PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 大舘 禎典 |
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会社名 | 山陰冷暖株式会社 |
出身地 | 島根県 |
出生年 | 1976年 |
こだわり | 先入観、固定概念が嫌い、アイロンがけ |
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趣味 | キャンプ |
特技 | 怒らない |
休日の過ごし方 | 子供の送迎、家族との会話、キャンプ |
座右の銘 | 温故知新、水は方円の器に随う |
好きな食べ物 | スイカ |
尊敬できる人 | 昭和天皇 |
HISTORY
賢者ヒストリー
小学校4年生から高校3年生まで、約9年間野球を続けました。毎日グラウンドに立ち続けた日々が、今でも自分の土台になっています。大学に入ると生活は一変し、アルバイトや遊びに時間を使う毎日でした。卒業を前に「このままではダメだ」と思い、友人の提案でホームレスの方と1週間路上で生活することを決意。寒い夜、硬い地面、限られた食事。普段見えない世界の中で、人との距離感やお金の価値、自分の甘さに気付かされた時間でした。
山陰パナソニックに入社後、専門性の高い電材部門に配属されました。知識不足もあり、現場でも社内でも叱られる毎日。そんな中、約1,000万円規模の価格交渉案件を任され、所長からは「さらに100万円上げて交渉してこい」と指示。50代の先方責任者にアポなしで交渉に向かいましたが、当然断られました。それでも「上げてもらえるまで帰ってくるな」と叱咤され、1円単位で交渉を続けました。後に、それが所長と先方との事前打ち合わせの上で仕組まれた私の経験の場だったと知りました。この経験は自信となり、相手企業でも顔を覚えてもらうきっかけとなりました。厳しい指導の中にあった所長の思いやりに、今でも感謝しています。
前社長から「一緒に山陰冷暖を立て直してほしい」と声をかけていただいたのは、コロナ禍の真っ只中でした。最初は1年間お断りしていましたが、その後、前社長が病に倒れ、余命2年との宣告を受けられたことを知りました。医師から外出禁止を告げられる中でも、前社長は私を何度も食事に誘い続け、「2年間、一緒に頑張ってくれ。その後は頼んだ」と頭を下げてくださいました。命を削りながらのお願いを前に、自分の人生でこれ以上の覚悟を問われる場面はないと直感し、後悔したくない一心でその申し出を受けました。あの時、社長が命がけで託してくださった思いは、今でも私の中で生き続けています。
弊社は創業69年を迎える設備会社です。かつては山陰地方でも一、二を争う企業として名を馳せていました。今はその栄光をもう一度取り戻そうと、社員一丸となって取り組んでいます。会長の言葉を借りれば「会社は生き物」。順調な時もあれば苦しい時もある。企業にも波があり「創業期→成長期→成熟期→創業期」と循環するものです。私は今の社員たちに、この会社の歴史や先輩たちが築いてきた財産を知ってほしい。そして、この歴史ある会社で働いていることに誇りを持ってほしいと願っています。これから迎える成長期、成熟期を社員全員で実感していきたい。そんな思いで、今、会社と向き合っています。
建設業界は今、技術者不足、担い手不足という全国的な課題を抱えています。さらに、若い世代からの人気も高いとは言えない仕事です。しかし一方で、ライフラインを守るために決してなくならない仕事でもあります。そうした中でも、弊社には毎年新卒社員が入社しており、近年は中途入社の仲間も増えています。技術職という特性上、資格取得から一人前になるまでは7〜8年かかる世界です。それでも若手社員たちは誰一人辞めることなく、日々技術を磨いています。ベテラン社員から若手への技術継承が進んだ時、この会社はさらに力をつけられると信じています。
自分のやりたいことを仕事にし、不自由なく生活できることが理想かもしれませんが、現実はそううまくいかないことも多いものです。だからこそ私は、若いうちは「素敵な勘違い」と「根拠のない自信」を大切にしてほしいと思っています。失敗を恐れず、一歩踏み出してみる勇気、そして動き続ける行動力。その積み重ねが、思わぬ経験や人との出会いを生み、自分自身の世界を広げてくれるはずです。肩肘張らずに挑戦を続けること。それが、人生を豊かにする道だと信じています。
COMPANY
会社概要
企業名 | 山陰冷暖株式会社 |
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所在地 | 鳥取県出雲市今市町840-3 |
業種 | 建設 |
設立 | 1957年 |
資本金 | 8,000万(2025年6月 現在) |
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従業員 | 38名 |
事業内容 | 公共・民間の衛生給排水設備、空調設備工事。太陽光・蓄電池設備工事、パナソニック家電品販売 |
URL | https://reidan.co.jp |