PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 樋口 朋幸 |
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会社名 | 株式会社S・T・R |
出身地 | 新潟県 |
出生年 | 1979年 |
こだわり | 毎朝の勉強、コミュニケーション |
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趣味 | 野球、筋トレ |
特技 | 野球、水泳 |
休日の過ごし方 | ゴルフ、水泳、ウォーキングなど |
座右の銘 | ありがとうが作り出す幸福 |
好きな食べ物 | 日本料理 |
尊敬できる人 | 渋沢栄一 |
HISTORY
賢者ヒストリー
新潟県で生まれ、幼少期から野球に熱中し、高校卒業後はスポーツ推薦で國學院大学へ進学しました。しかし、大学2年時に怪我で選手としての道を断念。その時、野球での就職は難しいと感じました。そこで、グラウンドマネージャーとして裏方に回り、チームメイトを支える役割に転じました。この経験から、人を支えることの尊さとチームワークの大切さを深く学びました。とにかく人の役に立ちたいという思いを胸に、残りの2年間を全力で取り組みました。裏方として過ごした2年間で、選ばれた選手のために何ができるかを常に考え、相手を思いやる気持ちを強く感じました。この経験は、社会に出た今でも、人との関わりの中で活きていると強く感じています。
大学卒業後、私は複数の職を転々としながら、自分の軸を探していました。27歳の時、知人の紹介で運送業界に入り、ここから人生の歯車が回り始めました。最初は全くの素人でしたので、まず日本地図から勉強し、市町村や県庁所在地を覚えました。先輩方には厳しく叱られることもありましたが、私はそれを敵対心ではなく、私の成長を願う指導だと受け止めました。その結果、2~3年経った頃から自分の力が発揮できるようになり、叱られたことを素直にプラスに受け止めたことが良い方向に繋がったのだと思います。約4年の下積みで実績も安定し、確かな手応えを掴んだ後、私は起業を意識し始めました。
27歳で運送業界に入ってから、新潟県で父が立ち上げた会社の運営にも携わり、関東での運送業と並行して経営の予行演習を始めました。しかし、令和元年4月に父が他界。父の夢を背負い、翌月24日には「STR」を設立しました。会社名の最初の文字は、父の名前のイニシャルです。父を亡くした悲しみに暮れる間もなく、車両の確保や駐車場探し、資金繰り、取引先の移行など、急ピッチで会社設立に邁進しました。実務の山に追われる日々でしたが、長年の付き合いがある既存顧客や、旧知の仲間たちの助けもあり、不安定だった経営は徐々に軌道に乗り始めました。これは、運送業界に入ってから築き上げた仲間たちのおかげです。
弊社は、2トン、4トン、10トントラックを使い、日用雑貨や工場間の原料、部材、イベント関連品、化学品などを、関東圏内から長距離まで運んでいる運送会社です。中小企業ならではの機動力を活かし、小口チャーターや急な案件にも柔軟に対応し、丁寧な取り扱いと密なコミュニケーションで確実な輸送を提供しております。大手の会社では、ある程度決まったルールがあり、自由に輸送ができないといった制約があるかと思います。しかし、弊社は中小企業として、まずは「お客様のニーズに応える」ことを目標に掲げており、融通が利くことが強みだと考えております。
大切なお客様の荷物を丁寧に扱い、安全な輸送を心がけて業務に取り組んでおります。
運送業は、野球と同じで、一人では成り立ちません。STRで働いてくださる皆さんの人生の1ページを、私はお預かりしていると思っています。そのページをいかに良いものにするか。そのためには、私の力はもちろん必要ですが、皆さんの力も不可欠です。僕個人としての目標は、皆さんに「STRにいて良かった」と心から思っていただけるよう、感謝の気持ちを込めて、また皆さんの人生の貴重な1ページを素晴らしいものに導けるような人間になりたいと思っています。
私はよく夢を見て仕事を選んできました。なりたい職業がプロ野球選手だったからです。しかしプロ野球選手にはなれませんでした。そこで私は視点を変え「なりたい自分」を見つけることに気づきました。「なりたい自分」に気づいて自分で考えていくと数々のお仕事が浮かび上がってきます。それにあてはめ「こういう仕事がしてみたい」とかそういった気持ちで探していった結果今の仕事にたどり着きました。皆さんも必ず夢はかないます。だから一緒に頑張っていきましょう。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社S・T・R |
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所在地 | 埼玉県草加市原町3-6-9 |
業種 | 運輸 |
設立 | 2019年 |
資本金 | 300万円 |
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事業内容 | 一般貨物自動車運送事業。第一種貨物利用運送事業(チャーター便、混載・積合せ便、PM便)。 |
URL | https://strcorp.jp/ |