KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

株式会社市川建設市川誠二

愛が人を育てる

株式会社市川建設 市川誠二
この映像・情報は 2015年9月 当時のものです

内容

賢者は正直である。自身がこれまで体験した成功と挫折、全てを包み隠さずに語る。何故ならそれは、若者達にとってこれ以上ない素養になると、賢者は考えるからだ。人が夢を叶える為には目標設定が大切だと賢者は言う。「では目標を持てない人はどうすれば?」との問いに対し、少し考えた後、「愛って必要ですよね」と照れ臭そうに答えてくれた。賢者は日々、社員一人ひとりと逃げずに向き合っている。言わずもがな、そこには愛がある。

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男性 1970年代生まれ 東京23区内の会社 中退 熱血

株式会社市川建設

高層ビルなどの大型建造物の施工を主な事業とし、鳶工(とびこう)・土工(どこう)・グラウト工と、各分野に優秀な鳶職人を擁している。その背景には「人を育てる会社」という理念の下に、各種研修を通じて社員一人ひとりと真摯に向き合うという取り組みがある。

氏名 市川 誠二
会社名 株式会社市川建設
出身地 東京都
出生年 1972年
こだわり 人材育成しながら自分も育つ
趣味 サーフィン、旅行、読書
特技 麻雀、花札
休日の過ごし方 サーフィン、子供と遊ぶ、蕎麦屋に飲みに行く
座右の銘 平常心
心に残る本 『徳川家康』山岡荘八
尊敬できる人 飛田お兄ちゃん(幼少期から懇意にしている)、義父
現在の仕事の魅力と苦労 良いも悪いも自分の責任ということが社長の面白さ。苦労は苦労と思わない、過ぎれば成長材料になっている。
日本を背負う若者へのメッセージ 目標を持て、イメージは実現する
幼少~学生時代 三人兄弟の末っ子として生まれる。 順風満帆な生活とは言えなかった幼少期時代を過ごし、ハングリー精神を培った。 小学生時代はだだっ広い家に一人のことが多く、自分で目玉焼きを作って学校行ったりしていた。孤独には強くなった。 中学時代に陸上やバレーなどを経験し、柔道にハマる。高校でも柔道を続けていたが、おばあちゃんと二人暮らしということもあり「苦学は当たり前」という考えのもと、高校に行く学費は自分で払っていた。 学校に行って部活をして、その後に居酒屋でバイトをする毎日で、自分の時間も取れなかった。自分の時間も全くなく、限界を迎え、柔道をやめることになった。 学校に行く目的を失ってしまい、学校を辞めた。 高校出たところでそのまま働くのならば、「今から社会に出て実践的に働いたほうが良い」と思った。 この時に漠然とだが、「20代のうちに起業して社長になる」と決めていた。
社会人時代 バイト先では16歳にも関わらず、バイトリーダーをしていた。今でも自分の中での支えになっているくらい誇り。年上の人に指示をだしたり、我ながら凄いと思ったし、采配ひとつで周りの動きが変わるのが面白かった。 その後はお寿司屋やトラックの運転手、マルチメディアなど、迷いながらも色々な職に挑戦した。同じことをしていても、「いつか社長になる」という目的意識があると違う。どんな仕事であっても、社長になる時にも必要なスキルだと思い、いかに効率を上げるか試行錯誤した。自分がレベルアップしていくことが楽しかった。 麻雀のプロを目指していたこともあるが、成果を出さないと食べていけないので、大変だった。またトラックの運転手になった時、「働くって楽だ」と感じた。 21歳の時に兄のマルチメディアの仕事を1年ほど手伝い、お金を得たので仕事をしなかった時期があった。 その時、鳶職をしている中学の友達に会った。「若い人がいなくてつまらない、一緒にやらないか」と言われ、正直お金も困っていなかったし、やりたくなかったが日払いで良いから、と言われ引き受けることになった。
起業のきっかけ 22歳7月24日、現場に向かった。梅雨明けの初日で、気温は37度くらいだった。体力には自信あったけど、それでも厳しくて、死ぬような思いをした。帰る時には「絶対この仕事はやらない」と思っていた。家に帰ってもご飯が喉を通らないくらいだった。「もう行かない」と思っていたけど、このまま行かないのは敗北感があった。 でも、この仕事は舐めていたらできないくらい厳しいので「何か目標を立てよう」と思った。その晩に目標を立て、明日も行くことに決めた。とりあえず3年は続けて、手に職を付けようと決めた。25歳に社長業に挑戦して、もしダメでも戻れる保険にしようと思った。 何回もやめようと思ったけど、目標があるからこそ頑張れた。しかし3年続けるという目標を達成した途端、一気にやる気がなくなった。社長業をやろうと思って、先輩をたどって色々な業界の話を聞いてアドバイスを貰った。 その時に自分の現状を話すと「今のままで悪くない」と言われた。自分は鳶をやりたくない旨を伝えても、「皆やりたい仕事ができるわけじゃない、やっている仕事を好きになることも大事」と言われ、もう少しやってみようと決めた。 しかし、目標がなくては頑張れないので、今度は3年で家を建てる目標を立てた。その目標に一歩一歩近づくことが楽しかった。3年経った時に目標通り家を建てた。もう辞めて、留学をして英語を身につけてから社長に挑戦しようとした。
起業当初 今の幹部の人に「独立考えないの?やるならついていく」と言われた。独立は考えたことなかったが「そう思ってくれる人がいるんだ」と思い、海外行く前に一回挑戦してみようと思ったのがきっかけ。イメージしたことって実現するんだと感じた。今思うと、20代に社長になろうと漠然と思ったことが大きかった。 独立して3年くらい、2003年問題の影響で仕事がない時期があった。ハローワークとかに行って会社に一件一件電話して、なんとか仕事を見つけていた。遠くに行ったり安く使われたり、派遣先の人に酷い態度をされたりもした。この時期に「財産は人」ということ感じた。今の幹部6人がいてくれたお陰で、安定感はずっとあった。 会社がある程度しっかりして落ち着いたのは2004年。リーマンショックでは受入れ単価がガクンと下がってお給料を下げることになり、辛かった。業界的に先が明るくなったのは2011年。そこから今までは力強く伸びた。
今後の目標 実は第一次市川建設として1999年11月に一度独立していた。ただの金儲けになっていて「何か違うな」と思って辞めた。何がいけなかったのか考えた時、理念がないことが原因だとわかった。 そこで「人を育てる会社にしよう」という理念が生まれた。今後は人を育てていきたい。 ド素人を一人前にするための上手く育てるカリキュラムを作ったりしている。レベルの高い人も親方になれるように、資金とかノウハウとかいろんな面でバックアップしている。今までも3人くらい独立し、今後ももっと排出したい。 学歴や地位がなくても腕一本で社長に上り詰められる業界ということを教えたい。 「リクルート」というワードは元は社名、今は就職とか転職の意味を持つ。 同じような感じで、鳶で独立することを「イチケン」って呼ばれるくらいにしたい。 建設業界の構造を変えて、鳶連合のようなものを作るのが夢。社長をいっぱい育てたいのはそういう目的もある。
企業名 株式会社市川建設
所在地 東京都大田区中央3-18-25
業種 建設
設立 2004年
資本金 1000万円(2015年7月現在)
従業員 64名(2015年7月現在)
事業内容 建設業、足場・鉄骨・PC・クレーン・エレベーターの組立等、掘削およびコンクリー工事
URL http://www.ichikawakensetsu.com/