KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

松山土建株式会社田之内裕

老舗の重圧と挑戦

松山土建株式会社 田之内裕
この映像・情報は 2013年8月 当時のものです

内容

地方都市でおよそ十数億を売り上げる松山土建。その数字を維持するのは容易い事ではない。その偉業を継続しているのが、賢者だ。維持することの大変さと信頼を得る事の難しさ。今日も、失敗と経験を繰り返しながら、頂上の無い山を登っている。

関連タグ
男性 1960年代生まれ 四国地方の会社 継承 老舗

松山土建株式会社

およそ60年続く老舗企業 松山土建。三代続く、その秘訣とは?

氏名 田之内 裕
会社名 松山土建株式会社
出身地 愛媛県
出生年 1967年
こだわり 成し遂げようとする物事に完璧はない、人は幸せについてくる
趣味 旅行、落語、音楽鑑賞、読書
特技 一度会った人は、かなり覚えていること
休日の過ごし方 ランニング、ゴルフ、読書、映画
座右の銘 『粉骨砕身』
心に残る本 「自助論」(サミュエル スマイルズ)、「7つの習慣」(スティーブン・R.コヴィー)、「孔子、人間、どこまで大きくなれるか」(渋沢栄一)
尊敬できる人 小宮一慶氏、本田宗一郎、竹内均
現在の仕事の魅力と苦労 関わる人を幸せにできる自由度が大きいことです。特命受注で見積もってみたら大幅な赤字だったことです。先代(父)との関係です。
日本を背負う若者へのメッセージ 神は、人に能力を均等には与えなかったかもしれません。しかし、正しい努力を継続すれば、自分で思っていた以上の自分になれると信じております。先が暗い世の中かもしれませんが、自分を高める気持ちを失わず、並みの人ではできない仕事ができるように、向上心や熱意を持ち続けてもらいたいと思います。
幼少~学生時代 幼少期は比較的、おとなしかったと認識しています。小学校3年生のときに、担任の先生受け持ち部と母の意向でサッカーを始めることになりました。5年生のころ、走るのが早かったという点を買われてか、選抜チームに参加しました。そのときのコーチの影響で、果敢に飛び込む姿勢が芽生えました。ときを同じくして学校の成績が低落傾向になりました。家庭教師をつけてもらい、たまたまいい人だったので、学業的な落ちこぼれを回避することができました。勉強するのが好きになるときもある自分を発見しました。高校に入って1年生の1学期、それまで得意だった数学が嫌いになりかけてましたが、何とか奮起し、ついていけるレベルまで回復しました。大学受験は1年目は全敗し、浪人しました。この1年間は継続的に人生で最も勉強した時間でした。大学に入ってしばらくは気遅れして、友達もなかなかできませんでしたが、ドイツ語で一番の成績をとったことと、上京してきた父から「飯食わしてやるから友達を読んで来い」と言われて、影の薄い存在から抜けることができました。2年生になるとサークルにも入り、付き合いや親睦ため麻雀も覚え、勉強しようという意識は薄れていました。3年生になり、父から旅行に行って来いと言われました。これにはハマってしまい、今日まで継続しています。訳あって長い学生時代を過ごしましたが、最後の1~2年にかけて自己啓発や自己を鼓舞するような本を読むことに時間を振り向けるようになりました。代表的なものがプロフィールにでました本田宗一郎に絡んだものや竹内均さんが出版、翻訳したものです。このことがそこそこ真面な人間になる素養の始まりになったものと考えています。
社会人時代 他社で働いた経験はありません。自分が技術的背景がないため、そして後に社長となるとみられていたこともあり、これと言ってすることもなく、ほったらかされていたという感じがします。学生の終盤期に体調をくずし、会社も休み気味でした。初めて存在意義を認識できたのは、当方とクライアントの現場レベルの書類のやりとりがクライアントの上層部から問題ありと目をつけられ、謝罪に行くときのことです。現場に関わりの浅い私でしたが、社長の息子があやまりに来たということか、通常の範囲のお叱りでことが収まりました。このとき、良くも悪くも周囲の私への期待を垣間見ることができました。また、目先の嫌なことから逃げないことの意義も感じることができました。
就任のきっかけ 平成13年3月の芸予地震。その年の正月に、3年後には交代するぞと父と認識を合わせていましたが、なぜか急に決算月に合わせ5月に就任することになりました。「1月の約束が・・・」と思いましたが、「父が戻ったときは祖父はすでに亡くなっていたから、それに比べれば恵まれているほうだろう」「全ての条件が揃うことを待っていては事は成し遂げられない。また「自分には時期早尚です」という理由に逃げている自分がいると思ったこと」「予定との時期的誤差」ということかと認識しております。
就任当初 就任当初は、特段大きな役割をになっていたこともなく、スムーズに踏み出せました。数か月たってから銀行融資の切り替えが進んでいないことが発覚しました。これは支店長の案件に対する好き嫌いが原因でしたが、取引店では上位2社に入ると、持ち上げておきながら、この人にはその他にも悶々と我慢を強いられることが少なからずありました。続く2代の支店長にも、銀行の傲慢さを感じさせられる苦々しい事がありました。就任から2~3年を経たころに特命での受注が出来たのですが、ふたを開けてみると1000万単位の赤字が発覚し、キャンセル自体ができるのか、それとも出血しながら工事を行うのか、苦しい日々を送ったことがありました。結果的には許容範囲内での赤字に収まりました。それまではお付き合いの深い方からの特命受注は意気に感じて受注していましたが、これ以来、とにかく見積もりをしてからという慎重なスタンスをとるようになりました。
今後の目標 目標というより、追いかけ続けるテーマといったほうがいいと思いますが、これまで通り、一度接点を持つことができた顧客には、また頼むときは、この会社だなと思ってもらえるくらい良い仕事をすることです。また、メンテナンスをしてくれない車は買い難いように、後のリフォーム、修繕をしない住居や施設は買い難いという点は、自負ではございますが、当社のいい体質を維持していくことです。また、その他にも「顧客のお困りごとを察知する感性を磨き」「その解決方法を、機能、耐久性、グレード、予算、工期等に応じて複数提案できるようになるべく、日々わずかでも前進し続けていくこと」です。地味ながらも日々個人の能力と視野を広げて社会におけるプレゼンスをあげていきたいと考えております。言うは易し、行うは難しです。
企業名 松山土建株式会社
所在地 愛媛県松山市辻町3-6
業種 建設
設立 1958年
資本金 4800万円(2013年8月現在)
従業員 34名(2013年8月現在)
事業内容 建築工事業、とび・土工事業、土木工事業、管工事業、水道施設工事業、不動産賃貸業、宅地建物取引業
URL http://www.egao-md.co.jp/