氏名 | 益田 修一 |
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会社名 | 株式会社益田建設 |
出身地 | 長崎県 |
出生年 | 1947年 |
こだわり | 何事も途中で辞めない |
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趣味 | 持馬の出走観戦 |
特技 | 悩みは深くても立ち直りが早い |
休日の過ごし方 | 休日はほとんどなく、仕事が楽しい |
座右の銘 | 常に全力投球 |
好きな食べ物 | 故郷の辛子明太子 |
尊敬できる人 | 笠原勇進。自分には大変厳しいが、他人には寛容 |
私が小学校に入学する直前、父親が事業に失敗し破産。小中高大と生活費・授業料の為、遊ぶ暇もなく様々なアルバイトの経験をさせて貰いました。また、生活保護のお世話になり感謝しています。何事にも負けないという精神力はこの頃のおかげだと思います。
1970年設計事務所に入社。当時日本住宅公団(現:UR都市機構)に委託されゼネコンの施工の監理をしていました。入社したてで建築の知識が乏しいのに工事の検査、承認等に携わることに違和感を感じました。しかし自分の将来に疑問を抱き、責任者であった上司に誘われて1973年に小さな建築会社に転職しました。社員の数が少ないもので建設に関わる事、設計、積算、構造、木造、RC鉄骨、2日連続の徹夜も平気でこなしていました。また、休みもほとんど無きに等しい状態でした。しかし、自分の居場所を見つけ、仕事が楽しかった。この時の経験が先の会社経営に大いに役立ちました。
創業のきっかけは勤めていた会社が倒産したことでした。その時親会社の役員から、協力するから独立し今までの建築物のメンテナンス管理をするようにと強く薦められました。私は会社を設立する意思を固めました。しかし、3ヵ月後会社設立の挨拶に行くと、代わりの業者が見つかったからと門前払いされ、悔しい思いをしました。人を頼るのではなく自分自身が切り開くものだと痛感しました。この時色々と相談に乗ってくださったのが笠原勇進氏でした。笠原氏は自分には厳しく人には寛容で、この人の後姿を見ながら頑張っていこうと心に思いました。本当に尊敬できる人が身近に居たことが幸運でした。私の次男は笠原氏の名前を頂き、益田勇進と名付けました。
長年建築業界に身をおいて、特に木造住宅業界は立遅れた業界だと思います。知識が無くとも異業種から簡単に参入、積算も出来ない、納まりも分からない現場監督、今のままではますます技術の低下が顕著になってきます。今、続々と立てられている木造住宅が多くありますが、もし首都圏直下型地震が起きたらどうなるのかを想像すると背筋がゾッとなります。教育の大切さを痛感し、早稲田大学の髙口教授が代表理事である(一社)工務店フォーラムに理事として参画し、工務店の教育や意識の底上げに研さんしています。
建築会社は完全に後継者に任せ、工務店フォーラムの活動に専念をしたいです。工務店の経営指導・工務店の技術のレベルアップ・住宅購入が安心して安全な住居を購入出来るシステム(エスクロー)・耐震性能の更なる向上です。
今の世の中あまりにも便利に出来過ぎている。あまり考えなくても答えの道筋が立っているように思います。私達の時代は自分自身が考え、経験し、模索し結果を出すことから始まりました。しかし、今の世の中捨てたものではない。ビジネスチャンスはたくさんある。自分たちが見えないだけで多くのチャンスを見逃していると思います。多くの応援団、協力者、人間関係を充実させることにより、より多くのチャンスが見えてきます。
企業名 | 株式会社益田建設 |
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所在地 | 埼玉県八潮市緑町5-29-32 |
業種 | 建設 |
設立 | 1977年 |
資本金 | 8,695万円(2019年9月 現在) |
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従業員 | 55名(2019年9月 現在) |
事業内容 | 総合建設業 |
URL | http://www.masuda-inc.co.jp |