれました。勉強のできない子イコールダメな子でしたので、性格は非常に暗く、自分の意見など全く言えない子供でした。何とかこの環境からでなければと、小学校6年生の時に勇気を振り絞って父にお願いをして、中学から寮生活をさせてもらいました。そこから自分の意見が言える子になりました。もちろん高校、大学も実家から遠い、寮生活をさせてもらいました。中学の時に先生に褒めてもらい凄くうれしかったのをおぼてています。
社会人時代について 社会人経験はほとんどなく、卒業後は父の病院で2年ほど仕事をしましたがすぐに結婚。始めから同居しましたので毎日忙しく子育てをしていましたが、毎日の繰り返しの中で何かをしたいという気持ちが強くなり、一番下の子供が幼稚園に入ってすぐ英会話教室に通い始め、その5年後には中国語を、その5年後には韓国語を始めて今に至っております。その後地域に子供が入れる良いサッカーチームがなく、サッカーチームを作りました。そこから私のサッカー人生も始まり、今年20周年を迎えました。
社長就任当初について 10年前液晶ガラス向けのボールベアーが大ブレイクをしており、営業に出かけるよりも電話に追われる毎日でしたが、その後リーマンショックが訪れ、注文が激減し電話もならない状態になっていました。私の担当は海外でしたが、元気のないものの行けば何かしら前向きな話がありました。日本に戻ると活気がなく、動く様子もなく、リーマンだからしょうがないんだよという諦めムード。動くアドバイスをすれば、あなたは海外担当だから国内には口を出すなと言われました。こんな状態ではだめだなと思っているときに、若い従業員たちが国内営業を一緒にしてほしいと声をあげ、一緒に走り出しました。そこから新しい戦いが始まり、動いて動いて3年目ではまだ数字が出ず、しかし電話が増え展示会の誘いも増え、2年後には売り上げが当時の2倍になりその3年後に社長に就任しました。
社長就任当初について 動きとしてはほとんど変わらず動いていましたが、社員全員と話をする時間を増やしました。今でも必ず年に一度は一対一で話をする時間を作っております。私が考えている事と全く違うアイデアを持っていたりして、非常に勉強になります。
今後の目標 今まで以上にお客様の声を聞き、お役に立てるものを作っていきます。国内営業の充実に力を入れます。茨木のターンテーブル工場が8月あたりから始まる予定で動いており、タイ工場も10月から開始予定で準備を進めております。海外拠点は今はまだ三か所しかありませんが、もっと増やしていくつもりです。新商品の開発も今まで以上に進めていくつもりでいます。
企業名 株式会社井口機工製作所
所在地 東京都練馬区南大泉1-22-9
業種 製造
卸売・小売
設立 1969年
資本金 4,500万円
従業員 54名(2016年7月現在)
事業内容 ターンテーブル及びボールトランスファー製造販売。イタリア製エアー配管販売
URL http://www.isb-iguchi.com/