KCホールディングス株式会社
森 保

人の喜びが己の喜び

それは決して綺麗事などではなく、導き出した経営の極意だ。 5年後、10年後、成長を続ける企業であるために、 賢者はこれからも、世のため人のために生きていく。

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賢者プロフィール

氏名 森 保
会社名 KCホールディングス株式会社
出身地 京都府
出生年 1950年
こだわり 教養、知性、向上心
趣味 ジョギング、読書、音楽鑑賞、ドライブ、美味しいものを食べる事、映画鑑賞、ゴルフ
特技 執筆活動、音楽演奏
休日の過ごし方 趣味に興じる
座右の銘 鶏口となるも牛後となるなかれ
好きな食べ物 日本料理
尊敬できる人 経済界:土光敏夫・丹羽宇一郎
政治家:後藤田正晴
細菌学者:野口英雄
肉親:実父母・養父母

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    私は島根県浜田市に昭和25年5月25日に若林 保として5人兄弟の末弟として生を受けました。小学3年生の時に、家業の関係で母方の山口県下関市に転居となり、小学校5年生の時に森益次郎家との養子縁組が成立し、森家のある京都府舞鶴市の小学校に転校となったが中高6年間は京都市下京区六条間之町に居を移しました。近郊の亀岡市には森家の叔母の家があり、余暇を見ては入り浸っていました。若林家は石州(現島根県)の商家で先祖は会津屋八衛門【寛永(10年)1798年~(天保7年)1837年】である、私の記憶では、豆腐、履物、衣料(呉服問屋)、飲料品等の販売を有店舗で行い、田地田畑や山林を所持し、農業を行う傍ら、海では漁師たちを束ねる網元業を行っていました。祖母(クラ)は明治初期の生まれで、若林家の長男(祖父亀一)に嫁ぐにあたって、身分を揃える為に同じく大店(おおだな)の野坂屋の養女に一度なってから後に若松屋に嫁いだという事を後年、実祖母に聞いた事があった、身分制度の区別が残る時代であり、商家としては大店で名門であった事が伺える史実であります。私にとってみれば子供が授からない、叔母夫婦の家庭の子供になったということです。若林家は当時の旧帝大のOBや学問優秀者を多数輩出している家系であった事が若林から養子をという養父の動機になったのではと私は思います。森益次郎は国を思い志願兵として海軍に属し、戦火を潜った経験を持つ身であった、戦後の役所において、キャリアなる後輩たちの後塵を拝するのは自身にとってはあまりにも不甲斐ない現実で受け入れがたいものであったというのは後日養母に聞いた話ですが、当時、私はそのような養父の気持ちは全く理解をしていなかったし、そもそも口の重い養父とは他界する7年の間、言い争う事はあっても、普段の会話自体がなかったと思います。森家が養子縁組の意志を実父母に伝えたのですが、実父の健康上の問題も抱えて、当時はすでに長男に家督が移っていて、私に十分な教育などを施してやれない思いもあったが、子供を手放すことは、特に母親にとっては断腸の思いの中、決め兼ねていたが、最後は私に『保が決めなさい!』と小5の私に人生の選択を求めました。そして森益次郎養父と家裁に行き私自身の口で縁組を承認したことは記憶に有ります。

  • 社会人時代

    横浜市鶴見区にある大手容器メーカーの門をたたきました。入社後上司からTOPの成績で正 社員として採用となったという事で当時全社的に花形のEasy Open Canの部署に配属となり技術者として邁進をする中で、同期の中でも目立つ働きができていたが、大企業特有の実力以外の要素で道をふさがれた感があり、挫折感から5年間在籍した後、退社の道を選択しました。 *当該会社は現在では東証一部上場会社で連結売上約8千億、総資産1兆円を超えるホールデング会社で容器メーカとしては世界でNo,1・2の規模です。母一人の京都に戻り浪々の日々を送ることになったが、大手をやめて目に付く企業の門をたたく気持にはなれず、さりとて、暇を弄ぶほどのお金もないが、有り余る体力の使い道を模索する毎日はまさに空虚な日々であった。気持ちを紛らす為にボーリング場のインストラクターや小説を書いたり酒屋さんの配達など、むさぼる ように何かを見つけて無駄に時間を消費する日々を送っていきました。そんな折に中学生時代の先輩が大工さんのアルバイトをもってきてくれました。建築との馴れ初めはこの時が初めてという事になります。材料の運搬が主な仕事であったが、少し職人のまねごとをしているうちに先に入った先輩より私の物覚えが良さそうに社長には思えたのか、大工さんにならないか?と賃金を盾に誘ってきました。大工さんの仕事も面白かったのでもう少し覚えるとこまでと思って日々送っている過程において、この工務店社長も資産家だったこともあり、突然、重機や仮設材のリース会社を興しました。大きな倉庫を建設し建築も元請けの形態に転向していく中で、社長の私に対する評価が先輩たちの不評を呼び、皆さんが離職をしていくこと になりました。2年後に、社長の意向で復職させるべく私も行動をしたが、反対に私のほうがヘ ッドハンテイングをされる羽目になりました。本来、独立心が強い私はその部分を 掻き立てられて新しい会社を興し、代表に収まるというおかしな形になってしまいました。元社長にとっては私が元社員を引き連れて独立をしたという疑心に駆られて独立後しばらくは、反社などが行う行為に似たことをされて随分と困りましたが、私と7歳上の元社長は私が31歳の時に心臓のトラブルで急逝されました。約4年間のお付き合いのうち2年間は争う関係でしたが葬儀には参列させて頂きました。私の後に入社されて幹部になっていた年上の先輩は私の顔を見てたいそう喜んでくれまして、元社長の御両親も『良く来てくれましたね、社長はもっちゃんの事が大好きだったし、ここまでの基礎を親父と一緒に作ったのはもっちゃんなのだから社員の代表で参列してほしい、故人も文句は言わない!』といわれた時は数々の嫌がらせのすべて忘れて号泣した。思えば短い間のお付き合いだったが、急成長の陰ではいろんな事がありました。

  • 起業のきっかけ

    環境クリエイトの社長は非常勤の沼本氏であったが、高齢の為にH25年7月31日に退任し、8月2日に専務取締役の林氏がその責を担う事になり、同時に私も取締役になりました。もともと林氏は内装工事の専門家で、総合建築などの経験がない人物であり、設立当初から私がいろいろとアドバイスを行ってきた経緯あったが、人が作った会社の代表となるのは少しためらいもあり代表は固辞していましたが、会社の経理内容が債務超過になり立て直しが急務の中、その対策として拡大の方針を強力に押し進めなければならない事情が生じた為にその責を担う事としました。もとより入札行為の一切と積算、施工業務の一切を行っていた為に、いわば必然的な人事でH29年6月に代表取締役就任となり、一切の経営権を担う事となりました。前述の通り、社長になった時点で、決算書が債務超過となっていました。その理由は 売り上げが18年の設立当時から年々下がってきた状況の中で、一部の工事において反社の発注者の工事金が回収できなかったり、契約書も無しに工事を始めるなど雑 な請負行為を行ったあげく大きな赤字を計上した結果でした。その責を取った形で林氏は代表ではあるが、実質の経営者としての立場から離れて貰った。不払い事件の被害者になったり、売り上げ規模に対して大きな割合の赤字計上と重なった為に借り入れ金が増えていきました。対策としては売り上げを拡大させて雇用する人材のフル活用、もしくは大きく利益率を上げなければならない状況下で、運やツキも味方をしてくれたのか、大幅の利益が見込める工事が数本契約となりました。設立当時1.05億の売り上げが1.02億から0.9億と年々下がっていく中で、4年目(H22年)から1.035億、1.06億、2.19億、2.78億、2.85億、3.79億と順調に推移し9期目からは決算内容については金融機関における優良会社のトップクラスまでにな りました。この時点では売り上げの殆どが公共工事におけるものでしたが、公共工事における技術職員の専任性が人材の合理的活用やコストパフォーマンスが良くないので、民間の大型建築に移行するビジョンを掲げて、人材の雇用の拡大と許認可も一般建設業から特定建設業の取得を実現させて、売り上げの拡大を目指すこととしました。私は阪神淡路大震災が発生した頃から、地震に対する備えについて、特に有事の際における物資の調達について危惧をしていましたが、2011年の東北地方の震災からはライフラインの特に電気、水道の早急な復旧が必要であるとの考えが大きくなっていく中で、建築業者はむしろ後手に回る職業だとの認識をせざるを得ない事態を目の当たりにして、むしろ土木会社、給排水設備会社、電気設備会社が必要だと強く感じるようになりました。それぞれに事業を始めるには時間が無いとの考えから、時間をお金で買ういわゆるM&Aを利用して早期に実現をすることに考えが至りました。M&A資金は手前どもの資金を利用できれば、問題の無いところであるが社歴の浅い弊社に数億円という内部留保は難しく金融機関のそれを利用する方向で事業は 推進しています。戦略的事業の再編成のための持ち株会社のKCホールディングス株式会社をH31年2月に設立しました。

  • 現在の事業

    KCホールデングスグループは有事の際の地域貢献と地域復興を目的とした企業グループの構築であることは前述した、と同時に働く社員にそのことに対して誇りを持って欲しいとも同時に願う所である。傘下会社群をしっかり経営して、利益を出し税金を支払う事も大切な社会貢献につながる行為ではあるが、すべて国家や自治体に任せるのではなくて、KCGPとしても独自の活動を行いたいと望んでいます、その為にBCP申請やレジリエンス認証などの書類の作成準備を昨年から行っており、本年度中には内閣官房直下に弊社の中核会社である環境クリエイト(株)が登記される見通しである。企業群の規模を大きくして、社会にKCGPの存在とメッセージをアピールし、地域社会への貢献と自治体などと行動を共有したいと願うものでもあるが、大型のM&A資金に役立てる選択もある。古くからある土木工事業、建築工事業、電気工事業、給排水衛生工事業、通信事業、などに人材を集め災害国家に対する備えを行う、ハイテク産業も時代のニーズではあるが、これらの事業は国土整備も含め、国家の安全保障の最も重要な部分でもある。低炭素型の建築物の研究、開発など、内需型の産業の改革も急務な事業であるし、それ自体が一つの産業カテゴリとして成立する程のボリュウム感ではあるが、旧来の産業カテゴリにおいても存続する為には変革を余儀なくされる現実が大いにあるという事と何の変革もない企業や業種は淘汰される運命にあるという事を日々痛切に感じている。

  • 今後の展望

    時代のニーズは止まるところを知らないし、早急である。先んじて事業をスタートする優位性に変化はないものの初期投資の問題や、社会の情勢の変化をも視野に入れながら確実性を重視して事業の拡大や運営を行わなければならない。様々な職種がある中で、現在は人材リソースの集積と良質な顧客管理が最大の問題だと思います、先進国の人材の絶対的な不足をどのようにして補っていくのかは最もシンプルで重要なことだと認識をしていますし、業種カテゴリを問わず事業成功のカギを握っていると言っても過言ではないと思います。現在推進している事業体がそのような諸問題に対処し、目標とする段階を迎える事が出来た先には新しいテクノロジーを駆使した産業にチャレンジできるものと思う、いわゆる段階的発展志向である。

  • 若者へのメッセージ

    昭和やそれまでの時代は我が国の政策は世界の先進国の模倣で良かった、経営についても特別な企業以外のいわゆる中小企業の経営者は国内の問題を考えていればよかったし、成長が実現できたが、平成、令和となっては様々な経営方針やビジネスのヒントは世界情勢にリンクしているといえる、時間経過の中でそれらは国内にシフトするが、それからの対応では遅い時代に突入した。しっかりした教育を身に付けて専門の知識や、現在の我が国の歴史や価値観を習得した後は、国内外の動きを視野にいれた思慮を持つ事や活動につなげられる人脈構成とそれらを活用できる行動力を問われる時代になる、幼少期から海外に飛び出してこの国の基盤や企業の価値判断力を蔑ろにしたまま、その後、国内に身を転じて活躍しようとする方法は必ずしも近道とは言えない、日本人(母国人)としてのアイデンティティがカギを握る、有能な人材とはそれらの総合力を兼ね備えた者を言い、その要素が会社や上司に与えられた仕事を望まれる方向に導く、そしてその存在が時代の寵児、又は時代の受け皿的存在、及び会社の重責を担う人材になり得る、豊かな発想力を持ちその実現と結果にコミットする、そして努力をすることを惜しまずに行動してほしいと願う。指導者とは企業の発展を創造し、関連学問や環境を学び、ビジョンを語り、その実現に向けて団体やそれらを構成する組織人に協力を求め、組織の目標を達成させる事にある、専門性(必要な技術者)は他に求めれば『よし』としたい。それには、一部マスコミ情報に混乱させられずに正確な情報を得る努力と、選択力が必要になる、発想力の強化と先の人脈作りに専念されたい。他者(マスメディア)が招く騒動や、風潮、価値観等に惑わされることなくしっかりした自己をもち、有意義な社会人生活、ひいては人生を謳歌することを期待する。海外生活を経験することは間違いなく自分自身に付加価値を生み他者に対するアドバンテージにはなり得る、しかし焦る必要は全くない、冒頭に説明したように活躍する場所が国内外を問わず最も肝心な事は日本人(母国人)としてのアイデンティティを確立させ、グローバルな要素のキャパシティ(物事を受け入れる能力)を身に着ける事が最も大切な事だと思います。

会社概要

企業名 KCホールディングス株式会社
所在地 埼玉県さいたま市大宮区大成町2-277-1
KCビル
業種 建設
設立 2019年
資本金 5,000万円
従業員 代表取締役 2名 取締役 2名
事業内容 建築・土木工事業会社の運営、不動産会社の運営、人材派遣会社の運営、電気設備工事業会社の運営、IT事業会社の運営、地震で落ちない天井の材料、工法の特許事業会社の運営/フランチャイズ運営、建築ニーズに係るプラットホーム製作
URL http://kc-hldgs.co.jp/

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