KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

学校法人新宿学園 新宿調理師専門学校
上神田 梅雄

学校も
レストランと同じ

1964年に建学された新宿学園 新宿調理師専門学校。校長を務める賢者はこの学校のOB。地元岩手で運命的に出会ったのは輝く仕事の料理人。賢者は導かれ、ひとつひとつ階段を登り続け、手から手へと食文化の礎となるものを作りつづける。

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PROFILE

賢者プロフィール

氏名 上神田 梅雄
会社名 学校法人新宿学園 新宿調理師専門学校
出身地 岩手県
出生年 1953年
こだわり 人生の歩み方
趣味 山岳歩き
特技 野菜の剥きもの、氷の彫刻
休日の過ごし方 スポーツ観戦
座右の銘 一燈照隅
好きな食べ物 果物、特に柑橘類
尊敬できる人 西宮利晃、冨永秀雄、阿部弧柳先生

HISTORY

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    「貧乏人の子沢山」と揶揄されるような貧乏な家庭で育ちました。「働かざる者喰うべからず」というのが家族間の掟でした。したがって、易々と甘える訳には行かないと、自然に自覚させられて幼少期を過ごしました。兄や、姉たち、さらには弟たちと、10人兄弟の中で「実社会のミニチュア」を日々体験し、高校時代の硬式野球部活動で先輩、後輩の序列と秩序を実感しながら育ちました。実社会での適応能力は自然に培われて行ったように感じます。

  • 社会人時代

    高校卒業後の3年間、郷里(普代村)で両親が営んでいた精米・製綿所を手伝い、働いていた中で、いずれは学歴や学力が問われる事なく、自分自身の努力と実力で勝負を挑める「男子一生を賭けるに値する仕事に就きたい」と切望していました。そんな折、生まれ故郷の国民宿舎にて「板前さん」と称される調理師さんを、初めて目の当たりにし、大きな感動が走りました。「よし、プロの料理人になりたい」と、単身上京し、満20歳の時に、新宿調理師専門学校の夜間部に入学しました。

  • 社長就任のきっかけとその当時

    卒業後に本格的な実践の修業に入りました。「花の板前さん」と称される料理人を目指しての「修業」は12年間、自分の予想以上に厳しいものでした。しかし、尊敬出来る生涯の師匠との出会いに恵まれ、繋がる先輩たちに可愛がられ、後輩たちに慕われ、数々の職場で豊富なキャリアが培われ、現在の職務へと繋がっていて「打つ手は無限」という心境にさせて貰っています。そして母校より要請を受け、当校では初めての「卒業生校長」として、「後輩に当たる生徒たちの指導育成の先頭に立って欲しい」との要請を受け、卒業して36年後に着任しました。

  • 現在の事業

    12年前の着任早々から、早急な学校改革を鋭意推し進めた為、教職員の理解が進まない中の3年目、主要な教員の大多数より「校長解任クーデター事件」を招き、とても哀しい思いと、大変な悔しさを味わいました。その反省と学びの上に立って、改革のスピードを緩め、「丘の上の学校を創ろう」と教職員に呼びかけ、相互理解を確かめつつ、スタッフの意識改革を進めています。

  • 今後の展望

    「手から手へ」のスクールスローガンのもと、教職員スタッフ共々、生徒達の実践学習の場でもある「直営レストラン」の運営を軌道に乗せ、実践体験重視型の教導育成に鋭意取り組んでいきます。若者の心に、やる気の火を灯し続けることが使命だと思っています。「湿けった枕木に火を付ける」ことは大変難しいことですが、燃えたぎる熱い気持ちで、後輩にあたる生徒たちを、熱く導きたいです。授業では、「修業と修行」、「労働と仕事」、「職人は二人の親を持ってこそ本物」などの料理を仕事にする「心構え」を持たせる教導育成に力を注いでいます。

  • 若者へのメッセージ

    調理の仕事に興味を持った皆さんに先輩としてエールを送るとしたら夢を失わないでほしい、夢を描いてもらいたい、夢をおいかけてもらいたい。そして夢をつかんでもらいたいです。必ずそれに値する職業です。そこに出会えなかったら自分の一生懸命さが足りないということ。必ず夢をつかみましょう。情熱を持って。期待しています。

COMPANY

会社概要

企業名 学校法人新宿学園 新宿調理師専門学校
所在地 東京都新宿区西新宿6-5-3
業種 教育・学習支援業 - 学校教育
設立 1964年
従業員 30名(教職員)
事業内容 調理師を目指す人達に、国家資格の「調理師免許」を取得させる調理師養成施設。
URL https://www.shincho.ac.jp/
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