PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 能作 克治 |
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会社名 | 株式会社能作 |
出身地 | 福井県 |
出生年 | 1958年 |
こだわり | すべてにこだわらない事 |
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趣味 | 映画鑑賞、仕事 |
特技 | 手づくりベーコン |
休日の過ごし方 | 休日用の仕事 |
座右の銘 | やがていつかは身も軽く、こころ楽しき朝が来よう |
心に残る本 | 「道をひらく」松下幸之助 |
尊敬できる人 | 笠原 他喜雄 |
現在の仕事の魅力と苦労 | 魅力は鋳物と言う解けた液体の金属から有形の製品を生み出す「ものづくり」にあります。販路拡大により異業種とのコラボレーションも人との出会いを含め魅力となっています。苦労はありません。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 過ぎたことをくよくよしても時間は戻りません。未来を深く考えすぎてもどうなるものでもありません。現在それぞれが置かれている立場に最善を尽くし、今を大切に生きましょう。前進あるのみです。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
幼いころは進んで人前に出る活発な性格ではありませんでした。近所には女の子が多く、遊びといえば「おままごと」「お絵書き」と女性のかしましさに負け、無口で恥ずかしがり屋であったと思います。この性格が変わったのは大学時代です。芸術系の大学に入り写真を学びました。様々な個性を持つ学生が多く、私も長髪にし、毎日麻雀、競馬とわずかな仕送りの中で遊ぶことを優先にした生活を送っていました。自然と多種多様な友人も増え、この時に人間関係を学びました。根底にあるおとなしい性格から、人の話をじっくり聞ける人間、聞き上手になったようにも思います。大学はかろうじて卒業できました。
新聞社勤務を経て、結婚を機に今の職業に就きました。もともと「ものづくり」に興味はありましたが、突然職人の世界に飛び込んだのですから戸惑いも多く、無我夢中で技術を覚えました。富山県では県外出身者を「旅の人」と呼びます。伝統産業高岡銅器、創業100年といった企業が多い中で「旅の人」である私には同業者には絶対に教えない技術技法を沢山の人から教わる事が出来ました。技術をある程度修得した入社10年目にある決断をしました。伝統産業は分業で成り立っている産地が多く、高岡も例にもれず分業であり、当社も生地(着色前の状態)の工場としてほぼ100パーセントを産地問屋に依存していました。技術を売る仕事として実際に製作した製品の定価、売先さえわかりません。産地問屋以外の販路を持たず、販売する商品もない当社にとってはゼロからのスタートとなりますが、「ユーザーの顔が見たい」この思いから商品開発、販路拡大に乗り出しました。
世襲制により、2003年 能作5代目社長として就任しました。
私が社長に就任した時、これから行う商品開発、販路拡大に向け2つの誓いをたてました。一つは分業で成り立つ産地において、産地問屋が持つ流通チャネルとは直接の取引はしない。もう一つは県外に販売する商品はすべて新規に自社開発した商品のみで行うということです。この事により大きなトラブルもなくデザインと素材をキーワードに、現在100アイテム県外250社との取引をすることができ、就任当時の県外売上比率5パーセントが、現在は55パーセントになっています。また、当社には営業ポジションがありません。しいて言うなら私が社長兼営業であり従業員ほとんどが職人です。伝統の技術には職人それぞれにこだわりがあります。決して大量生産はできませんが、クオリティーを重視した商品をほしい方に販売しています。技術と職人のプライドにより当社は成り立っています。
私は高岡で沢山の人と出会い、沢山の事を教わり今に至る事が出来ました。現在も地元の小中学生にこれからの伝統産業を伝えるために工場見学を受け入れていますが、伝統産業の根底にある危機は産地に仕事が減り、優れた技能を持つ職人が減っていくことにあります。今後も高岡の技術を発信し、より多くの仕事が高岡に集まるよう産地の活性化のため努力していきたいと思っています。また、今年はフランスの見本市に出展しますが、世界に通用するブランドになるよう新しいチャレンジを始めようと思っています。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社能作 |
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所在地 | 富山県高岡市戸出栄町46-1 |
業種 | サービス - コンサルタント |
設立 | 1967年 |
資本金 | 1000万円 |
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従業員 | 23名 |
事業内容 | 銅、錫製品製造企画 |
URL | http://www.nousaku.co.jp/ |