株式会社大槇精機
大町 亮介

3代目のエポック
メイキング

祖父から続くモノづくり企業である大槇精機は寡黙な祖父がたちあげ、口達者な父が大きく成長させた。そんな大槇精機を3代目はどの様な企業に変えるのか?幼少より培ったモノづくりへの情熱を胸に、賢者は歴史のある企業の舵を取る。

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賢者プロフィール

氏名 大町 亮介
会社名 株式会社大槇精機
出身地 東京都
出生年 1973年
こだわり 妥協しない
趣味 ビリヤード、ゴルフ、スポーツ観戦
特技 いろいろ
休日の過ごし方 アウトドア、スポーツ観戦
座右の銘 思考は具現化する
好きな食べ物 パクチー、セロリ以外
尊敬できる人 両親

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代について

    覚えている記憶で1番古いのは、家にお風呂が無かった事ですね。都営住宅の長屋生まれでしたので、お風呂も無く部屋も少なく家族全員で布団に川の字になって寝ていたのを覚えています。裕福ではありませんでしたが、家族が近くに感じれる良い環境だったと思います。当時の遊び道具といえば、もちろん最新の玩具は買って貰えなかったので粘土かブロック、壊しては新しい物を作って、作っては出来を評価してもらってとかを繰り返していました。いまでも保育園時代に作った作品が残っていますが、この頃からものづくりの基礎となる創意工夫とか思考が鍛えられてたのかもしれません。小学生は野球、中学高校ではバスケ部でキャプテンでした。スポーツも大好きでしたが、音楽も大好きだったのでバンド組んだりミュージカルの音楽監督したりと好きなことを沢山やらせてもらいました。校則の無いチョッと変わった学校でしたので、いろんな経験出来たし、全て自己責任で考えて行動する事が自然な環境でした。

  • 社会人時代について

    入社後10年ほどは工場の現場に入って先輩達に色々なことを教わりました。10年間に手作業の職人技から金属を削る感覚、最新のコンピューター技術、製品を保証する技術等、現場全てのセクションを経験させてもらいました。もちろん全てがスペシャリストと言うわけにはいきませんが、作りの概念や多角的な見方を鍛えられた気がします。初めて自分で作ったのは金属のサイコロだったと思いますが、自分で作れることが凄く嬉しかったのを覚えています。この経験は今でも役に立ってますね。遊びたい盛りの若者だったのでけして模範となる社員ではなかったと思いますが、少しずつ色々分かるようになってきた頃に営業に変わってお客様や外部の方たちとの関わりの中で、当社の評価が凄く高い事に喜びを覚えました。現場で先輩達に教わったり怒られたりした拘りがお客様へ届いていたと感じれたからです。

  • 社長就任のきっかけとその当時

    社長就任からさかのぼる事2年、新工場建設移転の話が立ち上がりました。この一大イベントを父(社長)が私に一任してくれました。29歳だった私は現状の職場環境がまさに3Kを絵に描いたような場所でしたので、この先何十年も働く場所なので自分がこんな場所で働いてみたいを追求しました。たまたま実家の前にお住まいの方が芸大の副学長さんで有名な建築家だったこともあって優秀な若い建築家を紹介してもらい、その方と約2年間をかけて新工場の建設を行いました。この間、建築という大きなモノ作りを体験し、デザイナーの強い拘りや職人さんへの対応を沢山学んだ気がします。この時間が無かったら今の思考は無いかもしれません。そんな工場が完成し移転をする直前に、突然父から社長交代だ!と言われました。まだ31歳でしたし、あまりに突然で戸惑いの塊だった事を覚えています。それまで好き勝手に色々な発言していた事が、ある日突然社長の言葉に変わるんです。立場というステージが変わると見えてる世界が変わって、当時必死に考えて思っていた事がどんどん小さい考えになってる感覚を覚え、見え方や考え、言葉のチョイスがどんどん変わって、多角的思考により判断を迅速にさせる。早い社長交代が私を育ててくれたと強く感じています。

  • 現在の事業において

    現在弊社では金属を削る切削部門とプロダクトデザインを行い生産するデザイン部門と二つの部門が共存していますが、共通しているのは「お客様の喜びを考えた拘りのモノ作り」だと思います。お客様はなんだかの理由(価値・期待)で弊社に仕事を依頼してくれています。その理由は、値段だけではありません。信頼の品質、絶対の納期、営業のきめ細かいサポート、試作品という少量多品種の製造を行う切削部門は、エンジニアの拘りやノウハウが全ての製品に現れます。「どうしたらお客さん嬉しいかな?喜ぶかな?」この思考が生むチョッとした気遣いが、ダイシンQUALITYの原点だと思っています。デザイン部門(DDS ダイシン・デザイン・スタジオ)では、自分たちがこんな物欲しいけど世の中に無いよね!を形にして提供しています。工場を持つ弊社だから、世界に無ければ作ればいい!この強みをデザインにいかして、多くのお客様に共感して頂き喜んで頂いています。

  • 今後の目標

    世界に一つを目指します。まず現在のお客様の中で唯一無二の存在であり続けなければならないと強く思います。そして弊社は大企業ではありませんが、世界中にダイシンファンがいます。それは金属を削る動画を配信しているのですが、そんなマニアックな動画の分野で世界一の再生回数を誇ります。現在私のチャンネルで約600万回の再生回数で、ダイシンセイキという名前を知らなくても当社が作った物を知っている人達が世界中にいます。その流れで金属の削り出しで本物が欲しければ大槇精機の門を叩いてみろ的な雰囲気が昨今あります。本当にに有り難いですがこれもそんな製品を完成させたエンジニア達技術の結晶だと思っています。金属の削り出しは安価なものではないので、世界の富裕層達が大槇精機で作った物が欲しい!って言ってくれるようなサイクルが生まれその期待に応えていく事が出来たらエンジニアが思う存分技術を探求し注ぐ事が出来るんじゃないかと思っています。また2・6・2の法則を打ち破る、世界に1社上層部の2割しか存在しない会社がココにあってもいいじゃないか!と思っています。夢物語かもしれませんが、思い描かないことには一歩も近づけないので、そこを目指して頑張りたいと思っています。

  • 日本を背負う若者へのメッセージ

    日本人の常識は世界の非常識だと言う事が多々あります。非常識と書くとマイナスイメージかもしれませんが、私は逆の意味で考えています。日本人気質って凄く特別で素晴らしいなって海外に行くたびに思います。それは相手を思いやり重箱の角をつつく様な心遣いが出来ることです。日本製の高級車を見ると分かりやすいですね。あんなに至れり尽くせりな仕様は世界中何処探しても日本メーカーだけです。ブランディングの確立の弱さが玉に瑕ではありますが、70億人/1億人貴重な日本人の1人だと言う事を忘れないで下さい。それと楽しみを見つける達人になって下さい。誰もが不平不満を言うような最悪な状況であれ見方を変えたり思考次第で小さな楽しみや面白み、またはゲーム性を発見出来るはずです。そんな楽しみが発見できる大人になれたら、どんな業界でも絶対に成功すると思います。なぜなら、楽しい→好き→創意工夫→成長のサイクルになり周りが貴方をほっておかないでしょう。誰かのせいにしたり、不平不満で自分の成長にブレーキをかけるような残念な人にはなってほしくないですね。全ては自己責任、何処にいても何をしても自分を出せる大人に成長して欲しいです。頑張って下さい。

会社概要

企業名 株式会社大槇精機
所在地 埼玉県朝霞市膝折町4-8-45
業種 製造
設立 1960年
資本金 1,000万円
従業員 40人
事業内容 2輪4輪自動車部品、レース部品、航空宇宙部品、ロボット部品、デザイン開発
URL http://www.disn.co.jp

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