株式会社メニコン
田中 恭一

歴史を作り出した男

お世話になっている人も多いであろうコンタクトレンズ。これを日本で初めて商業化したのがこの会社だ。竹細工の父のもとに生まれた賢者は、小さい頃から手先の器用さとモノづくりへの情熱を持っていた。この映像を通して、モノづくりの素晴らしさはもちろん。情熱を持ち続けることがどれだけ大事なことかを知ってもらえるはずだ。ちなみに賢者の後ろに映っているだるまの絵は本人の作品だそうです。

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賢者プロフィール

氏名 田中 恭一
会社名 株式会社メニコン
出身地 愛知県
出生年 1931年
こだわり 無から有を創造する楽しさ
日本を背負う若者へのメッセージ 「壁にぶつかったらどうするか」と良く若者に聞かれます。「本当に硬い、コンクリートの様な壁なのか?」と逆に私は尋ねます。実はあなたの頭の中で考えているだけで、実際は壁でもなんでも無かった、という事がほとんどだからです。自分の固定概念に捉われず、どんどんチャレンジして欲しいですね。

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代について

    竹彫作家の父の元に生まれ、ものづくりが身近な存在にある環境で育ちました。戦時中には手先の器用さが買われ、軍需工場で働いた事がその後のものづくり人生の基盤となったのだと思います。

  • 社会人時代について

    軍需工場時代、たまたま私の上司に就いたのが、たまたまその工場で一番技術のある人だったのです。その人に1から10まで、全ての技術を教わりました。そして戦後は眼鏡店で働く事になり、軍需工場で培ったも経験を活かしてつくる眼鏡は「独創的だ」と、とても人気を博しました。その眼鏡店の常連のお客である将校夫人との出会いが私の人生のターニングポイントだと思います。将校夫人が持っていたのは、聞いた事はあるが、見た事も無い、眼鏡とは違う、そうコンタクトレンズでした。即作りたくなりましたね。アメリカにできるなら日本でもつくれるはずだ!と私のものづくりへの序湯熱が沸き起こりました。そこからは試行錯誤。目に入れるだけしか分からなかった状態でしたので、どういう材料を聞き回り、聞いて情報を得たら即行動。なにがなんでもやってやる、その一心でした。全くの未知への挑戦でしたが、スピードを意識した結果、3ヶ月で開発する事ができました。

  • 起業のきっかけ

    眼科医とともに日本で発の商業化に成功しました。それを機に、メニコンを創業。他社に扱う会社が無かった事もあり、非常に強い引き合いを受け、順風満帆のスタートでした。もちろん、その後ライバルも後を追って出てはくるものの、常に何かやろうと思ったときには、他がやってない事をやろう、という精神で、独自の技術で差別化を図り、革新的な商品づくりを心掛けました。

  • 今後の目標

    私は仕事が楽しいです。今も、初めの頃からもずっと。原点はものづくりの楽しです。これは一生続いていくでしょうね。

会社概要

企業名 株式会社メニコン
所在地 愛知県名古屋市中区葵3-21-19
業種 製造
設立 1957年
資本金 17億6934万円
従業員 1,089名(2014年3月現在)
事業内容 コンタクトレンズの開発・製造・販売、コンタクトレンズケア用品の開発・製造・販売
URL http://www.menicon.co.jp/

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