ステイジアキャピタルホールディングス株式会社
奥村 尚樹

開拓者が見る景色

バブル崩壊後、いち早く海外不動産に目を向けた賢者。 パイオニアとして業界を指揮していくかに見えた。 しかし、海外ならではの苦難に直面する。 夢を叶える為、賢者の挑戦が始まった。

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賢者プロフィール

氏名 奥村 尚樹
会社名 ステイジアキャピタルホールディングス株式会社
出身地 北海道
出生年 1961年
こだわり 常に新しいことに果敢にチャレンジすること
趣味 世界のマラソン大会に出ること
特技 新しい環境への適応力
休日の過ごし方 ランニング・体幹トレーニング・家族との食事
座右の銘 機会を自ら創り出し機会によって自らを変えよ(リクルート社訓)
好きな食べ物 アルゼンチン(グラスフェッド)ステーキ・山椒たっぷりの麻婆豆腐
尊敬できる人 両親

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    幼少期は北海道旭川市に地方銀行員の両親のもとで生まれました。旭川から足寄(松山千春さんで有名な町)、札幌、仙台と幼少時代は父の仕事柄、転勤が多く様々な場所で過ごしました。持ち前の適応能力は、この頃から身に付き始め、仙台では小学3年次に転校早々、学級委員、その後、児童会の体育委員長、児童会長などの要職を歴任するなど、新しい環境への適応力を遺憾なく発揮し、人前で挨拶したり、人のためにリーダシップを発揮することに喜びを感じる性格はこの頃から培われて行きました。
    中学生になるとき、札幌に再び転勤したのですが、不良が多く、お世辞にも学力レベルが高いとは言えない中学ではありましたが、親の期待を背負うことに疑問を感じていない優等生だったことから、高校は迷うことなく、地元の進学校札幌北高校へ進学しました。

  • 社会人時代

    昭和59年4月に株式会社リクルートに入社、配属は、総務部人事課新卒採用担当でした。入社早々、次の新卒を採用する仕事に就くなんて、大丈夫なのだろうかと思いましたが、まさにリクルート社の成長を支えるのは人材だという江副教に自らも洗脳されました。
    当時、採用経費は青天井と言われ、入社して間もない5月ころから銀座のバニーガールのいるレストラン・バーで毎晩のように学生を口説いておりました。
    入社2年目に突如として、留学生採用担当として、アメリカへの長期出張を命じられました。当時のリクルートは、海外拠点はロサンゼルスに一人駐在員の現地法人ができたばかりで、この法人に籍を置きながら、将来のリクルートに必要な海外及びエンジニア人材を確保するという命題で、1年半ほど全米を駆けずり回りました。1年間で30名の留学生(なかには、日立製作所、IBMからの企業派遣留学生や、MITの原子力工学の博士課程学生もいました。)に入社していただけることとなり、後にリクルートがリモートコンピューテングサービスやNTTの回線リセールビジネスを展開することになるが、その強力な戦力となったことは今でも自分の大きな自信となっています。その後、リクルートではエリアプラニング事業部という部署で、安比高原などリクルートのリゾート開発を担当することとなり、当時戸張捷氏(ゴルフトーナメントプロデューサーでゴルフ解説者として有名でした)が役員に迎えられ、そのカバン持ちとして、日本、海外でのリゾート開発の案件を担当しました。この経験が将来、自分は海外で不動産開発を手がけたいと考えるようになったきっかけとなりました。同氏が語る「リゾート開発とは夢に日付を入れる仕事」というフレーズは、今でも「いつかは自分も!」と鼓舞しています。その後、リクルート事件が起こり、江副社長、戸張常務が退任したことと、私自身も新しいキャリアを身につけたいと考え、バブルの真っ只中に信託銀行に中途入社することになりました。住友信託銀行では、開発事業部で土地信託の営業や事業推進を担当。バブルとその後の崩壊を経験しつつ、国内の不動産開発業にどっぷり浸かりました。その後、突然人事部から指名で、台湾での中国語の語学研修に1年間派遣されました。1997年6月、香港支店に転勤。グレーターチャイナ(中国、香港、台湾)デスクの非日系起業の融資課長として国際ファイナンスに従事したが、その後アジア危機に見舞われ、他邦銀の破綻・清算が行われる中、住友信託も香港支店を閉鎖。自身も2000年に豪マッコリー銀行に転職し、日本の競売不動産に投資するファンドの組成を目指したが、組成目標が未達に終わったことから職を辞して、ついに香港で独立することとなりました。

  • 企業のきっかけと、その当時

    2000年に、香港で、マッコリー銀行在任中に組成が不調に終わった日本不動産ファンドを自ら立ち上げることを画策して、小さいながらも日本のマンションユニットファンドを組成しました。2002年12月から上海に移住し、中国人のパートナーを探し、現在のベターハウス上海社を創業。創業開始までは順調だったが、翌3月から上海でもSARS(重症急性呼吸器症候群)が勃発し、しばらく開店休業の日々が続きました。当初は、まず、上海に進出する企業向けの住宅賃貸仲介をメインに業務を始めました。当初半信半疑で投資していただいたお客様には結果として感謝いただいていますが、開業当初は、中国不動産のコンサルタントという肩書でスタートしたので、なかなか信頼をいただくのが難しかったということを覚えています。投資家は誰から買い、誰に管理を任せ、誰に出口を任せるか重要なのです。当社は、投資家の皆様のためにも絶対に倒産させてはいけないことを強く認識しました。

  • 現在の事業

    投資の成否は、投資した資産の管理・運用の良し悪しにかかっていると言っても過言ではありません。そのため海外不動産は、まさに投資家から離れた場所にあるということが通常です。特にその管理を行う会社が、適切にその管理を行うか、管理を行う会社を監督することが、その後の物件の価値を左右する。もちろん、マーケットと売却のタイミングによっては、期待した結果が得られないというリスクがある商品ではあるますが、しっかりと適切な管理することによって想定される期待収益を達成することも可能であります。大事な海外での資産を安心して任せていただく、むやみに拡大を目指すのではなく。確実に管理を行う信頼性の高い会社にしていきたいと考えています。

  • 今後の目標

    創業して16年目になるが、海外不動産投資という言葉自体が、かなり一般的な用語として浸透してきたと思いますが、まだまだ高額所得者や資産家の一部の資産運用手法のイメージが強いのも事実だと思います。比較的投資しやすいと言われるアジア新興国の新築マンションであっても、やはり物件価格は最低でも1000万円以上するものがほとんどなので、基本は余裕資金がある投資家の市場であるのは事実であるとも思っています。
    「すべての投資家に最適な海外不動産を提供する」というミッションを掲げている当社としましては、海外不動産を投資対象とする小口化商品の提供や、海外不動産を裏付けとするクラウドファンディング事業の立ち上げを準備しています。小口化の投資商品を用意することで、より海外不動産を身近な投資対象にしていくことが我々のミッションにかなうと考えています。

  • 日本を背負う若者へのメッセージ

    ある投資家からは、開業当初、「奥村さんのクレジットレファレンス取らせてもらいましたよ。リクルートと住友信託にそれぞれに、知り合いがいたので。」と言われたことがありました。独立して全く信用のないところから事業を立ち上げる際に、務めた会社でどういう貢献をしてきたか、最後はどのように辞めたかというレファレンスが、どれだけ大切なことか、また勤務していた会社の信用力にどれだけ助けられたか、創業時の感慨深い思い出です。
    昨今、労働市場が売り手市場の中で、若者が簡単に転職できる環境となっているが、これから新卒で社会人生活をスタートさせる人も、転職される方も、これからの人生では、どこでどのように働くかが重要になると思います。人生の最大の投資は、まさに自らの就職だと思う。どういう仲間とどういう時間を過ごすか、まさに人生最大の投資機会で最高のパフォーマンスを上げて欲しいと願っています。

会社概要

企業名 ステイジアキャピタルホールディングス株式会社
所在地 東京都港区三田3−13−12 三田MTビル5F
業種 不動産 - 不動産取引
設立 2002年
資本金 2億3,241万円
従業員 70名
事業内容 1. 海外不動産の投資コンサルティング
2. 海外不動産開発事業コンサルティング
3. 海外不動産開発事業
4. 賃貸仲介事業
5. 海外不動産アセットマネジメント事業
6. クラウドファンディング事業
7. 海外投資家向け日本不動産コンサルティング事業
URL http://www.stasiacapital.com/

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