氏名 | 久保田 智也 |
---|---|
会社名 | 株式会社久保田工務店 |
出身地 | 岐阜県 |
出生年 | 1978年 |
こだわり | 几帳面 |
---|---|
趣味 | スポーツ、旅行、グルメ |
特技 | バランス感覚 |
休日の過ごし方 | 子供孝行 |
好きな食べ物 | 焼肉 |
尊敬できる人 | 祖父、父 |
幼少時代はとても大人しい気弱な子供であったことを自分でも記憶しています。小学生高学年から友人の影響でだんだんと前に出る性格に変貌し、中学校の部活(バレーボール部)が、強豪校であったこともあり、当時の先生や先輩からの厳しい指導のもと根性を鍛えられました。その後、高校では好奇心を培われ、大学時代に開化。何でもやってみたい、好奇心旺盛な性格になったのはこの頃です。東京の大学に進んだことで、生活環境や出会う人の層も格段に拡大し、価値観が一気に多様化しました。海外に強い憧れもこの頃に目覚めました。常にそこには友人に代表される人の存在があり、人との繋がりのおかげで、今の自分が形成されていると思います。
修行で8年間お世話になった岐建㈱様のおかげで、社会の厳しさ、姿勢、モチベーション、成長意欲、ありとあらゆる社会人としての基礎を学びました。特に入社2年目でお世話になった新東名を構築する静岡県富士市での工事や岐阜県美濃加茂市でのバイパスを新設する工事では、仕事だけで埋められた毎日を過ごし、スキルもメンタルも加速度的に鍛えられました。また自宅を離れ、同僚の方々との遠方での共同生活を送りながらの仕事では、仲間と共にものを造り上げる喜びや協調性、バランスを身につけさせて貰えたと思っています。今でも県内で有数の大会社である岐建㈱様と良好な関係を保たせて貰えていることに幸せを感じていますし、OBであることに誇りを持っています。
祖父が創業した会社を父の跡継ぎという形で継承させて頂くつもりで入社しました。ぼんやりと10年くらい修行させて頂いた後に自社へ入社するつもりでしたが、当時は建設業界が一番冷え切った時代でして、修行の自分がいつまでもお世話になるのも申し訳無いとの思いから、少々前倒しで修行を終え、入社しました。もっとも注力したことは、県内大手企業での修行した経験を表に出さないことと、自分が社長の息子であることを周りに感じさせないことです。そういった部分を表に出さずしての改革に一番、力を注ぎました。
72年という歴史を繋げて頂いてきた企業だからこそ、主軸事業である建設業だけで満足することなく、事業の幅を拡げることに注力しています。これまで会社が存続してこられたのは、支えてくれた社員さんたちと、地域のおかげであると思っています。建設だけでは無い幅広い事業展開を行うことで、多方面において地域への恩返しをしていきたいと考えています。そして社員さんにとって会社が、ただ単に給料を得る生活のためだけの手段であって欲しく無いと思っています。人生で仕事にかける時間は膨大です。人生の充実にとって、仕事の充実は不可欠であります。社員さん、そしてそのご家族の人生が豊かになる環境を提供できる会社でありたいと思っています。
地域振興につながる事業を中心に事業の幅を拡げていくことに注力していきます。企業は間違いなく安定した経営の上に成り立つものであり、事業の量よりも幅に拘ることが更なる安定経営をもたらすと考えています。そして自社のある地域と自社を支えて頂ける社員さん達に幸せを提供できる会社づくりを進めていきたいと思っています。
将来や未来、こうなりたいと思い描くことはもちろん大切ですが、それ以上に今を大切にして欲しいです。何となく生きないで欲しい。目の前の困難や辛いことが、その後の未来にどう影響するか、矢面に立たされた時には、そんなこと考える余地も無いと思います。しかし未来、振り返って見たならば、記憶に残り、自分が語ることのできるエピソードや経験は、実はそんな時のことばかりな気がします。今の現実と向き合い、今の自分の精一杯を出しる切ることで、不思議とまた新たなステージの新たな困難を与えてもらえます。そんな想いで楽しいことも大変なことも、何でも全力で取り組む姿勢が、今、思い描く未来の理想へ一歩づつ近づく道であり、その道こそが、人生に彩りを与え、人生を豊かなものにしてくれるのだと思います。
企業名 | 株式会社久保田工務店 |
---|---|
所在地 | 岐阜県岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪521-1 |
業種 | 建設 |
設立 | 1949年 |
資本金 | 3,000万円 |
---|---|
従業員 | 56名 |
事業内容 | 公共工事を中心とした総合建設業を主軸に置きつつ、道の駅の運営など地域振興ビジネスに注力 |
URL | http://www.kubokou.co.jp/ |