PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 小泉 星児 |
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会社名 | 大阪ラセン管工業株式会社 |
出身地 | 兵庫県 |
出生年 | 1979年 |
こだわり | 慌てず急いで行動する |
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趣味 | 魚釣り |
特技 | カラオケ |
休日の過ごし方 | ペットと戯れる |
座右の銘 | 済んだことは仕方ない |
好きな食べ物 | 明太子 |
尊敬できる人 | アルフレッド・ラッセル・ウォレス |
HISTORY
賢者ヒストリー
兵庫県芦屋市に生まれ、4歳の頃に神戸市東灘区に引っ越しをしました。小さい頃から生き物が大好きで、生まれ育った土地は自然豊かだった事もあり、虫取りや川などで外で遊んでいました。父は礼儀作法や言葉遣いにはとても厳しかったです。学生時代は中学2年生までは剣道部に所属し、その後生物研究部に入部しました。生き物が好きだった事もあり入部しましたが、最初はほとんど参加していませんでした。高校の時は応援団にも所属していたのですが高校1年生の時に出会った生物の先生の影響で生物研究に深く興味を持つようになりました。そこから真面目に研究をし、論文を書くまでになっていました。大学は経済学部だったのですが、よく高校の研究室に行き研究を続けていました。経営する上で必要な理論的思考はこの時の経験で培われたと思います。また、済んだ事は仕方がないという座右の銘も生き物を日頃から相手にする経験から学びました。
父は大阪ラセン管工業とは別に芦屋で不動産の会社も経営しておりました。大学卒業後はその不動産会社に入社しました。入社してすぐ、経営に携わっていました。5、6人の会社でしたので、入社して間も無く全ての業務を任されており、時には家賃を滞納している方がいたら督促しに行き、物件が雨漏りした際は原因究明のために1ヶ月以上住込みした事もあります。その経験により建物に関しての知識は勿論、社会人としての基礎を学びました。その後紆余曲折あり、2010年1月に大阪ラセン管工業で働き始める事になりました。そこから2年間は現場と経理部で仕事内容を学び、2015年1月に代表取締役に就任しました。
大阪ラセン管工業で働き始めてすぐに、父が肝臓ガンである事が発覚しました。その時は初期段階だったため、手術をし、すぐに退院をしたのですが再発し2度目の入院となりました。その後も入退院を繰り返すようになり、担当医から余命6ヶ月を宣告されました。その事実は本人には知らせず、安心して治療に専念できるよう、事業承継の準備を急いで行いました。本来であれば40歳になったタイミングで社長に就任する予定でしたが、5年早くその時が訪れました。5代続いた会社を更に成長、飛躍させたいという信念があったため動揺する事はありませんでした。
業界の固定概念に捉われていると、技術革新は成しえません。そして開発におけるトライ&エラーの中で不具合を不具合として片付けない努力を続けることが大切です。どんな些細な欠陥だとしても見つかれば徹底的に原因を追究します。ある製品がダメならまた新しい製品を作ればいいという発想もあるようですが、それは絶対にいけません。良いモノができたらその商品をブラッシュアップしてさらなる新しい製品に着手する。不具合があれば追及、改善し成功に繋げることこそが本当の意味での技術革新だと私は思います。私たちがやるべき事は世の中にない唯一無二の製品を生み出し、技術の進歩を広く知らしめることです。そうした挑戦が新しい産業の一助となるきっかけを作っていきたいと考えています。
勇気を振り絞って挑戦するというよりは、当たり前のことを当たり前のように続けることが大切です。製品開発にしても、技術の改善にしても続けられなければ挑戦とは言わないと私は思います。会社の規模拡大や売上を第一優先にするのではなく「世界に大阪ラセン管工業あり」と言われるような圧倒的な品質を保持することを目指します。
起きてしまった事をいつまでも悩んでも仕方ありません。その考えている時間が勿体ないです。リカバリーできないようであれば切り替えを早くし、新たな挑戦をする事で今までみえなかった世界がみえるようになります。
COMPANY
会社概要
企業名 | 大阪ラセン管工業株式会社 |
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所在地 | 大阪府大阪市西淀川区姫里3-12-33 |
業種 | 製造 |
設立 | 1937年 |
資本金 | 8,000万円 |
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従業員 | 115名 |
事業内容 | フレキシブルチューブとベローズの製造と販売 |
URL | https://www.ork.co.jp/ |