氏名 | 関根 純 |
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会社名 | スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社 |
出身地 | 東京都 |
出生年 | 1947年 |
趣味 | 色んな世代の方とお酒を飲み語らうこと |
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休日の過ごし方 | 休みがあれば北海道に行きます。 |
現在の仕事の魅力と苦労 | 「ヒューマンビジネス」としての醍醐味があります。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | これからの時代、リーダーシップがますます必要になります。自分ひとりではなく周囲の仲間を巻き込んで、成果を挙げることを意識して仕事に取り組んでほしいと思います。 |
東京で生まれ、幼少から学生時代のほとんどを浜田山で育ちました。高校は自由な気風溢れる日本大学豊山高校に進み、大学もバンカラ気質な早稲田大学を選びました。大学時代は、地方から大志を抱いて上京してきた、多くの同級生の中で「都会人コンプレックス」に苛まれ、これを打ち破ろうと晴海埠頭で肉体労働を4年間続けました。夜通し働くと日給は当時の学生バイトの10倍近くになり実入りは大きかったです。休みにはこうして稼いだ貯金を遣って北海道までヒッチハイクをしたり、東京湾から沖縄まで52時間費やし船で旅をしたり『なんでも見てやろう』(小田実著)に象徴される当時の若者を支配する自由な空気の下、たくさんの冒険の旅に繰り出しました。
大学の講義で労使問題に興味を持ち、その講師が伊勢丹顧問を務めていたことから、伊勢丹の自由闊達で進歩的な気風に惹かれ入社しました。当時は年商800億円のローカルな百貨店でした。入社後、しばらくしてメキシコ旅行中に伊勢丹の取引先の方と親しくなり、その縁で帰路立ち寄ったサンフランシスコのドレークホテルで伊勢丹の幹部社員との会食に参加しました。貧乏旅行をしていた私は夕飯にありつける、と気楽な気持ちで同席していましたが、これが私のキャリアの転機となりました。
伊勢丹では新宿本店店長を務めた後、丸井今井の建て直しを命じられ5年半札幌に出向しました。最善を尽くしたものの、経営破綻するに至り、去る人と残る人との間で大変つらい思いもしました。丸井今井での役目を終え、そろそろ引退後の人生プランを思い描くようになっていたとき、角田雄二氏と株式会社サザビーリーグ代表取締役社長森正督氏より打診を受け、二つ返事で引き受けることにしました。オファーを受けるか否かについては大変迷い、既にワコールのNo.2になられていた川中さんにも相談したところ、「こんなに面白い話はないぞ」と背中を押され、決断しました。
伊勢丹も非常に進歩的な企業風土の会社ではありましたが、現在のスターバックスはまだまだ日本出店から16年と非常に若い会社です。私の使命は、このまだ青年期に差し掛かったばかりの「スターバックス」を、いい大人に成長させることだと自覚しています。百貨店からカフェ、という不慣れな業態で、大きな組織をリードしていかねばならないということで、引き受ける際には「自分にできるだろうか」と自問自答を繰り返したこともあります。しかし、実際に入ってみると、根本は百貨店と同じ接客業。すなわち、長年に亘り、私自身が好きで魅力を感じてきた「ヒューマンビジネス」に相違なく、日々本当に楽しい気持ちで仕事に向かわせていただいています。
スターバックスのトップとしては、スターバックスを通じてどれだけ地域社会やお客さまに貢献することができるか、また若い従業員たちのキャリア形成や人生設計にどれだけ貢献できるか、を日々意識しながら仕事をしており、これが私の現在の仕事上のテーマでもあります。また次代を担う若い世代にアドバイスしたいのは、「自分ひとりでなく、仲間(チーム)を巻き込んで仕事をして欲しい」ということです。最近つくづく、仕事において一番必要なのは「リーダーシップ」ではないかと考えています。若い人たちには、周囲の人をまとめ、チームとして成果を挙げるリーダーとしての力を養うことを意識して仕事をして欲しいです。これはどんなキャリアのステージにおいても意識すべきことで、例えば駆け出しのチーム構成員時代であっても、「このチームにおいて自分に求められている役割は何だろう」と常に意識しながら仕事をすることで、大きな力が養われるものと考えています。
企業名 | スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社 |
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所在地 | 東京都渋谷区神宮前2-22-16 |
業種 | 飲食店・宿泊 - 一般飲食店 |
設立 | 1995年 |
資本金 | 8,471百万 |
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従業員 | 1,840 |
事業内容 | コーヒーストアの経営/コーヒー及び関連商品の販売 |
URL | http://www.starbucks.co.jp/ |