氏名 | 上瀬戸 圭 |
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会社名 | 株式会社プラネット |
出身地 | 兵庫県 |
出生年 | 1975年 |
こだわり | 素直な心を忘れず最後まであきらめない! |
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趣味 | ゴルフ、スキンダイビング、サーフィン |
特技 | 野球、ゴルフ |
休日の過ごし方 | トレーニング |
座右の銘 | 夢見る力の乏しいものは生きる力も乏しい |
好きな食べ物 | たまご焼き |
尊敬できる人 | 父 |
当時2歳の時に妹が生まれ父親が一念発起し、当時の大手広告代理店を退職し起業しました。この事がキッカケで知らず知らずのうちに起業家としての教育を受けることになりました。中学生になった頃からスポーツにおいては負けを知らず常にトップの成績を収めていました。この頃にNo,1という居心地の良さそして負けたくないという思いが強くなりました。卒業してすぐに社会に出て、肉体労働の仕事をするつもりでしたが、母親の一言で自分の一番得意な分野のスポーツで体育大学受験を受ける事を決意しました。1日睡眠時間2時間、勉強時間16時間、そして実技練習4時間。そんな生活を2ヶ月続けその結果日本体育大学体育学部硬式野球部へと入学することができました。大学時代は当時1年生で1軍にいた選手はゼロでした。たまたま肩が強く足が速かったこともあり、テストで遠投128メートル、50メートル走5秒8でコーチの目に留まり捕手として2軍昇格し、その1週間後には1年生でたった2人だけ1軍に昇格しました。部屋の先輩が全日本大学野球代表のエースだった事もあり、司令塔である捕手としての心構え、ゲームの作り方、メンタル等を教えてもらい、後の私のものの考え方の基礎となりました。
野球をしながら車の営業の2足のわらじを履く事になりました。しかし、社会とはそんな甘いものではなかったのが現実でした。いつまでも野球にしがみつくのはやめ、営業として大成しようと決意しました。もう20年以上前の時代だったのですがほぼ毎日夜遅くまで仕事。休みもあるような、ないような感じでした。朝出社し、ミーティングから始まりその日の受注予定がなければ詰められるのは当たり前でした。根性論がまかり通ってる時代であり、今の若い子達からすると考えられないでしょう。1日駆けずり回ってへとへとになって営業所に帰るの繰り返しの日々でした。だけど1日の楽しみがあったんです。それは先輩後輩の人たちとすごく仲が良かったことです。仕事終わりに牛丼食べに行ったり、ちょっと遊びに行ったり、それが楽しかったんです。土日はほとんど展示会なので、自分の休日でも会社に行ってました。なぜかというとショールームに来るお客様を1人でも多く接客して車を売りたかったんです。負けたくなかったのでがむしゃらに頑張りました。今日ショールームに来たお客様のご自宅へ仕事帰りに訪問しそのまま商談させてもらい受注したことも何回もありました。ある時はお客様のご自宅に夜11時に訪問し、夜中の2時まで商談し受注した後、そのお客様の家に泊めてもらったこともありました。当時の営業所所長はめちゃくちゃ厳しい方でしたが、夜どんなに遅くなって営業報告しても必ず電話に出て、「今日も一日お疲れさん!よく頑張ったな!明日楽しみにしてるな!」って言ってくれたんです。たった一言だけど、その言葉を聞きたいから頑張れた、そしてついていけたのかなと思います。そんな厳しい世界でしたが全てがノルマの世界だったので営業マンコンテストで表彰される事を目標に1998年、1999年、2000年と3年連続で最優秀営業マン表彰されました。それは当時の自分にとっては励みになりました。
サラリーマン当時の3年目に父親から「うちに来て一緒に仕事しないか?」と誘われたのですが当時の自分にはまだやり切った感がなかったので断りました。いずれ父親と仕事することが夢でしたが今じゃないと伝えました。そして、そのまた1年後に「女子プロゴルフのトーナメントの仕事を一緒に手伝ってほしい」と言わたんです。それが2月末でした。3月は決算月なので車業界は一番忙しい時期です。すごく悩みましたが、3月末を持って退職し株式会社プラネットへ入社しました。車業界と広告業界では業界が違いすぎて最初の1年くらいは戸惑いしかありませんでしたが、良くも悪くも性格が真っ直ぐすぎるのでこれが自分の転職だと決めつけて必死に仕事しました。友達も誰もいないので孤独でしたけどその孤独を楽しんでました。そして入社して6年目で一人で年商6億まで伸ばし、社長に就任しました。10年目には年商10億にまで伸ばし、ある企業を年商4億から66億円企業の世界一にまで育て上げました。本当に毎日が楽しくて楽しくてソワソワしていました。毎日今自分に何かできるか、自分が今できる強みを全て書き出し実行に移していました。広告を通じリアルな世界での集客、そして10年の集大成としてのノウハウを全面に押し出し新しく出会うクライアントさんに提供する。それがまた見事に成功し前年売り上げ900万の10倍約1億円、集客数も9000人から13倍の12万人へ成長させることに成功しました。
広告事業部では社是でもあるように「広告を通じ人、会社、日本を元気にする」私の仕事はクライアントを大きくする事が使命で、中小零細企業をトップブランドへと持ち上げるノウハウを持っています。このノウハウは普遍的であり私の生命線です。5年前にご縁があり飲食事業部を立ち上げ、回転寿司から始まり今は定食屋もあります。従業員数も50人を超える企業になりました。衛生事業の方も少しずつ顧客も増えリピーター事業になっています。どの事業もやはり「人」でありどんなに時代が進んでいったとしても最後は「人」がキーワードになります。人が関わる以上社会に貢献しなければなりません。私の本業は広告業から成り立っています。その今までの第一段階の集大成として、これまでクライアント様を成長させることができた誰も知らない広告ノウハウを実践的に学べる「上瀬戸塾」を2021年に立ち上げ、より多くの起業家や社長に向けて発信しております。
ビジョンがあっても仕組みがなければ戦えません。今後の展望としては、まず会社組織として未熟すぎた経験を反省し、同じ過ちを起こさないようにしっかりとした土台を形成しより強い組織にすることです。まずここを最重要課題に置いていきます。そして、しっかりクライアントを成長させるということはその売り上げという外側の部分ばかりではなく中身の会社組織としての取り組みに=「ビジョン×仕組み」を構築し提供することこそが「真」の私たちの姿なのだろうと思っています。2021年に立ち上げた「上瀬戸塾」という広告を扱うにあたって誰もが知らない目に見えないフックをどうかけるのか、そもそも広告を手掛ける前に必ずやらなければならないステップというのは、ほとんどの方々が知らないんです。それを知らないから広告を展開しても失敗するんです。そのノウハウを広告を司るプロではなくその上の「スペシャリスト」として私たちが積み重ねてきた実績、そして広告ノウハウを経営者の方々と共に勉強することができる塾となっております。弊社の社是である「広告を通じ人、会社、日本を元気にする」からより多くの方々が「上瀬戸を通じ人、会社、日本を元気にする」になるため「上瀬戸塾」を通じ世の中のより多くの方々が繁栄する市場を作っていき、みんなが幸せな日々を送ることができる、そんな世の中にすることが私の使命だと思っています。
もし「夢」を人に語るときエネルギーに満ちあふれる人たちで固めましょう。それはみんな「夢」を諦めず手にした人たちだからこそ自分の人生の「道」を照らしてくれる道しるべになると思います。自分の人生の炎は決まっています。「永遠」ではないのです。だから、人は「永遠」を好み、求めるのです。もし「永遠」があるなら、「想い出」はこの世から消えてなくなります。この世に『生かされている事』に感謝し、生かされているからこそ『使命』を果たさなければなりません。夢見る力の乏しいものは生きる力も乏しいです。日々人生の分岐点です。自身の夢に向かって今を一生懸命生きることこそが成功への近道だと思います。
企業名 | 株式会社プラネット |
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所在地 | 大阪府大阪市中央区西心斎橋1-4-5 御堂筋ビル4階 |
業種 | 飲食店・宿泊 - 一般飲食店 |
サービス - 広告 | |
サービス - コンサルタント | |
設立 | 1979年 |
資本金 | 1,000万円 |
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従業員 | 55名(2022年1月現在) |
事業内容 | 広告代理業、広告コンサル、10名以下の企業や店舗に対する経営塾事業、フードサービス事業、殺菌料事業 |
URL | https://advertisingplanet.co.jp/ |