氏名 | 石田 友忠 |
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会社名 | 株式会社アート・宙 |
出身地 | 石川県 |
出生年 | 1950年 |
こだわり | 本物にこだわる。家づくり・食事・すべての事に本物志向 |
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趣味 | スキー、ゴルフ、美食、お酒(特にワイン、日本酒) |
特技 | プランニングのスピード |
休日の過ごし方 | ほとんど仕事、月に2回ゴルフ |
座右の銘 | すべての事に対してポジティブな考えを徹する |
好きな食べ物 | 好き嫌い無し |
尊敬できる人 | 平田照美さん(起業時に背中を押してくれた人) |
子どもの頃はよく、遊び道具を自ら手作りすることが大変好きでした。学生時代は、将来家を継ぐ気持ちがあり、PL学園建築家を選んだことが大きなターニングポイントとなりました。学園は、PL教団の中にあり、人生は芸術であると教えられます。学園は全寮制の為、朝は6時起床、夜は9時消灯、60秒準備等、軍隊的で特別な寮生活でした。学園での勉強は、建築・土木の勉強と実技を教えられました。ただ、何か問題があると、寮生全員へ処罰があり、よく10km走った覚えがあります。おかげさまで体力と気力は半端ではないほど身につきました。
初めに入社した建設事務所での勤務は4年弱でしたが、その事務所の所長がなんでも任せてくれた為、建築の勉強は寝ずにした覚えがあります。その時代の勉強や経験が、その後の人生に大変活きています。親の後を継ぐはずだったが、親との関わりが悪く、実家を出ることになり、積水ハウスに入社することになりました。それが人生における第二のターニングポイントです。積水ハウスでは、10年間、現場・設計に携わり、この10年の仕事は、次の営業職にも存分に活かされているとともに、営業職への異動が、第三のターニングポイントとなりました。当時は、現場の人間が営業職に代わる例は少なく、珍しいことでした。20年間は営業に携わり、若い社員と一緒に仕事ができたことも私にとって大きなことだったと思います。
積水ハウスという大手ハウスメーカーに在職中、会社の組織や将来の会社へ疑問が生じ、悩んでいるとき、嫁の友人のお母様である、霊能力者の方に人生相談をお願いしました。その方から「応援するから会社を辞めたら良い」とアドバイスを頂き、51歳の9月に、なんでもできるという思いもあり、新しい会社を創業しようと、積水ハウスを退社しました。積水ハウスでの営業20年間の実績と経験が、新しい仕事への自信を持たせてくれました。「大手にできない、本物の提案型注文住宅を作りたい。地元の木材、地産地消で木材を使用したい。」そういった気持ちの中、自然素材を使用した住宅、パッシブ工法(エアパス工法)に出会ったことも大きかったと思います。世界にひとつの住宅、嘘のない住宅、健康になる住宅、心が癒せる住宅、心の安全を願う住宅をつくり、お客様が生活する中で満足と感動を体感できる家づくりをしたいと思いから、創業致しました。
”最近の若者”という表現は良くないのかもしれませんが、現在はマニュアルを求める人が多く、自分で考え、自分の仕事に責任を持つ姿勢が弱い人が多いと感じています。ネット社会の弊害とも考えてしまう。自ら考え行動することができない、人とのコミュニケーションができない人も多いです。だから、相手の顔を見て、次の行動を考える、物事に敏感な感性の人、相手の不安を解決できる人、喜びを共有できる人を育てたいと思っています。また、頭で考えて行動できない人、やる前から迷って行動しない人も多く、私は常に、即行動・実践を奨励しています。何事にも貪欲な気持ち、常に前向きな態度、行動ができる人材を育てたいです。
ただの家づくりではなく、本当に胸を張って、本物の家づくりを誇りに思える社員になるよう、努めていきたいです。創業時は3人からスタートし、今は20数名の社員がいます。社員一人一人が自分の仕事に責任と自覚を持ち、そして感謝の気持ちを忘れない人材になってほしいと考えております。と同時に、そういう社員を育てていきたいです。
日本人としての誇り、日本人が相手を思いやる気持ち(おもてなし)、勤勉で真面目な性格を再度見直し、何が足りないのか、真面目に考える集団になってほしいと思います。
企業名 | 株式会社アート・宙 |
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所在地 | 三重県四日市市北町3番4号 |
業種 | 建設 |
設立 | 2003年 |
資本金 | 2000万円 |
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従業員 | 約20名(2019年6月現在) |
事業内容 | 住む人が心身ともに健康で幸せであることを願って、すべてにこだわり尽くした住宅をつくる工務店 |
URL | https://www.artsora.com/ |