PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 栗原 勝 |
---|---|
会社名 | 株式会社栗原医療器械店 |
出身地 | 群馬県 |
出生年 | 1970年 |
こだわり | 厳しくも明るく楽しく |
---|---|
趣味 | 仕事、スポーツ観戦、音楽 |
休日の過ごし方 | 仕事、睡眠 |
座右の銘 | やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ |
好きな食べ物 | パスタ、ハンバーグ |
尊敬できる人 | スティーブ・ジョブズ |
HISTORY
賢者ヒストリー
1970年医療機器・材料卸の創業家に生まれました。弊社は、自宅の前にある小さな商店からスタートしたので、幼い頃は会社で働く社員に囲まれながら育ち、いつも社員の方々と接していたので、いつかこの会社を受け継ぐのかなとぼんやりと感じていました。社長の息子といえば、チヤホヤされるイメージがあるかもしれませんが、当時は商店と言われるような規模でしたので、当時を知らない方々や社員からお坊ちゃまでしたか?と聞かれることがありますが、全くそんなことはなかったです。
平成元年に父親の勧めで、東京の医療機器関連の会社に就職しました。東京では医療機器関連企業4社を経験しました。10年間東京で働き、さまざまな経験を積んだ結果、この業界で生きていけると自信もつき群馬へ帰ってきました。上京した当時の弊社の従業員数は50名程でしたが約200名になっていたこと、そして、東京で最後に勤めた外資系企業は、先進的な事業内容やスピードでしたので、伝統的なやり方で仕事をしている弊社の働き方との大きなギャップを感じたこと、その2つの大きな衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。
私の前任である現会長の伯父から、「次(の社長)はお前だ」と、いつも聞かされていました。一方で、弊社は成長を続けており、従業員数も500名を超える規模にまでなっていたので、社長という大役は無理だろうと感じていました。しかし、40歳を過ぎた頃より「家業を継ぐ」ことは宿命であると覚悟し、社長就任を決意しました。就任当時には売上高912億円、従業員数は約1,000名の企業となっていました。
関東を中心に、マスク・注射器などの消耗品から、再生医療や手術支援ロボットまで、医療の現場で求められるあらゆる医療材料や医療機器30万種以上を必要なタイミングでお届けしています。このコロナ禍において、サージカルマスク、手袋、ガウンをはじめ、様々な医療物資が不足し、医療現場にも十分に物資がお届けできない状況が続いていました。その際、「我々の事業が止まれば医療が止まる」ということを改めて痛感し、我々の存在価値を再認識することができました。
未だ終息の目途が立たないコロナ禍において、医療の現場では様々な問題が後を絶ちません。そのような状況で当社では「医療を止めない」をスローガンに、医療従事者の方を支えていけるよう事業活動を進めております。医療物資が医療の現場に届かないことを考えると、改めて当社の社会的責任を痛感せざるを得ません。また、他方では、急性期病院の減少、輸入商社の復権、IT・ロボティクス等の技術革新が医療へ参入、予防医療・再生医療、そして他産業同様、加速的な医療機器卸企業の再編による企業数の減少等、我々を取り巻く環境は、今、大きく変わろうとしています。そのような状況の中、働き方改革や、D X等にも対応しつつ、弊社はこの「生き残りゲーム」を勝ち抜いていかなければならないことも避けては通れないと思います。
挑戦し続けて下さい。自ら行動し得た経験は、皆さんのピジネス人生を間違いなく豊かにします。コロナ禍の世の中では、変化を求められ、新しい時代が始まりつつあると感じています。新しい時代を築くのは皆さんです。伝統も大切ですが、新しい時代を生きているみなさんの柔軟な発想やアイデア、若さを武器に、蹟踏なく挑戦し、私たちの想像できない時代を築いてくれることを期待しています。そして、それを楽しんで下さい。楽しむ努力をして下さい。そして、その努力をまた楽しむ。そうすれば自ずと結果は付いてきます。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社栗原医療器械店 |
---|---|
所在地 | 群馬県太田市清原町4ー6 |
業種 | 卸売・小売 |
設立 | 1952年 |
資本金 | 8,000万円 |
---|---|
従業員 | 1,301名(グループ合計) |
事業内容 | 医療機器卸販売業 |
URL | https://www.kuribara.co.jp/ |