KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

株式会社ドクターシーラボ
城野 親徳

24時間しかない?24時間もある?

どんなに無謀な挑戦でも、どれだけやれば目標を叶えられるのか?そして、思いもよらない所に成功のヒントが落ちている。努力した者にはチャンスが訪れる。そう思える作品だ。

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PROFILE

賢者プロフィール

氏名 城野 親徳
会社名 株式会社ドクターシーラボ
出身地 東京都
出生年 1963年
年 表
1963年 0歳 東京都に生まれる
1979年 16歳 武蔵高等学校 入学
1982年 19歳 慶応義塾大学医学部 入学
1988年 25歳 大学関連病院で研修医として勤務
1991年 28歳 大学関連病院を退職レーザー治療の研究を開始  日米で研修を積む
1995年 32歳 「シロノクリニック」を開業(東京・恵比寿)
1998年 35歳 独自の「保湿ゲル」発売
1999年 36歳 株式会社ドクターシーラボを設立通信販売を開始
2001年 38歳 対面型店舗第1号を名古屋にオープン 店頭販売も開始
2002年 39歳 取締役会長に就任
2003年 40歳 ジャスダックに上場
2004年 41歳 香港・ハワイ・台湾へ直営店をオープン  海外進出を始める
2005年 42歳 東証一部に上場ニューヨーク・韓国にも進出 売上高 154億円(2005年 1月期)

HISTORY

賢者ヒストリー

  • お父様は外科医だったそうですね?

    父は外科医でした。といっても様々な事業も手がけていました。 病院経営、薬局経営、飲食店経営、不動産業、ホテル経営、リゾート開発など・・。小さい頃は豪邸からアパート暮らしを繰り返しました。ホテル経営で失敗し、家計が大ピンチになった事もありました。ビジネスは手堅くやらなければ怖い事になるという事を学びました。

  • 高校では音楽に夢中になったとか?

    ギターに夢中で、腕はセミプロ級。ファンもいました。夢は「日比谷の野外音楽堂をいっぱいにすること」。

  • 医師をなろうと決意したのは?

    高校2年生のときに、「音楽で飯は食えない!お金儲けは甘くないぞ!」 と父に諭されました。「長男は、しっかり家族を守れる地位を築け、医者になれ!」 と…。そして、「趣味で音楽はいくらでもやれ」 と言われ、納得しました。

  • 父から教わった事は?

    父からは「気合と気迫」を持って、何事も必ずできると思って物事を進めなさい、と教わりました。

  • 成績はそんなに良くなかったとか?

    高校は3人に1人以上が東大にいく進学校でした。私は、高校三年1学期の時には、下から数えて10番目でした。そこで、一日20時間の猛勉強をしたところ、受験前には上位10番以内に入るまでになっていました。 最初は先生からも 「慶應の医学部は無理!」 と言われました。私は人から無理と言われると燃えるタイプで。絶対に受かると自分で決めて頑張りました。

  • 慶応大学医学部に入って、どんな学生生活を?

    人生勉強が忙しかったです。慶応大学の医学部という事で人生はばら色になりました。アルバイトで家庭教師(時給3万円)やパーティーイベントの開催などをしていました。ダンパで一日に500万稼いだ事もありましたし、年収は大学生で3000万あった時も。家庭教師も破格の時給頂いていました。自分のアイディアがあればお金を生み出す事は可能だと実感しました!

  • ビジネスの基礎を学んだ感じですか?

    人の悩みを解決する事でお金を生み出す事ができました。大学時代はいろんな人と接しようとしました。特に、女性の心理を分析 「女性の心を読む」 訓練をしました。ビジネスで女性の心を読めることの強さというものを感じました。

  • 将来は外科医を目指したんですよね?それはなぜ?

    父の背中を見て育ったので医者を目指しました。また、外科の花形教授に憧れました。全身管理を覚えればつぶしがきくと思って。

  • 最初は医師としては外科医を目指したんですよね。それがなぜ皮膚科の先生に?

    まずは、大学病院で研修医として働き始めました。そこで感じた事が2つありました。 1.外科医の分野は薬や超音波医療の発達で外科医の数が減る方向にありました。それなのに外科医は3万人もいるんです。 2.学内の派閥争いも好きではありませんでした。組織が苦手なんです。それで、人のしていない事をしたかった。・・・このままでは外科医の将来は暗いのではないか!と。

  • ある患者さんとの出会いもあったそうですね?

    知人の子どもが「いちご状血管腫」という顔の半分にいちごのような赤い痣ができる病気にかかりました。母親の思い悩む姿に黙っていられずに、有効な治療法を調べたところ、米国ではレーザーによる治療が一般的だという事が分かりました。しかし、当時の日本にはレーザー治療専門の医師がほんの数名しかいませんでした。「外科医はたくさんいる。それよりもこれから必要とされる分野を切り開こう」 と思い、皮膚科の道を選択しました。

  • 周りの人たちの反応は?

    先輩からは「大学を離れてどこに行くつもりだ。そんな事をやっているのは誰もいない」と言われました。全ての人が反対でした。でも私は信念を貫きました!不安はありましたよ。父に相談したくても、父は私が27歳の時に亡くなっていましたし。それでも、自分がその世界でナンバー1になる!という気持ちが勝っていたんです。

  • それで91年、大学病院をやめレーザー治療の研究を始めたんですね?

    まずは、日本のレーザー研究機関に所属し(日本医用レーザー研究所)アメリカにも行きました。日本でのレーザー治療の臨床経験を積み、海外で最先端の技術を見学し、習得しました。日米では当時レーザー治療に関しては10年間の開きはあったと思います。

  • クリニックを始め前に問題はいくつかあったそうですね。日本ではレーザー治療は保険の適用がきかないとか?

    当時は保険外診療のため保険がききませんでした。一回の治療(1平方センチのシミ)で数万円かかるといった金額面での問題もありました。

  • 設立のときの資金繰りも大変だったとか?

    レーザー治療美容の皮膚科のクリニックをオープンさせますといっても、日本には今までそんなクリニックはなかったので、銀行に融資を頼んでも断られました。27歳の時に父とは死別していましたが、父の友人などが保証人などになってくれて応援してくれました。周りからの協力者もいない事もありバッシングは受けましたけどね。

  • クリニックを開業してみて、どうでした?

    目の下のくまやシミ、あざ など全国から皮膚に悩みを持つ人が殺到しました。 開業して半年間はほとんど病院に泊まっていました。借金もあり、この仕事に失敗する事は許されないという気持ちがあったためです。夜11時を回っても患者さんがいれば診療をした事もありました。 ある患者さんで顔の痣を隠すために、結婚して何十年も夫に素顔を見せたことがないという女性もいました。肌の悩みを抱える全ての人を救いたい!と私はスキンケアの研究を始めました。

  • スキンケアの研究とは、具体的に言うと?

    患者さんに自信を持って進められるスキンケア化粧品がない。それならば自分で作ろうと考え、96年から試作を始めました。質感や使い心地を始め、2万人以上のデータをとりました。

  • そして98年に発売したのが、新しい「保湿ゲル」なんですね?

    皮膚の持つ本来の自然治癒力を高めます。既成概念にこだわらない。商品のコンセプトは、シンプルである事、赤ちゃんからお年寄りまでに使ってもらえる事でした。 ある代理店からのアドバイスがありまして、「赤ちゃんからお年寄りまでをターゲットにすることはやめた方がいい。ターゲットを絞らない商品は売れない」と言われました。でもそういう固定観念を持つ事の方がダメだと思いました。この商品は誰にでも受け入れてもらえるという確信がありましたから。

  • 城野さんの考え通りに売れましたね?

    化粧品の製造を委託した工場の社長も当初は反対でした。最初に3000個注文したら「1000個にしておきな」 と言われました。しかし私は首をタテに振りませんでした。 結局3000個で生産してもらったのですが、本当を言うと自信はありませんでした。しかし、ふたをあけると二週間で完売。患者さんには好評で、さらに口コミで広がり 「保湿ゲル」 は欠品状態までになりました。

  • 医師でありながら会社を設立し経営者になるという選択をした城野さんですが、その経緯は?

    遠方からの患者さんから 「ゲルがなくなったから送ってもらえないか。」 という要望が相次いできたからです。反響にびっくりしました。これは病院経営の片手間にできる仕事ではないと思い、会社を設立を決断しました。 そこで本格的に通信販売をスタートさせる事にしました。

  • 最初は四畳半から始めたそうですね?

    スタッフは3人、クリニックの四畳半の倉庫からのスタートでした。カタログもパソコンを使って手作りでした。初年度は3億円だった売り上げが、うなぎのぼりに伸び、5年で50倍になりました!

  • 店頭販売を始めたのは?

    最初は既存店で販売しようとしましたが、歓迎されませんでした。理由はドクターコスメとはどういったのものか分からないし、取り扱った事がない。さらには通信販売している商品は置けないとまで言われました。 慣習に縛られていては何もできない!ならば、独自の販売方法で売っていこうと決意しました。全国のクリニックでの販売や通信販売でのカウンセリング販売など、またユーザーに販売員さんになっていただいた時期も、設立当初はありました。

  • 売り上げが伸びたのは?

    客の立場に立てばどうすれば良いのか?を考えたからです。 商品開発や直営店・通信販売・クリニックでの販売と、顧客のそれぞれのニーズに対応できる多次元の販売チャンネルを確立できた結果だと思います。

  • 慣習にとらわれずに信念を貫き、業績を伸ばした城野さんですが、2002年には会長職へと退かれましたが、これはどうして?

    大きな事 (世界展開や売り上げ1000億など) をするためには、一人ではできません。自分は会社の事業としての大きなビジョンの策定や商品開発に主として注力し、経営は人に任せていく。ソニーやホンダもそれで大きくなったのですよ。

  • 2003年にジャスダック上場を果たしましたね?

    あくまでも通過点ですが、大きな目標ではありました。 会社設立時は上場目指すと言っても全員に鼻で笑われていました。最初に相談したN証券には相手にされませんでした。 会員を1000万人に増やしたいと思っていますし、いずれは世界に通用するブランドに育て、ドクターコスメの本場のアメリカでも勝ちたいと思っています。

  • 2004年には念願の海外へも進出されましたね?

    現在は、香港・ハワイ・台湾・に続き今年はニューヨークと韓国に出店。全て現地法人、自ら陣頭指揮を執り出店させました。 最終目的はニューヨークでのドクターシーラボの商品が認められる事です。

  • 上場企業の会長、クリニックでの診療を続け医師という二束のわらじを履く事は大変なのでは?

    楽勝です。自己成長を確かめながら、仕事を常に楽しんでいます。毎年、除夜の鐘を聞きながら、去年より成長できているかどうか自己反省会をするんです。 一人の時は、事業展開や商品開発などの空想に耽っています。

  • 物を販売させるために必要な事は?

    中味が良いのは当たり前。となればパッケージであったり、商品イメージを良くするなどトータルで考えないと商品は売れません。物を売るのは人と人とのやりとりです。商品を通じてそれができるかどうかが重要です。

  • 今後の展開は?

    1000億円の売り上げ構想を持っています。 もちろんその先は、どうやらこの会社1兆円になるかなどを考えながら。 現在は女性向けの化粧品が売り上げの97%を占めています。 将来は男性市場の開拓(育毛・肌をきれいにする)や、食品事業部(サプリメントなどの健康食品)、バイオ事業や製薬事業の業績にも拡大を目指しています。

COMPANY

会社概要

企業名 株式会社ドクターシーラボ
所在地 東京都渋谷区広尾1-1-39
恵比寿プライムスクェア
業種 卸売・小売
サービス - 洗濯・理容・美容・浴場
サービス - コンサルタント
設立 1999年
資本金 11億9,639万円(2012年1月現在)
従業員 695名(連結、2012年1月現在)
事業内容 肌本来の自然治癒力に着目したスキンケアを中心とした化粧品をはじめ、健康食品、美容機器等の製商品を提供
URL http://www.ci-labo.com/
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