PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 横山 久吉郎 |
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会社名 | 株式会社久月 |
出身地 | 東京都 |
出生年 | 1948年 |
こだわり | 食べもの、ファッション、人形にはこだわりがあります。 |
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趣味 | 小唄、釣、美術鑑賞、ゴルフ、カラオケ、旅行、ギター演奏(社内バンドで活動) |
特技 | アイデアマン、企画力・行動力 |
休日の過ごし方 | ショッピングに行く |
座右の銘 | 「たゆまざる 歩みおそろし 蝸牛」(北村西望) |
心に残る本 | 『坂の上の雲』司馬遼太郎 |
尊敬できる人 | 児玉源太郎 |
現在の仕事の魅力と苦労 | 企業が生き残るために、また時代に合わせた商売をするために、新しい事にチャレンジしなくてはいけません。しかし、人形本来が持っている良さを変えないことが大切です。その狭間、ギリギリのところで勝負するおもしろさと魅力があります。卸業ではトップ。しかし、文化を伝える伝道師、人形が好きな社員がどれだけいるか、この点では、トップと言い難いのが実情です。この二面でトップになるための教育の難しさ、苦労を感じています。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 大企業だけではなく、中小企業にも光った会社はあります。そこで、自分を賭けてみるのもひとつの方法と言えるでしょう。今を大切にしてください。若い時にしかできないことがあります。その時にしか得られない感動があるのです。また、久月は常にチャレンジし続けています。皆さんもどんどん新しいことにチャレンジしてください。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
小学校の担任の先生からは「おっちょこちょいの勉強家」と呼ばれ、おとなしいけどユニークですぐ人を笑わせる少年でした。小学校卒業時の身長が147cmと特別大きいわけではありませんでしたが、高校卒業時には185cmと、大きく成長しました。勉強の方は、特別に良かったわけではありませんでしたが、中~高校で上位には位置していました。大学では、「企画研究会」でホテルを借り切ってダンスパーティを開いたり、バス旅行を企画したりさらに、3年の時には、飛行機一台をチャーターして36日間の欧州旅行を企画し、120名を集めたこともありました。今から思えば無茶なことをしていた学生時代でしたね。
卒業後は富士銀行に入行。丸の内支店の資金部門に勤務した後、「そろそろ帰ってこい」という父親の一声で同行を辞め、1974年に久月に入社。入社して、すぐ仕入部に配属されました。何しろやることがなく、時間だけあったので仕入先を洗い出し、そのことが予算制度導入に繋がりました。1年後に総務部に行きたいと願い出て、総務での賃金システム、マネキン導入等、経営の近代化を図りました。時流に流されずに本業を守る「貫く経営」蟹は甲羅に合わせて穴を掘り、この考えが経営哲学とし息づいています。さらに、「礼儀正しく、まじめに、努力せよ。」は社是として、久月のモットーになっています。
社長に就任する以前から、副社長としてほとんどの案件を決裁しており、特にきっかけはありません。
「心の和の創造」をモットーとして経営にあった6代目の意志をついで、次代を担う若手人材の育成、きめ細かな営業ネットワークの構築、久月ブランドの全国への浸透、を課題としてスタートを切りました。この年は、阪神淡路大震災があり、持ち前のリーダーシップと行動力を発揮し、日本人形協会の専務理事として会員をとりまとめ、陸上手段がない中、自衛隊と協力してヘリコプターで3つの学校に行き、ひな人形を飾りつけ、被災地に笑顔と元気を届ける等の支援に務めました。この、リーダーシップと行動力こそが今の久月が業界の地位を不動のものにしている原動力です。
200年・300年と続けるには、それは消費者が決めることです。ですから、お客様が納得するものを作ります。そのために、人形に対してうるさく物申していきたいと思います。そして、その風土を次世代にバトンタッチする事が私の役割です。人形は手作りのため、多品種小ロット。必要な商品を必要な時に必要なだけ用意する。これは永遠のテーマであり、目標です。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社久月 |
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所在地 | 東京都台東区柳橋1-20-4 |
業種 | 卸売・小売 |
設立 | 1950年 |
資本金 | 3750万円 |
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従業員 | 130名 |
事業内容 | 人形の製造問屋 |
URL | http://www.kyugetsu.com/ |