PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 神山 重子 |
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会社名 | 株式会社日本土地建物 |
出身地 | 栃木県 |
こだわり | コミュニケーションを大事にすること |
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趣味 | ゴルフ |
休日の過ごし方 | ゴルフ、旅行、ジムで筋トレ、犬の散歩等 |
座右の銘 | バラ色の人生 |
好きな食べ物 | 納豆、豆腐、鶏むね肉 |
尊敬できる人 | 福澤諭吉 |
HISTORY
賢者ヒストリー
両親の飲食業の忙しさから0歳から小学生5年まで祖母に育てられ、幼少期は友人と公園で遊ぶ日々を送りました。将来の夢は漫画家で、絵も上手でストーリーも創作していました。高校合格祝いで初めての海外旅行を経験し、叔母の暮らすアメリカに憧れを抱きました。しかし、アメリカ留学の経験から、裕福な生活とのギャップに失望し、アメリカ移住の夢は破れました。
街を歩いて建物を眺めるのが好きで、また小学生のころから新聞の不動産のチラシの間取り図を見るのが好きでした。当時はバブル真っ只中で、やたら不動産屋さんが羽振りが良くて不動産は儲かるんだなと思い、また、職種は営業職しか考えておらず、どうせ売るなら一番高いものを売りたい!と思い不動産業に従事しました。ニッティ時代は当時宅建手当てが7万円というところに惹かれて入社しました。バブル崩壊後の不況で大変な時代でした。電車よりも効率が良いので、125CCのバイクに乗り営業に回っていました。長谷工時代ニッティに4年半も務めていたら、根性があると役員面接で当時副社長に言われ入社しました。リゾート部門と法人仲介等を担当しました。今もニッティや長谷工の人たちとゴルフやリゾートに宿泊したりと親睦を続けています。大切な仲間です。
会社勤めでは愛犬と一緒に過ごせないため起業しました。毎期黒字を達成するなど成長し続けてきた同社の始まりは、神山代表が一人で立ち上げた7坪のワンルーム事務所でした。「会社勤めをしていたときは、忙しくてあまりプライベートな時間も取れなかったので、ゆっくりと自分のペースで働きたいと思いました。最初は特に 大きくするつもりはなかったのです。当時は電話とファクスさえあれば、不動産会社を開業できたので、自分一人で食べていけるくらいの仲介手数料は稼げました」と振り返る。しかし、持ち前の堅実さで顧客が増え、「一人じゃどうにもこうにも回らなくなっちゃった」と 1人、2人と社員を増やし、10年前から新卒採用もスタートし、2024年には新卒9期生として、7人が入社しました。
共存、共栄、共生を重視し、自らと周囲の人々が実り豊かな人生を歩むことを願っています。社員の成長は会社の成長と考え、積極的に人材育成に取り組んでいます。特に、不動産再生事業に注力しており、リーマン・ショック後に一棟収益不動産のリノベーションに取り組むことで困難な時期を乗り越えました。遊び心溢れるリノベーションは、外装も内装もポップな雰囲気であり、若者にも人気です。以前、人気YouTuberがリノベーション物件を気に入り、入居したことも話題になりました。
今後は不動産業以外への進出も視野に入れています。長く付き合いのあった不動産会社の社長が高齢になったため、M&Aでその会社を譲り受けたのですが、M&Aで新たな事業を展開していきたいです。最近は、異業種の方とも定期的にお会いできるようなイベントを開催していますので、飲食やホテル業など不動産業に関わらずどんどんチャレンジしていきたいです。一つとして同じ物件がないところが一番の魅力です。新たな事業にも興味はありますが、自分が大好きな不動産という既存の事業にも、今後さらに注力していきたいです。
無難な人生ではなく、失敗を恐れず様々なことにチャレンジしてほしいです。アイデンティティを確立してその他大勢ではなく、唯一無二の存在になってほしいです。どんどん海外に出てグローバルに活躍してほしいです。今年いっぱいは娘が大学受験を控えていますので海外には行けませんが、受験が落ち着いたら世界中を訪れ、新規事業のヒントを得る旅に出たいです。いくつになっても夢を持ち続けてください。誰よりも一生懸命夢に向かって頑張れば夢は必ず叶います。生涯学んでください。仕事に対しても常に「問い」をたてて学んでください。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社日本土地建物 |
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所在地 | 東京都中央区銀座6-10-1 GINZA SIX10F |
業種 | 不動産 - 不動産取引 |
不動産 - 不動産賃貸・管理 | |
設立 | 2003年 |
資本金 | 3,000万円 |
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従業員 | 33名 |
事業内容 | 不動産の売買、賃貸、仲介、管理 |
URL | https://www.j-tochi.co.jp/ |