氏名 | 宮本 隆 |
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会社名 | 株式会社宮本製作所 |
出身地 | 東京都 |
出生年 | 1949年 |
こだわり | Stay hungry , stay foolish |
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趣味 | 月の鑑賞 |
特技 | 地震予知 |
休日の過ごし方 | 孫に遊んでもらう |
座右の銘 | 徳不孤必有隣 |
尊敬できる人 | 河井継之助
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東京都北区赤羽に生まれ、5歳の時に埼玉県川口市に転居しました。 地元の小学校、中学校を経て、埼玉県立蕨高校を卒業しました。おもしろきこともない学生時代だったような気がします。私が高校2年生の時、父が起業して機械加工の仕事を始めました。2年生で生徒会副会長に選出され、リーダーシップの真似事を経験しました。学業の成績は平均すると「4」くらいでしたが、3年生の倫理の試験で、問題が暗記しておかないと解けない問題ばかりでした。答案用紙は白紙のままで倫理のテストに暗記問題とは何事だ、云々と書いて提出したところ、後日、裏一面に赤インクで先生の主張が書かれた解答用紙が戻ってきました。その学期通信簿で初めて赤点をもらったことが今では良い思い出です。
大学進学はせずに父の経営する宮本製作所に入社しました。高校を卒業したら父の仕事を手伝うことが、当たり前と考えておりましたから、ためらうことなく家業に就きました。下請けでいることに何の疑問も持たず一生懸命働きました。30歳でJCに入会しましたが、自分を成長させる機会を求めていた私には物足りず、2年を残して退会しました。40代から50代まではがむしゃらに仕事に熱中しました。
死ぬまで社長でいてもらうことが親孝行と思い、そのとおり父が亡くなるまで社長でいてもらいました。父は石橋を叩いても渡らない人でしたから、借金が嫌いでした。事業拡大のためには設備投資が必要と考えていた私とはよくぶつかることがありました。父は町会長を長く勤めておりましたので、40歳ころからは経営の実権は私にありました。しかし、新しい機械を導入する時には代表者の印が必要で、明日機械が搬入される前の晩に事情を説明し承諾をもらったこともありました。父から「いつまで俺を働かせるんだ、そろそろお前が社長しろ」と言われましたが、そのまま続けてもらいました。
父の跡を継いで、社長になった途端、すぐに今まで継続してきた「下請け」を脱皮したいと考えるようになりました。新会社を2社立ち上げ、そのひとつの「東京マグネシウム」という会社は、世界13カ国からマグネシウムの材料を輸入販売するマグネシウム専門商社です。もうひとつの会社は当時のトレンドであったIT関連の会社「ITコンセプト」です。中国人・韓国人・インド人を採用してソフト開発する会社でしたが、メンバーそれぞれの我が強く、まとまりの無い、成果の無い会社であったため現在は休眠状態です。2003年に下請けからの脱皮を願い、マグネシウムに特化しましたが、道のりは決して楽なものではありませんでした。しかしメーカーになるんだという強い願望を失うことなく今日までやってまいりました。
マグネシウムが持っている大きな可能性を我々のチカラで引き出して行きたいと考えております。軽量化という面だけに注目が集まるマグネシウムを、いち金属として捉えるのではなく、地球の93%が酸素・鉄・ケイ素・マグネシウムの4つの物質で形成されていることに注目し、地球から生まれた我々人間とマグネシウムのつながりを研究してまいります。昼は我が社の「ベビーマグちゃん」で洗濯し、夜はそれを風呂に入れて塩素を除去したお湯に入浴するだけで、アトピーが改善された事例が複数報告されています。認知症になるリスクを下げる食事は、「和食+野菜」が基本。プラス、マグネシウムと乳製品がポイントになります。人の健康に大きく寄与することを目指して、マグネシウムを使った新製品をこれからも作り続けます。
“Boys, be ambitious!” (青年よ、野心を持て)これは本来、「青年よ大志をいだけ」という訳ですが、私はこれを「青年よ野心を持て」と考えます。今の時代、青年はもっともっと野心をもち、その野心は、人のために何ができるかという野心であってほしいと思っております。みなさん、頑張ってください。
企業名 | 株式会社宮本製作所 |
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所在地 | 茨城県茨城県古河市水海2393 |
業種 | 製造 |
設立 | 1965年 |
資本金 | 2,550万(2017年1月 現在) |
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従業員 | 18名(2017年1月 現在) |
事業内容 | 1.マグネシウム製品製造・販売 2.マグネシウム加工 |
URL | http://www.miyamotoss.co.jp/ |