サンティニ・グループ
ソフィアン ワナンディ

学生から政治家へそして今は…

かつては学生運動に参加。本気でインドネシアを変えたいと願った。やがてその想いから政治家の道へと進んだ。異色の経歴を持つ賢者が叶える革命への道とは?

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賢者プロフィール

氏名 ソフィアン ワナンディ
会社名 サンティニ・グループ
出身地 インドネシア
出生年 1941年
趣味 マネジメント
休日の過ごし方 家族と過ごす
座右の銘 「Work Hard」
尊敬できる人 スカルノ元大統領
現在の仕事の魅力と苦労 人々に貢献できる事業が展開できること。
日本を背負う若者へのメッセージ 日本の若者には、インドネシアが日本に対して好意的だということを知ってほしいです。インドネシアと友好な関係を続けてより強力なパートナーとして是非インドネシアに来てもらって、よりよい世界を一緒に作り上げたいと思っています。

賢者ヒストリー

  • 幼少~学生時代

    1941年、西スマトラのサワルントに生まれました。私の祖父は、オランダがインドネシアを占領した時代に、ウンビリン炭坑の供給者として仕事をしていました。父は祖父の仕事を続けていましたが、インドネシアが独立した後、パダンへ渡りました。幼少期は、家族と共にパダンで過ごしました。高校になると、ひとりでジャカルタに移動しました。私は寮に入り、そこで高校を卒業し、パジャジャラン大学で勉強しました。そして、インドネシア大学に移動し、実業家を目指していた私は、経済学部を専攻しました。

  • 社会人時代

    1965年の学生運動で、学生が積極的にインドネシアの政治に参加し始めていました。そこで私はカトリック学生会になりました。1966年にスカルノ大統領の旧秩序体制に立ち向かうためのデモ運動をリードして、国家の状況を治すために、ジャカルタの学生たちと活動したのです。当時インドネシアの経済状況はとても悪く、インフレが65%を達成していました。その状況を治すつもりで、政治家としてのキャリアをスタートさせました。

  • 起業のきっかけ

    1967年から10年間、議会のメンバーになり、国民協議会のメンバーを務めました。私は1967年から1977年まで政治家をやり、その後ビジネスの世界へ入りました。その時、一緒に仕事をした方が日本ととても良い関係を持っていました。そのころ私は、インドネシアの投資を計画している日本の企業を知って、誘致しようと思っていました。数社の日本企業がインドネシアのビジネスパートナーを探しており、その会社がパートナーとして選んだのが私でした。そして、現在に至るまで、日本とインドネシアのたくさんの企業の足掛かりとなってきました。インドネシアの経済も発展し、たくさんの日本企業と様々なかたちで協力し始めました。この仕事を30年以上やったことで我々は利益を得ることができました。国家のために社会的な責任を持つことが、より早くビジネスを発展できるのです。

  • 起業当初

    そして、現在に至るまで、日本とインドネシアのたくさんの企業の足掛かりとなってきました。インドネシアの経済も発展し、たくさんの日本企業と様々なかたちで協力し始めました。この仕事を30年以上やったことで我々は利益を得ることができました。国家のために社会的な責任を持つことが、より早くビジネスを発展できるのです。

  • 今後の目標

    目標は自国のリーダーとして国際的に競争できる社会を作ることです。まずはインドネシアの経済に認めてもらい、そして世界へ舞台を移すことを考えています。

会社概要

企業名 サンティニ・グループ
所在地 Jl. Taman Kebon Sirih II/7Jakarta
業種 サービス - コンサルタント
不動産 - 不動産取引
その他
従業員 10,000名
事業内容 自動車部品製造、不動産、出版などをマルチに展開するホールディング会社

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