PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 仲松 秀樹 |
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会社名 | 株式会社大松運輸 |
出身地 | 沖縄県 |
出生年 | 1973年 |
こだわり | 何事も完璧を目指したい |
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趣味 | 美味しいお酒の発掘 |
特技 | 乗馬 |
休日の過ごし方 | 家族で買い物に出かける |
座右の銘 | 意思あるところに道は開ける |
好きな食べ物 | ゆし豆腐 |
尊敬できる人 | 自分を犠牲に人の為にできる人 |
HISTORY
賢者ヒストリー
とにかく引っ込み思案でおとなしくて泣き虫で劣等感の塊のような子供でした。人前で話すとか、目立つような行動をするとかはまずありえなかったです。そして、人の目をすごく気にしていました。「この人は今何を考えているのか、こんなことしたら怒るだろうか、どうして欲しいとおもっているのか」いつも先にその事が気になって行動を起こせない自分が嫌いでした。たぶん学生時代はとても影の薄い少年だったと思います。友達も少なく遊ぼうと誘われても嫌々出かけるようなところもありました。だから友達も少なかったと思います。ただ、責任感は人一倍強かったので、中学2年生の時学級委員長になったんです。そこで、人前で話たり全校生徒の前で拡声器片手に歌を歌わされたりした事で少し度胸が付きました。勉強はあまり好きではありませんでした。昆虫とか動物がとにかく好きで、百科事典の昆虫、動物の巻は何度も見ていたのでボロボロでした。
自分のやりたい事を仕事にすると思って20代は過ごしていました。22歳で結婚し、24歳では長男が生まれました。でも、私は嫌な仕事はしたくない。そう決めていたので、少しでもイヤだと思ったら転職していました。ただ、妻も幼い子供もいたので必ず次の転職先を見つけて会社は退職していました。どの職場もお陰様で人間関係で嫌になることはなかったです。とても皆さん良い人達ばかりで、退職するときはいつも悲しかったです。大松運輸以外は。どの会社もまだ、若い事もあるしお給料も高くはありません。しかし、妻も幼い子供がいるので働けないし、すぐ転職するので給料は上がらないし、それでも不平不満も言わずやりくりしてくれた妻には感謝しておりますし、今でも頭が上がりません。そんな20代がやはり悩んだし、不安でいつも過ごしていました。自分で妻にも言わず決断したのですが、33歳で大松運輸に戻って来たときもこのままトラックに乗って、社長業をして、しかも家族とも離れて暮らさなければいけない。今思えば、人生で一番苦しかった時期だったと思います。
当時は、車輌が20台ぐらいの会社でした。当然、現在会長である父も社長をやりながら1ドライバーとしてトラックに乗っていました。幼い頃から苦労している父を見てきたので、とても自分には出来ないし、そんな苦労はしたくないという思いはずっと持っていて、大松運輸を継ぐ気には到底なれず、妻の実家は埼玉県の飯能市でしたので、そこで家も買い離れてしまえば継ぐ事もないと考えました。それくらい継ぐ意思がないとの表明をしていたのですが、やはり父も人。年にはかなわなかったのだと思います。会社を身売りするか、廃業するかどうするかと言われた時、一度は大松運輸で働いていたし、子供の頃から知っている社員もいたので、この今いる社員はどうするのかを考えた時、自分が出来るところまでやってみようと思うようにだんだんなっていきました。妻は大松運輸を辞めた時の状況は知っていたので、話すことが出来なくて自分一人で決め、一人で横浜へ単身行くことを決めました。なので、言い訳出来ない状況だった事もあり、苦しくても我慢でき、今があるのかも知れません。
この運送業界はどこの業界でもそうなんでしょうけど、ドライバー不足が顕著です。まずは、若い人達の求めている会社像を追求する事を重きに置き事業を進めていかないといつかは、成長が止まります。私は、33歳の時まず思ったことは、今の状況は会社ではないと思っていました。だから、会社という組織を作らないと、社員を守る事は絶対に不可能だと思います。現在は昔と違って会社の為とかいうよりは、個人の為のほうが強くなっています。まずは、働く社員が満足出来る環境を作らなければ、人は絶対良い仕事はしてくれません。まずはモチベーションを高く持ってもらい、それから会社が良くなる、イコール自分の収入も上がるという意識をもってもらうようにはどうするのか、日々勉強です。事業に関しましては、自前の倉庫を持つ事によって弊社で商品管理をし、配車をし、いろいろなお客さんの商品を積むことによって1車当たりの単価を上げる事です。そしてお客さんにも他社との積み合わせによるコストメリットの提供を可能にする。自社の商品だけの輸送ですとそういうメリットは永久に受けることは出来ません。
昨年、ふるさとである沖縄へ進出する事が出来ました。やはり、出身地である沖縄に貢献したいし、必要とされる企業を目指してきました。今後3年以内には車輌10台を沖縄で走らせたい。そして、現在は酒類卸の問屋さんの配送ですが、弊社の得意とする住宅設備機器や建材といった商品の運搬をして沖縄で横浜でやっている輸送を取り入れて効率化に取り組みたいと考えています。そして、5年以内には台湾の進出を狙っています。その沖縄の酒類問屋様には、沖縄からも近いこともあり、日本のお酒を輸入している3番目に多い国でもある。そして親日感情の強い国でもあります。台湾販売を実現して頂き、配送を弊社で行う。こんな小さな会社が海外に営業所を持つなんて出来たら、会社の魅力の一つになると信じています。
私自身、すぐに嫌になると転職するという生活を送っていました。自分のやりたいことを仕事にするという事だけ考えて。何度も転職してきて思うのですが、どんな仕事も楽なんて無いと思います。やはりどこでも嫌な事はあるし、やりたくない仕事は出てきます。それならどんな仕事でも、少し頑張ってみる。1ヶ月、3ヶ月、1年、3年と。小さくても目標が見えてくるはずです。または、この人みたいになりたいとか、例えば他部署の仕事に興味をもってもらってもいいと思います。または、ドライバーではなく営業をしてみたいとか。きっと見えてくるものが出てくると思っています。そして、仕事は頼まれるからこそ仕事になります。感謝するのは当たり前です。では、感謝される為にはどうしたら良いのかを考えて仕事するのも楽しい事だと思います。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社大松運輸 |
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所在地 | 神奈川県横浜市金沢区幸浦2-14-2 |
業種 | 運輸 |
設立 | 1980年 |
資本金 | 1,000万円 |
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従業員 | 90名 |
事業内容 | 一般貨物自動車運送業、住宅設備機器取り付け |
URL | http://www.t-daimatsu.com/ |