KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

株式会社松野金型製作所
松野 行秀

父の工場が、
嫌いだった。

1968年大阪生まれ。町工場の次男坊として、多忙な父の背中を見ながら育った。幼い寂しさから、後を継ぐどころか「工場は嫌いだ」とたてついた。そんな賢者を引き戻したのは、26歳のある日のできごと。

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PROFILE

賢者プロフィール

氏名 松野 行秀
会社名 株式会社松野金型製作所
出身地 大阪府
出生年 1968年
こだわり 何事にも手を抜かない!
趣味 スポーツ観戦、旅行
特技 コミュニケーション能力
休日の過ごし方 ランニング、山登り、日本酒巡り
座右の銘 万能一心
好きな食べ物 お刺身の炙りもの
尊敬できる人 松下幸之助、稲盛和夫

HISTORY

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    当社は私の父が創業し、その頃私は7歳でした。父は根っからの仕事人でしたので、創業間もない頃は父に連れられて工場によく遊びに行きました。「お父さんは何かモノを作る会社をしているんだ」ということはわかっていましたが、それが子どもにとって面白いわけではありませんでした。当時小学生だった私は一番父親に遊んで欲しい時期で、父に「遊んで」と言っても「仕事があるから」とテレビやお菓子を与えられるだけで遊んでもらった記憶がなく、次第に工場へ遊びに行く機会も減っていきました。気難しい父とは歳を重ねるにつれ、言葉を交わすこともほとんどなくなり、その後兄が当社に就職したこともあり、大学卒業後は別の会社に入社しました。

  • 社会人時代

    大学卒業後、関西松下システム(現:パナソニックコネクト)に入社しました。前職では営業職として働かせていただき、当時の社長であった方は、白髪でダンディーでかっこよく、朝礼のお話もとても上手で、「私もいつかこんな男性になりたい!」と初めて思いました。そんなある日、父と松野金型製作所の事で大喧嘩になり、その半年後、突然父が私のところにやってきて、土下座をして入社を頼んできたことが当社への入社のきっかけでした。ワンマンな父がそんなふうに頼むので、本当に驚きました。一方、私は当時26歳。「これから会社員としてもっと面白い仕事ができる」という時期で、結婚も決まっていました。当然、金型に関する知識があるわけではなく、随分と悩みました。しかし、家族と会社のために自分の力が役立つならと、入社を決意しました。入社当時から優秀な技術者が多く在籍していましたが、個人が身につけた職人としての経験や勘に頼り切っており、マイルールで仕事をする方が多かったので、組織として戦うことの大切さを泥臭くも必死で説きました。

  • 社長就任のきっかけとその当時

    松野金型はもっとすごい会社になる!と感じながら現場修行をしていた入社3年目のある日の出来事でした。それは当社の年間売上約4億円のうちの半分を占めていた取引先様が会社更生法の適応を受け、連鎖倒産という危機に陥りました。事業継続のため、銀行を交えて話し合った際に「社員を半分にするか?家を建てることを諦めるか?」という選択を迫られました。長く会社を支えてきた優秀な社員を見捨てるという選択肢は毛頭なく、私は「自分が家を諦めるから、何とか力になってほしい」と申し出ることで支援を受け、それをきっかけに本格的に営業活動に乗り出すことになりました。その後過去の営業経験を生かせたこともあり、2年間で全国約400件のユーザー訪問をした結果、会社更生法を受けた当時の売上の全てを取り戻し、以後も増収増益をし続けることができました。その功績から社長に就任させていただきました。このような結果になったのも、銀行の支店長がお尻に火をつけてくれたことであったり、社員や取引先様の支えがあってのことだと思っています。

  • 現在の事業

    当社は自動車のカーオーディオなどのプラスチック精密金型の設計、製造し、オールジャパンの高性能・高品質にこだわっています。例えば、中国製の安い製品については100分の2~3ミリなどの少しの誤差でも許されることが多いですが、国産などの高い製品については、100分の1ミリ以下の精度を求められます。その精度領域になると機械では追いつけず、人間の手による管理、監修が必須になってきます。その点でいうと当社の社員の技術力は非常に優秀であり、会社だけでなく、国の宝です。だからこそ、伝承し続けていかなければならないです。そのために現在工程管理や評価基準の明確化に注力しており、カメラ、テレビ会議の設置による全工場の見える化&動画による遠隔教育をし、こだわりや価値を理解してくれる方々と一緒になって、日本の技術や存在価値を説いていくことが使命であると考えています。

  • 今後の展望

    大不況などの紆余曲折、苦節苦難もありましたが、社員をはじめご縁のある皆様の支えもあって乗り越えてくることができました。しかし現状に満足せず、製造業としては少数精鋭でハイレベルなモノづくりにスポットを当て、今後も競争力のあるプロ集団、企業へと発展し続けていきます。優秀な技術とノウハウを持っているので、我々自身がメーカーになったり、別の何かを生み出すような事業を展開し、会社の成長はもちろん、後継者不足などに悩んでいる企業とも手を取り合って、次世代へと技術を継承していくことも見据えています。もう一つ、会社としては、どんどん社員の皆さんに私のこの想いを経営者として引き継いでいってほしいと思っています。この会社、業界の扉を開けた人たちが夢を持てるような、ドキドキ、ワクワクするような環境をつくっていこうと思っています。

  • 若者へのメッセージ

    華やかな業界も良いとは思いますが、自分の腕と技術で給与や存在意義を勝ち取れる人財になるのも、今後は重要であり必要不可欠であると考えています。我々の製造、金型業界と言うのも縮小化している業界である一方、だからこそ技術者の価値が上がる時代が必ずやってくると思います。周りと同じ方向を見るだけではなく、周りとは逆を見る眼も持ってみてください。その先にはきっと自分だけの力で生きていける世界が創造できると思います。一緒に切り拓いていきましょう。

COMPANY

会社概要

企業名 株式会社松野金型製作所
所在地 佐賀県三養基郡基山町長野350-1
業種 製造
設立 1975年
資本金 5,000万円
従業員 30名
事業内容 型重量2t以下のプラスチック製品向け精密金型の設計、製造、試作の一気通貫体制を構築。
URL https://matsuno-mold.com/
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