PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 西村 聡 |
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会社名 | 株式会社流機エンジニアリング |
出身地 | 神奈川県 |
出生年 | 1975年 |
こだわり | 有意識で生きる |
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趣味 | 子育て、コーヒー屋さんめぐり、フットサル |
特技 | イノベーティブな方と出会える |
休日の過ごし方 | 子育て、年数回はフィッシング |
座右の銘 | 最高の時と生きる |
好きな食べ物 | エシカル食品全般 |
尊敬できる人 | 父、妻 |
HISTORY
賢者ヒストリー
少年時代はサッカー小僧でした。中学では副部長、高校では部長を務めチームを牽引。弱小チームでしたが、サッカー愛は他のチームよりもあり、我武者羅に戦う姿勢は他チームの顧問の先生にもよく褒められたものです。肉体面、精神面は部活で鍛錬したと思います。学生時代は社会に興味があったこともあり、飲食、コンビニ、解体工事、土木工事、建設工事、交通量調査、アパレル、イベント運営等、数多くのアルバイトをしました。今でも業界、業種ごとの共通言語や作法など、経験してきたことが活かされています。
私は仕事の主戦場が現場でした。製作物を現場へ納品し、設置作業、トラブルシューティングに努めました。今では考えられないでしょうが、スマホやメール、カーナビさえ無く、マップル(道路マップ)を数冊持参して行動してました。トラブル時には、現場で発生している詳細も分からず、まずは現地に行くことが重要でした。状況確認後に持参した手工具、材料では賄えない場面も多く、近くのホームセンター(片道1~2時間はざらにありました)で資材等を調達するか、お客様にお願いして使用できそうな物資を御支給いただいたりと、不具合を解決するためにワンチームになって取り組んでいたことが、私自身のユーザビリティを高める提案の観点に繋がっています。
私は元々事業承継者ではなく、既定路線で事業承継は兄が引き継ぎ4代目の社長となりました。私は経営幹部として主に新事業開拓に従事。会社組織では、「トップダウンから組織型へ」の変革を計画、実行者の一翼を担いました。しかし、その兄が病に侵され入退院を繰り返し逝去した事で、急遽社長を引き継ぐこととしました。兄の入院期間中に副社長になり、最悪のケースを想定して経営体制、心の準備はしておりましたが、何よりも社員、ステークホルダーの不安感への対応に注力していたと記憶しています。
社員一人ひとりが社会とつながっている、貢献できていることを実感、感謝し、凛として活動している環境づくりに注力してます。社会で生き、生かされるためには、利己より利他。自己実現という、高度な欲求を満たすため、その先にある欲の無い思考へ高めるため、未来を想像し、今やるべきことに努力を惜しまない。その様な状況が継続されている場所にしたいと考えています。時代の流れにも寄り添いながら、私たちは2026年の50周年に向け、「SDGsに関するフィルターイノベーションを展開し、環境課題を解決する」という将来の理想の姿を掲げ、研究開発、マーケティングの強化、独創的な製品、技術、サービスの提供に取り組んでいます。これからも新たな価値を提案し続ける会社でいるために、独自の発想で、感動と喜びを創造し、「持続的なイノベーション」で世界に貢献して参ります。
当社はローテクの会社です。日々トライ&エラーを積み重ね、今日より明日、明日より明後日の仮説提案のレベルを実経験よりアップデートしています。この積み重ねこそが最大の強みとなっており、これからも独創的なアイディアで差異化された製品やサービスの開拓に努力し、邁進して参ります。
今、皆さんが存在していることは奇跡的で、すばらしいことです。人との縁を大切にし、謙虚さを持ち、自身の成長機会を逃さぬ様、過ごしてください。やりたいこと、やるべきことを考え、一歩踏み出しましょう。社会の仕組みやルールを理解し、外部環境変化に振り回されず、地球の為になることを一つでも多く行なってください。時間には限りがあります。またいつ死ぬかもわかりません。マインドフルネスも大切です。人生を豊かに過ごすためにも無意識や人のせいにするのは止めましょう。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社流機エンジニアリング |
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所在地 | 東京都港区三田3-4-2 いちご聖坂ビル |
業種 | 製造 |
設立 | 1977年 |
資本金 | 4,000万円 |
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従業員 | 170名 |
事業内容 | 航空宇宙、建設現場、各種工場へ、集塵、換気、水処理、プラント、環境試験設備の販売やレンタル |
URL | https://www.ryuki.com/ |