氏名 | ジミー マスリン |
---|---|
会社名 | 株式会社ラウタン・ルアス |
出身地 | インドネシア |
出生年 | 1963年 |
趣味 | ゴルフ、エクササイズ、スポーツ |
---|---|
休日の過ごし方 | 家族と過ごします。 |
座右の銘 | 整合性、あきらめない事、神を信じる事 |
尊敬できる人 | 父、マザーテレサ |
日本人が海外で成功するためのアドバイス | インドネシアの市場はすごくオープンでフレンドリーです。歴史から見ると海外から来た多くの商人が成功しています。インドネシアの文化や人々は馴染みやすいと思います。特に日本人は似たような空気がありますので、すぐに入り込めるでしょう。夢をかなえたいのであれば是非インドネシアに来てください。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | あきらめない事です。成功者になるためには努力と我慢することです。後は運ですね。you have to be in the right place and the right time. (その時にその場所にいる事が大事です) |
インドネシアで生まれました。父は中国出身でマレーシアへ渡り、その後インドネシアへ渡ったのは1940年代頃です。インドネシアで父は仕事で布や繊維の色素の輸入等を手がけていました。バティックの工場等に染色剤を卸していました。幼い頃から父の会社によく遊びにいって見学をしていました。当時マレーシアの本社はインドネシア(国自体)をあまり信用していなかったので、会社はインドネシアに引き払う事になりましたが、父はそのままインドネシアに残り、この事業を受け継ぎました。そこから会社を興し、ラウタン・ルアス設立に至りました。
オクラホマで大学を卒業してアリゾナのサンダーバード大学で大学院を卒業しました。その後、シカゴでコンピューターのハードウェア会社で勤めていました。当時は、まだインドネシアに帰るつもりはありませんでした。一人で生活できる事がすごく楽しかったのです。しかし、親から「インドネシアに戻って事業を手伝ってほしい」とお願いされて、インドネシアに戻る事にしました。
90年代初めになりますが、当時経理の仕事をまかされていました。その時私はアメリカとインドネシアとのビジネスに対するプロフェッショナリズムの違いを目の当たりにしていました。これが今後この事業を大きく変えるきっかけになりました。当時の事業は成長はめざましかったのですが、システムと手順マニュアルが全くありませんでした。私は新しい挑戦としてこのビジネスを拡大しようと思いました。
就任当初、2つの問題を抱えていました。1つはファミリービジネスという経営問題と、システムが無い会社だったという事です。これは大きな問題でした。この事態をどう変えようかと頭を悩ませていました。当時兄の一人がすでに会社でセールスとマーケティングを担当していました。兄と私は2人でスイスへ渡りIMD (Lausanne「ルザーン市」にあるグローバルビジネススクール)に留学しました。そこでHOW TO LEAD A FAMILY BUSINESS (ファミリービジネスの経営術)を学びました。アメリカとインドネシアのビジネスの仕方の違いから意見の相違がしばしあったのですが、留学をきっかけに2人ともだんだんと意見が合うようになり、今後の会社のビジョンも見えてきて仕事が捗りました。
私の夢は次の世代へ生き残る事です。現在は上場企業になっていますが、次のステップはメンテナンスです。この状態を維持してまた前に進むチャンスがありましたらもっと前へ進もうと思います。もっと企業を拡大するには、会社の柔軟性が必要になります。大きな企業であっても条件によって判断や状態を変える事ができるのが理想です。すべてのビジネスがこうであるべきだと考えています。
企業名 | 株式会社ラウタン・ルアス |
---|---|
所在地 | Graha Indramas, Jl.Alp II K S Tubun Raya No.77 |
業種 | その他 |
設立 | 1951年 |
従業員 | 500名程度 |
---|---|
事業内容 | 化学薬品の製造、販売及び企業投資 |
URL | http://www.lautan-luas.com |