氏名 | 有井 清 |
---|---|
会社名 | 株式会社ヨコレイ |
出身地 | 神奈川県 |
出生年 | 1967年 |
こだわり | 体に合った服と靴を身に着ける。 |
---|---|
趣味 | ゴルフ、クルマ、バイク、つり |
特技 | 魚の年齢を数えられる。 |
休日の過ごし方 | ゴルフ、自宅の掃除 |
座右の銘 | 真摯 |
好きな食べ物 | ゆでたまご |
尊敬できる人 | ピーター・F・ドラッカー |
小さな頃は身長が低くて整列順はいつも先頭。外で遊んでばかりで、年中日焼けしてました。幼稚園の年長の時は物語の主人公の名前「ちびくろさんぼ」と言われてました。小学校の入学式では「1年1組ありい」ということで、新入生代表で登壇しました。おそらくあれが、人生で最初に大勢の人前に立った経験だと思います。小学校の6年間は皆勤賞には及びませんでしたが、冬でも短パンで通学するくらい元気でした。中学生になると身長が急に伸び始め、整列順も徐々に後へと移動していきました。ちょうど私達の時代は校内暴力が社会問題になり始めた頃でした。一方で体罰も普通に行われていて、現代の子供やその親御さんからしたら信じられないような環境での学生生活でした。でも、そのような中での経験が、「理不尽なこと」への耐力を鍛えてくれたのかもしれません。父は毎日忙しくしており、ほとんど休んでいなかったように記憶しています。帰宅はそんなに遅くなく、晩酌は毎日。しかし、完全なオフの日は無かったように思います。お客様からの修理依頼の電話が夜に掛かってきたことが何度かありました。ボイラーか何かの修理だったと思いますが、都度、父が出かけて行ったのを覚えています。その姿を見て、「そういう仕事」あるいは「仕事とはそういうもの」といった職業観を持ちました。
大学卒業後、水産商社に入社しました。父が元々会社を営んでいたこともあり就職活動をする際は、色々相談することもありましたが、父は「好きな事をしなさい」と大学でも専門的に学んでいた水産関係の会社に勤めてました。当時、バブル全盛期ということもあり、友人、知人の話から色んな世界を見てみたいという思いから、会社を退職したタイミングで父からの誘いを受け最初はアルバイトのつもりでヨコレイに入社しました。
家業に入ったタイミングで、既存の社員の方々から「2代目が来た」という見られ方をどうしてもされました。自分自身はそんなつもりはなくても、社長の息子という事で当然の見られ方だったと思います。当時のヨコレイは規律も緩く社員のモチベーションや仕事への意識も高いとは言えず自分自身もその環境に一時期慣れてしまった事がありましたが、30歳を過ぎた頃ビジネスセミナーに参加し、参加されている方々の思いや意識に感銘を受け、仕事に対して初めて自分を律するという事を学び父からのバトンを受け取りました。
空気調和設備、換気設備、冷媒回収の施工・メンテナンスをメインに「設備」によって、お客様に「快適な空間」を提供しております。計画=設計、実現=施工、維持&復旧=サービス として私たちの主要業務としており、私たちの「技術」により客様の望まれる「環境」を届け安心して生活して頂くことが一番の思いです。
お客様にとって便利な存在でありたい、「設備のコンビニエンスカンパニー」を目指し続けます。生活の中で、コンビニエンス・ストアを利用される方は日本中たくさんいると思います。コンビニエンス・ストアがもたらしてくれる便利さを我々ヨコレイは設備を通じてお客様に提供し、「快適」にすごせる環境を作り続ける事です。
皆さんの世代が国や地域の経済や社会保障などに対する責任を担わなければならない時が必ず来ます。今は「誰かがやってくれる」とか「分からない」でもいいと思いますが、「その時」は必ず来るのです。学校を卒業し社会に出たら、どうか「社会の一員」としての自覚をしっかり持っていただきたいと思います。そして、キャリアと年齢を重ねながら「その時」に向けて少しずつでも構わないので社会に対する関心を広め、知識を深めていってください。それが「大人」になるということだと思います。あなた達の世代が、日本を更に良い国にしてくださることを期待しております!
企業名 | 株式会社ヨコレイ |
---|---|
所在地 | 神奈川県横浜市保土ヶ谷区新井町657 |
業種 | 建設 |
サービス - 専門サービス | |
設立 | 1966年 |
資本金 | 2.000万円 |
---|---|
従業員 | 40名(2019年12月現在) |
事業内容 | 空調換気・給排水衛生設備・消火設備の施工・設計・メンテナンス |
URL | https://yokoray.co.jp |