氏名 | 田中 正志 |
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会社名 | 義農味噌株式会社 |
出身地 | 愛媛県 |
出生年 | 1957年 |
こだわり | 売る商品ではなく、自分が食べるものを創れ |
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趣味 | 囲碁 |
特技 | 囲碁三段 |
休日の過ごし方 | 温泉めぐり |
座右の銘 | 積小為大 |
好きな食べ物 | 味噌汁・ラーメン |
尊敬できる人 | 父・田中義人・鎌田哲雄 |
子どもの頃から人前で話すのは苦手で、よくどもっていましたが、大学時代に父親からスーパーで味噌汁のマネキン販売をやってこいといきなり言われ、何も教えられることもなく放り出されました。味噌汁を作り店頭に立ったが、お客様に声をかけることもできずにいました。すると、ある主婦の女性が向こうから声をかけてくれ味噌汁を飲んでくれました。これおいしいね。あんた、若いのにえらいね。と声をかけてくださり、味噌を買ってくださりました。その時の喜びは今も忘れることができず、それから次第に自然と自分からおすすめすることができるようになっていました。いつのまにかどもりが治っていました。
大学卒業後、農林水産省食品総合研究所に入りました。そこは、 日本全国のみそが集められ品評会が行われる場がありました。麦みそしか知りませんでしたが、それ以降様々なみその味を知り、マーケットも知ることができ視野が広がりました。家業へ戻ると、そこは古い職人気質の文化が色濃く残っていることを痛感しました。変化を嫌う風土の中で、社長である父と対立することもありました。会社をよくしたいという思いは一緒なのですが、手順が違うんです。しかし、父のことを認めていないんだと気づいたとき、状況は変わりました。「いい会社を創ったね」と父へ伝えたとき、初めて分かり合うことができました。そして、社長へ就任する流れが初めて生まれたのです。
父親が創業者であり、子供は5人で男の子は一人だったので、自分が後を継ぐ覚悟でした。父親がいなくなっても経営していける実力をつけるよう力をそそぎました。父に言われたことは全てやり通しました。創業50周年を迎え節目の年に父親との関係が良くなり、お互いに認め合うことができました。その当時から全国的に味噌離れが進み、味噌だけでは生き残れない時代になっていました。そこで、地元の郷土料理のさつまなどの新商品を開発するようになりました。
社員を家族と思い大切にして、社員のモチベーションを上げることに努めました。社員の声に耳を傾けて、周知を集めて意思決定しています。時代の要求に応じて会社を変化させていきます。また、愛媛産のものを活用し、郷土料理の開発を行いました。地産地消をテーマとして、愛媛の食文化を全国へ発信し行きたいです。
65周年を迎えますが、味噌があったおかげで、我々も社員も守れています。日本の食文化の一番は、味噌だと思うのでこの文化を絶対に守っていきたいです。社員と共に問題を解決し、共に喜び合える会社にしていきたいです。
両親から大切に育てられて、今の自分がいると思います。感謝の心を持ち、謙虚で素直な、人から好かれる人になってほしいです。そして、人の役に立つ人間になってほしいと思います。心から応援しています。
企業名 | 義農味噌株式会社 |
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所在地 | 愛媛県伊予郡松前町大字永田345-1 |
業種 | 製造 |
卸売・小売 | |
設立 | 1953年 |
資本金 | 1000万円 |
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従業員 | 75名(2018年11月現在) |
事業内容 | 味噌・ドレッシング・甘酒等の製造販売 |
URL | http://www.gino-miso.co.jp/ |