氏名 | 天野 博之 |
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会社名 | 東洋炉工業株式会社 |
出身地 | 奈良県 |
出生年 | 1962年 |
こだわり | 他人がやらないことをやる |
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趣味 | ゴルフ、旅行、読書 |
特技 | ものを大事にすること |
休日の過ごし方 | 精神を休める事に集中 |
座右の銘 | Professionalは困難なことを簡単にやってのける
Amateurは簡単なことを難しくする |
尊敬できる人 | 天野 雅真(創業オーナー) |
転勤族の家庭で育ちました。各地を転々とし転校などが多い幼少期でした。私の父は高度成長期という事もあり、家庭よりも仕事人間でした。大学時代は人生に必要な空間であると考えておりましたので10代でできる事は全力でやったつもりです。遊びも全力でした。現在仕事で海外に行く機会が多いので、学生時代に父に勧められた海外留学には行っておけばよかったと今になって思います。
大学時代アルバイトをしていたガソリンスタンドでの出会いが縁となり卒業後、金融機関に就職しました。金融の世界はシンプルで、金利の安い会社が契約をとれるという図式の中で、とても悔しい思いを沢山した記憶があります。足しげく通ったお客様でも金利の安いリース会社が契約をしていく状況でした。この頃から「ここでしか買えないもの」と携わる仕事がしたいと強く感じるようになりました。その当時、担当したエリアに「東洋炉工業」がありました。先輩と初めて挨拶に行き名刺交換した当時の社長が実は遠い親戚でした。これが私と東洋炉工業との出会いでした。その時熱処理炉の知識はなかったのですが、実際に稼働している炉を工場を見た時、「この炉」は生きてると感じたのを今でもよく覚えています。
東洋炉工業入社後、調達部に1年間所属し、その後営業部に移動しました。営業といってもクレーム対応がほとんどでした。20代30代はとにかく必死でした。お客様の喜んだ顔がみたいという一心で怒られながら、弱音を吐く事もなく、一から全て勉強しました。クレームをいかに処理するかを考え、経験を積む日々の中でだんだん仕事を理解できるようになりました。辛い日々を乗り越えた先には何にもかえがたい人との繋がり、信頼関係が出来上がる事を学んだ20代30代でした。現在では先代から続いているどんな突発的なメンテナンスも断らずに対応しお客様の元に駆けつける会社であり続けるとともにそれを私が形を変えながら全国各地、海外にメンテナンスのネットワークを広げています。連続熱処理炉という、車などの部品を熱処理加工する炉を製造している同社は、その甲斐もあり業界ではトップシェアを誇ります。
私たちは機械の産みの親です。お客様は育ての親になって欲しいと考えております。弊社の機械は30年使われます。お客様とのお付き合いも30年続きます。産みの親と育ての親のリズムがとても大切になってきます。そのリズムを崩す事がないように、我々がかゆいところの手が届くような対応ができるよう日々努力しております。そのために、お客様の声を聞き逃さず、日々改善し、さらにいい製品にしていくための努力は怠りません。これからも東洋炉工業のモノづくり意欲、そして技術に終わりはありません。
小さくても、ピカッと光る会社になり、またなり続ける他社が太刀打ちできないフィールドを造り上げる事です。
年齢に応じてやれることは躊躇せずに邁進して欲しいです。年を取ってからやろうとしても、過去は取り戻せないし、世の中で売ってないものです。10代でしか出来ないことは10代の間にやってしまって20代では20代でしか出来ないことをやっておいて欲しいですね。答えは、30代40代に必ず出てきます。同じように40代でしか出来ないことは40代にやり尽くして欲しいです。答えは50代で必ず出てきます!
企業名 | 東洋炉工業株式会社 |
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所在地 | 大阪府堺市美原区丹上270番地 |
業種 | 製造 |
設立 | 1967年 |
資本金 | 3千万 |
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従業員 | 75名 |
事業内容 | 工業用熱処理炉製造販売 |
URL | http://www.toyo-ro.com |