株式会社誠輪物流
野坊戸 薫

ここに、誠輪物流あり

父が誠輪物流を興したのは賢者が高校生の頃。家業は継がないと頑なに決めていた矢先に、突如父が病に倒れた。賢者の中で湧き上がった使命感が、進化した誠輪物流を作り上げる。

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賢者プロフィール

氏名 野坊戸 薫
会社名 株式会社誠輪物流
出身地 東京都
こだわり 道を切り開く
趣味 アクティブスポーツ・DIY・買い物
休日の過ごし方 仕事とつながりがない仲間と遊ぶ
座右の銘 信は力なり
好きな食べ物 おばあちゃんが好きそうなもの
尊敬できる人 野坊戸 邦夫(父)

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    幼少期から活発で、水泳、体操、ピアノをしており、小学3年生の時、ソフトボールと出会いスポーツ少年団でキャプテンもしていました。父もずっとコーチとして、家族一丸になってグランドで過ごし、中高とソフトボールを続けました。その時に、生意気な自分を変えてくれたコーチに出会い、上下関係や社会に出てからの言葉遣いや礼儀などを徹底的に指導してくれていたので、今も体育会系になっています。また私が高校生の時、父の夢であった誠輪物流がスタートしました。当時は、自宅(団地)が事務所として、トラックも3台からのスタートでした。小さい頃から、父の運転するトラックの横のりなどはしていたので、子供のころからトラックや倉庫の仕事などは見ていました。繁忙には母がおにぎりを30個ほど作って夜中に現場に持っていっていたのを今でも覚えています。そして高校卒業後、私はトレーナーとして支える側になりたいと思い、専門学校に進学し、トレーナーとしての勉学、インストラクターとしての経験をしました。そんな時、実習でいったスポーツクラブでそのままアルバイトをと声をかけてもらいインストラクター、トレーナーとしての業務をしていました。そして、専門学校で就職活動をするとき大阪から東京に進出するリラクゼーショントレーナーの仕事があると受け、立ちあげメンバーとして同期のメンバーと入社しました。

  • 社会人時代

    専門学校卒業後、東京の立ち上げメンバーとしてリラクゼーショントレーナーとして経験を積み、渋谷、横浜、船橋、大阪、赤坂など周り、日比谷店の店長に就任したのが20歳の時でした。しかし、どうしても昔からの夢で波乗りや雪山に関わる仕事がしたいという思いがあったので、約1年をかけ、関東で一番の売上のお店に育て、次の店長クラスを育て、自分の夢の仕事につきました。某スポーツ店でやりたかったことをやり、好きなものに囲まれる仕事で楽しかったですし、色んな知り合いにもあい、同じ趣味を持つ仲間にも会いました。その頃から、父からはいつになったら会社にくるんだという言葉が多くなりましたが、どうしてもやりたいと思えなかったんです。そんな時、私は海のそばで思う存分居たいと思い、下田のペンションに住み込みバイトに行き、なかなか普通の人が経験できないことをし、とても幸せでした。その後埼玉に戻り、インストラクターをしながら、誠輪物流のアルバイトとして倉庫作業に入りました。週3日は誠輪でアルバイト、残り4日は千葉でサーフショップ手伝いという生活をしていました。今となっては、逃げていたんです。そんな時に、父に色んな事があり、誠輪物流の社員になりました。そして社員になってから、倉庫作業、配車の手伝い、事務仕事等、様々な業務をやりました。あの頃は社長の娘と思われるのが大嫌いで、私の名前は野坊戸 薫だ!と思われたい一心で、お嬢と呼ばれて、嫌で仕方なかったことを覚えています。それからしばらくたって本社勤務になり、一から勉強という事で、2トンショートのトラックから乗って全部の業務をみるという事もしました。あの頃は分厚い地図の本を毎日付箋をつけながらやっていました。課長まで任されながら、朝から晩まで働いていたら、倒れて救急車で運ばれたこともありましたが、今思えばやりがいだったんです。

  • 社長就任のきっかけとその当時

    社長就任は2年前の父が急逝した時でした。2月末自宅に帰ってきたときにドターンという音が聞こえました。胸騒ぎがして玄関にいったら父が仰向けに倒れていました。意識がなかったので、すぐに心臓マッサージを開始し救急車を呼びました。救急病院であと2時間もつかという言葉を聞いた時、真っ暗になりながらもこの先どうしたらいいのか明日からどうしていけばいいのかと鮮明に覚えています。集中治療室で目を開けない父をみて握手しながら泣いたことを覚えています。あとは自宅に父が帰った時横に一緒に寝たんです。その時だけでした泣いたのは。さすがの生命力でしたが、3月4日の朝型、父は一度も目覚めることなく旅立ちました。そこからすぐに会社に戻り、葬儀の話、今後の話と、人生で経験できないようなことばかりでした。あれだけ、やりたくないと思っていた自分が嘘のように迷いが消えたんです。きっと2代目の人達は、創業者とは違うプレッシャーや覚悟が必要なんです。といっても、世の中はそんなに甘くなく、代表をやりますと言ってすぐに上手く行くわけではなかったのですが、本当に誠輪物流を必ず残すという思いだけで、一歩一歩進むしかありまあせんでした。父が他界した時は、半年でつぶれるという噂もありましたが、半年ほど経つと今度はつぶれない、大丈夫だとなり、2年経った今では、おかげさまで色んな役も任されるようになり、世間の風も感じました。結局、遠回りかもしれないけど正直に生きていくことが、一番の近道なのかもしれません。

  • 現在の事業

    トラックドライバーというと皆さんは逆にどういうイメージがありますか。と逆に聞くことが多いです。私は、社員もその家族も喜んでくれる会社にしたいと思っています。上からも下からも、水が流れ、横の繋がりを大切にする事、誹謗中傷からは何も生まれないと、日々社員に伝えています。グループ活動や、答えは現場にあるのでそこを大事にしています。また船頭さん、縁の下の力持ち、一緒にやるという3タイプのリーダーがいる中、私は一緒にやっていくことをまずは大切にしたい。今、私が右向け右といってもと思うので、まずは皆と一緒にやるという事を大切にしています。いくら世の中が便利になっても、このモノを運ぶという仕事はなくならないと思います。日本は島国なので、物流が無いと生活が出来ないんです。だからこそ、第一線の仕事をしているんだというような胸を張れる仕事だとみんなには伝えています。また今まで私が経験してきたことを活かされています。学生を卒業して継いでいたらつまんない自分だったと思います。大きく変えると書いて、大変とよむので、まずは続けることだとみんなに話しています。その中で、それぞれが進化しながら組織を作ることに注力し、グループ活動は、各グループごとに事故撲滅目標をを話し、一つの釜めしのようにお弁当を全員で食べて、午後はトラックの点検勉強、美化活動やリフォーム活動に取り組む。あとは、水玉の軽貨物を作ったり、看板を幹線道路に出したり、他の会社には無いような取り組みを積極的に行っています。自分の奥さんや子供たちに、これがお父さんの会社だよ、俺が乗っているトラックだよなど、言って頂けると嬉しいですね。

  • 今後の目標

    まずは、「坂戸、鶴ヶ島に誠輪物流あり」を目指します。当社は鶴ヶ島で24年やっていますが、場所を説明するときに、色々と説明をしなければ分からない、当社の場所を地元の人たちも知らない。そこで、当社をもっと発信しようと動いております。地元の商いをしている方々と共に、同業だけじゃなく異業種の方々とも沢山交流しながら、誠輪物流の社員やご家族が喜ぶ会社に更にする為に、地域の方が集まれるようなイベントを開いていきたいと考えています。そうやって、運送のイメージをより身近に感じてもらえるようにしたいです。そして、若者が来ないなら、育てようという私の思いから、運送の専門学校の創設も考えています。将来のドライバー不足にも貢献できたらと思っています。

  • 日本を背負う若者へのメッセージ

    まず自分から伝えること。自分が悩んだことのない人が人を動かすことはできないので、たくさん悩んでまずはやってみて下さい。人は自分の鏡なので。人生は自分が選んで決めているという事が分かると、もっとこれから先の人生を決めることができます。そこには必ずターニングポイントがありますから。

会社概要

企業名 株式会社誠輪物流
所在地 埼玉県鶴ヶ島市上広谷本村472-1
業種 運輸
設立 1996年
資本金 2500万円
従業員 85名
事業内容 一般自動車運送業、首都圏配送、引越し業務、倉庫業、商品管理業務、商品仕分請負、梱包業、販売業務
URL http://www.seiwa-logi.com

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