アスカ工業株式会社
山田 勝雄

この映像・情報は 2010年12月 当時のものです

日本文化を守る

「日本の伝統文化を守り続けたい」そう語る彼の職業は瓦屋。古くからの匠な職人芸で伝統建築物に命を宿す職業である。そんな彼の社会人スタートは社寺建築を専門としている会社だった。次第に独立を意識し始め、賢者は、業界の衰退を物ともせず前進する。H26年の11月3日には叙勲旭日小綬章(専門工事業復興功労)を受賞するなど、日本の文化を絶やさない業界の牽引者として賢者が果たす役割は大きい。

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賢者プロフィール

氏名 山田 勝雄
会社名 アスカ工業株式会社
出身地 滋賀県
出生年 1944年
こだわり 待ち合わせ時間には必ず早く行くこと
趣味 スポーツ観戦、読書
休日の過ごし方 読書、散歩(ぶらぶらと)
座右の銘 「努力、忍耐」
心に残る本 『日本の品格』鈴木邦男
尊敬できる人 田中角栄(努力を重ねて地位を築いていった過程)
現在の仕事の魅力と苦労 仕事の魅力は工事が進むにつれて変化していく現場を見届けられることですね。完成して良かった事、悪かった事を次に繋げることが重要だと思っています。
日本を背負う若者へのメッセージ 現在の若者の皆さんは物事を安易に考えているように思います。分想応に考え、向上心を持って努力することが大切です。

賢者ヒストリー

  • 幼少~学生時代

    小学校の低学年時代はやんちゃ坊主でいたずらを繰り返しては、先生に怒られていました。この時代は春や秋の農繁期のときは学校が3日ほど休みになり家の手伝いをしていました。当時、中学校を卒業すると約60%が就職をし、その他は訓練校へ就職、残りの少ない人が高校へ進学していました。大学に進学したのは、高校卒業者の10%あるかないかの時代でしたので、高校まで卒業させていただいた私は親に大変感謝しています。高校時代に、現在の地位のきっかけを作ってくれた人物がいました。先生から就職の案内を受け取った彼は「就職先がきまっているので、まだ決めていなければどうだ。」と私にその先を譲ってくれたのです。その方のおかげで今の私の地位はあると言っても過言ではありません。今も家族ぐるみでお付き合いをしています。

  • 社会人時代

    社会人になってからは、職人の社会的地位の向上に努めました。具体的には、賃金に関して日当が当たり前だったのを年収という概念にシフトさせていきました。また、若年層のときは賃金が高いが、中年以後賃金が上がっていかないことに疑問を抱き、解決を目指しました。

  • 起業のきっかけ

    入社して12~13年ころから、自分自身の考え方・生き方と向き合うようになりました。つまり利益追求だけではなく、後世に残る仕事や技術者の待遇改善など、社員として働いていたのでは難しいところが生じ、入社15年目に会社の設立を決意しました。

  • 起業当初

    アスカ工業株式会社という会社をどのようにして設計者や建築業者に分かってもらうかなど、PRのやり方が分からず自社の施工実績がないため、信頼をいただくかには苦労をしました。受注するたびに誠心誠意の努力を繰り返し、人との出会いも多くなり仕事量も増えて実績も増えていきました。お客様がお客様を紹介してくださり、施工後の評判も良く、次につながって城の受注にも続いていきました。人のご縁と職人の技術に助けられて幸運に恵まれた結果です。

  • 今後の目標

    会社を大きくする事も大事だと思いますが、今の世情からすれば安定第一とも考えられます。あらゆる状況下でも生きていける会社作りが必要になってくるでしょう。それには誰からも信頼される事が必要不可欠になります。お客様のニーズに応えられる十分な体制作りが必要だと考えています。H26の11月3日には叙勲旭日小綬章(専門工事業復興功労)を頂きましたが、業界の使命として、物作(技術の伝承)、街造り、国造りの景観のため屋根瓦は一役を担うものと認識しています。

会社概要

企業名 アスカ工業株式会社
所在地 東京都江東区森下4-13-10
アスカビル
業種 建設
設立 1977年
資本金 1000万円
従業員 10名
事業内容 屋根瓦工事(城閣、社寺、一般の瓦工事請負、特製瓦製作、施工)
URL http://www.asuka-kougyo.co.jp/

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