氏名 | 鈴木 直記 |
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会社名 | 株式会社会津工場 |
出身地 | 福島県 |
出生年 | 1961年 |
こだわり | 皆と一緒は嫌 |
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趣味 | 冬はスキー、夏は早朝ジョギング |
特技 | フルマラソン |
休日の過ごし方 | 畑いじり、高校野球観戦 |
座右の銘 | 歩いた所が道になる |
心に残る本 | 『果てしなき流れの果てに』小松左京 |
尊敬できる人 | 豊田喜一郎 |
現在の仕事の魅力と苦労 | シミュレーションや理論だけでは解決できない職人技が必要な職種なので、新発見の喜びもあり壁を乗り越えられない辛さもあります。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 自分が選んだ道ならば、先ずは先人の教えを貪欲に学んでほしい。学んだ先に自分が開拓すべき道が見えてくれば、そこからが本当のスタートです。好奇心いっぱいにトライして下さい。 |
男ばかりの3人兄弟の末っ子として田舎の農家に生まれました。幼少期はこれといった特徴も無く、ごく平凡な子供だったと思いますが、積極的な性格だった為学級委員や生徒会役員の様な活動はよくやっていました。雪が大好きで冬はスキーに没頭し、高校卒業までスキー部で活躍しました。勉強は得意不得意が極端で、社会科などは赤点ぎりぎりで0点を取ったこともありますが、その反面数学はいつも100点でした。先生からは「お前はいつも極端な奴だな」とよく言われてました。
地元の高校を卒業と同時に現在の会社に就職したわけですが、創業したばかりの会社で若手を募集しており当時の工場長に誘われた事がきっかけです。「鋳物工場」を「芋の工場」と勘違いして「俺は芋を作るのか」と会社見学に行くまでは本気で思ってました。そんな中途半端な気持ちで入社したわけですが、現場の見習いからスタートし工場内のすべての工程を経験させてもらいました。特に20代前半は1日の労働時間18時間で3ヶ月休み無しといったスケジュールで仕事をしていました。31歳で設計開発部長、38歳で営業部長、42歳で経理部長、45歳で工場長を務め経営に関する一通りの経験を積むことが出来ました。
2009年のリーマンショックは弊社でも深刻なダメージを受け、売上げ80%減という信じがたい状況の中、臨時休業を余儀なくされ銀行からの融資を受けながら何とか凌いでいました。そんな年の暮れに社長から一通のメールが来ました。内容は「明日からお前が社長をやれ」でした。私と社長は血縁関係も一切ないのでまさか私が社長をやる事になるとは思っておらず、最初はお断りしましたが「これは業務命令なのでお前に拒否する権利はない」の一言で社長をする事になってしまった訳です。それから株式も私の所に集め筆頭株主になり2010年1月に社長に就任しました。それまでの社長は千葉の人間でしたが私が社長になりオール会津人の「会津工場」が出来上りました。
リーマンショックから受注も回復し順調に業績を伸ばせると思っていた矢先の2011年3月に大震災が起きました。幸い弊社の被害は軽かったのですが受注も落ち操業に暗い影を落としました。ただその後の震災復興の補助金を活用する事が出来たので、心機一転新工場の建設を決断しました。新しい工場を作って更に受注の伸ばすべく営業活動にも力を入れてきました。予定通り2015年に新工場が完成し某自動車メーカーからの受注も取れ稼働がスタートした所です。
社長就任と同時に「会津から世界を目指す」というスローガンを掲げました。世界を目指すための見聞を広げるためにも、ヨーロッパやアジア各国に行って世界の情勢を肌で感じてきました。現在の主力製品は自動車関係の部品ですが、今後は様々な分野に営業の範囲を広めて文字通り会津の製品が世界中に流通する事を目指しています。
企業名 | 株式会社会津工場 |
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所在地 | 福島県南会津郡只見町大字二軒在家字上タモ721-1 |
業種 | 製造 |
設立 | 1977年 |
資本金 | 4,800万円(2016年4月現在) |
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従業員 | 105名(2016年4月現在) |
事業内容 | 独自工法であるHプロセス工法を駆使し、会津工場でしか出来ない高品質鋳物を製造している。 |
URL | http://www.kabuaizu.co.jp/ |