氏名 | 出井 伸之 |
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会社名 | クオンタムリープ株式会社 |
出身地 | 東京都 |
出生年 | 1937年 |
趣味 | ゴルフ、読書、映画鑑賞 |
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心に残る本 | 生命を捉えなおす-生きている状態とは何か(清水博著) |
尊敬する人物 | 三村明夫 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 今の日本の若い方は元気がない人が多いです。中国に行って若い人がこれからやろうと意識満々なのを見ると少しガックリくるくらい元気のない方が多いです。どちらかというと女性の方が元気がいいと感じます。日本の男性が頑張ってくれることを祈ります。頑張ってください。 |
幼少のころからリーダーシップがあったわけではありませんでした。どちらかというと内気でおとなしい性格でしたが、思ったことをズバッと口にするところは昔からあったようです。小学2年のときから始めたバイオリンでは第二バイオリン、野球チームでは二番投手と子供の頃は二番手の立場が多かったです。大学4年のとき、ソニーに魅力を感じていた私は、当時の社長である井深さんに会いにソニー本社に就職の書類を持って行きましたが、当然会ってもらえるわけもありません。人事部長が対応してくれたのですが、私は「もうちょっと偉い人はいませんか」と言って井深さんと副社長の盛田さんに会うことができました。私はヨーロッパで働きたいのでこの会社を選びたいと言ったところ、明日から実習に来るように言われ、次の日から早稲田の制服を着たまま毎日実習に行き、翌年に入社しました。
入社したら留学したいという要望を受け入れてもらっての入社でしたので、最初の配属は輸入の部署でした。入社2年目にジュネーブに休職して留学をしましたが、当時ヨーロッパで事業を拡大していたソニーがソニーフランス設立をきっかけに、私は会社に呼び戻されました。40歳のときにオーディオ事業部を任されました。そのきっかけはソニーを辞めると言ったことからです。自分で会社を作るために辞めようと決意した際、辞める前に言いたいことを言おうとオーディオ事業部を任せてもらえるなら辞めないと話したところ、本当に事業部長になってしまったのです。ソニーはもともと技術者の集団でしたので、文系出身の私が事業部のトップに立つということで内部に反発が起きました。しかし私は気にせず、覚悟を決めて事業部長を務めました。
ソニーの社長就任はまったくの予想外のことでした。ちょうど競合との製品競争で右往左往しているときに前任の大賀さんに呼ばれたのです。また怒られるのかなと思っていたら「お前を今度社長にする」と言われ、冗談だと思っていました。私はもともと会社を客観的に見ており、良いところも悪いところも見てきたので、この会社の社長をする人は大変だろうなと他人事のように見ていたのに、まさか自分がすることになるとは思ってもいませんでした。人と違った視点から見て意見や提案をする点と上層部の方にも平気で意見を述べる点が評価されてルールブレイカーとして選ばれたんだろうと考え、思い切ってやろうと決意しました。その後10年間社長を務め、後任へその責務を継ぎました。退任後、新しい視点で社会に貢献できることはないか、自分に何ができるかを考え、会社設立に至りました。
ソニーを辞めて気になったのはやっぱり日本の弱さでした。グローバル企業は国のことよりも自分の企業のことを考えるので、ソニーというグローバル企業にいたときはそう感じることはありませんでした。今後は、日本はアジアと共同でビジネスをしていくことが大事だと考えています。日本に新しいあっと気がつかせるような、小さくても蜂の一刺しみたいな話題になることを提供していきたいです。中国と日本との本当の架け橋になれるプロジェクトをやりたいと思っています。クオンタムリープはいわば知識社会のナレッジホールディングスのようになり、プロジェクトごとに専門の能力を持っている会社に参加してもらって何か面白いプロジェクトをやっていきたいです。
企業名 | クオンタムリープ株式会社 |
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所在地 | 東京都港区赤坂9-5-12 パークサイドシックス502 |
業種 | その他 |
設立 | 2006年 |
資本金 | 1億円 |
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従業員 | 86名 |
事業内容 | 企業変革支援事業、ベンチャー企業支援事業、イノベーションコミュニティ事業
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URL | http://www.qxl.jp/index.html |