KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

上海裕生企業発展有限公司倪思礼

一生懸命

上海裕生企業発展有限公司 倪思礼
この映像・情報は 2010年4月 当時のものです

内容

誰よりも熱心で、誰よりも前向きな賢者。その人並みはずれた努力と言う才能は幼少期に思い描いていた強い志の表れだった。貧しい環境の中、生き抜いていく為の賢者の手段。それは「一生懸命」。

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男性 1940年代生まれ 海外の会社 海外 貧乏

上海裕生企業発展有限公司

コンセントやケーブルを製造・輸出する上海裕生企業発展有限公司。貧しい幼少期を過ごし、見事企業のトップとなった今、賢者が見つめる先には何があるのか?

氏名 倪 思礼
会社名 上海裕生企業発展有限公司
出身地 中国
出生年 1945年
趣味 仕事、読書
休日の過ごし方 仕事
座右の銘 「卓越を追求する」
尊敬できる人 鄧小平
現在の仕事の魅力と苦労 仕事自体が魅力です。
日本を背負う若者へのメッセージ 現在の若者は私たちの世代に比べて良い環境に恵まれています。だから、諦めずに一生懸命を頑張れば、きっと成功すると思います。
幼少~学生時代 子どものころは大変貧しい生活でした。祖父と父は医者でしたが、ご飯も満足に食べられませんでしたね。そのために羊や豚を飼育して生計を立てたりしていました。時には野草も食べました。それでも将来は起業をして、何かすごい事をしようという何か野望のようなものは持っていました。
社会人時代 1971年に中学校を卒業した後、田の仕事や豚・牛の飼育を経験し、町のレンガ工場に入社しました。初めはもちろん平社員でしたが、半年後には責任者である工場長になりました。その後その工場には7、8年務めていました。しかし、レンガ工場は仕事がきつい上に、利益も少ないというのが実情で、それを何とか解決したいと思っていました。そこで仲間と市場調査を行い、ケーブルとエナメル線の製造を始めようという流れになりました。
社長就任のきっかけ 当時は国営の工場だったので、工場長が現場の最高責任者でした。その後、国の方針で工場が国営でなくなった時にそのままこの工場を引き継ぐ形になりました。
就任当初 当初は市場開発が重要だと考えていました。当時は計画経済だったので、機械・設備に関する事はすべて国がコントロールをしていました。そこで上海機械・電気設備会社にいる同じ崇明出身の方を紹介してもらい、その彼を尋ねました。しかしながら、私が農民ということで会社の役人にはまったく相手にされませんでした。私は諦めずに50回以上彼の元を訪ね、やっと取り合ってもらえるようになりました。当時は車がなかったので、新しい靴底に穴が開くぐらい歩きまわっていましたね。
今後の目標 目標は「百年裕生」です。100年後も存在する会社でありたいと思っています。具体的には今までの経営は労働力に頼っていましたので、これからの経営は技術や知識に重心を置いていきたいと思います。
企業名 上海裕生企業発展有限公司
所在地 上海市崇明縣陳家鎮北陳公路717號
業種 サービス - コンサルタント
設立 1979年
資本金 5000万元
従業員 800名
事業内容 エナメル線、絶縁ケーブル、プラグなどの製造
URL http://www.shanghai-ys.com/