PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 澁谷 敏幸 |
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会社名 | 竹丸渋谷水産株式会社 |
出身地 | 北海道 |
出生年 | 1963年 |
こだわり | 人生楽しく生きること |
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趣味 | ゴルフ、お酒を飲むこと |
特技 | 一気飲み |
休日の過ごし方 | ゴルフ、スーパー巡り、家事 |
座右の銘 | 初心忘るべからず |
好きな食べ物 | 鮨 |
尊敬できる人 | 父母 |
HISTORY
賢者ヒストリー
アウトドア派のスポーツ少年でした。小学1年生から中学2年生まで剣道を、小学5年生から中学3年生まで野球部に入部、小学生と中学生の時に野球部の主将を務めており、部員をまとめる難しさを経験しました。幼い頃から昼夜を問わず365日、タラコを仕込み続ける父の背中を見て育ちました。父は「自分に厳しく、自分で自分をいじめろよ」と常に自分自信に厳しく接しており、家族にも社員にも厳格な父の下でその教えを受けてきました。
いつかは自分も会社を受け継ぐという思いで当社に入社しましたが、二代目は会社を継いで行けるのかという周囲からのプレッシャーはありました。市場で働いていたので、朝が早くとても忙しく、厳しい職場だったので、忍耐力が養われたと思います。その後、先代の社長(父)にも厳しく教育され、反抗したこともありましたが、急逝した後、父の言っていることが理解出来るようになりました。当時は物を運ぶリフトもなく、全て手作業で行っていましたので、非常に苦労したことを覚えています。また、取締役に就任し、社長であった父のそばで経営を支えていく間にも時代の変化が訪れました。当時タラコの業者は多くいましたが、食品業界は衛生基準がより厳しくなり、淘汰されるかどうかの時代でした。
先代の社長が急逝した為、2017年に跡を引き継ぎました。時代の変化と共に衛生基準が厳しくなり、特に水産加工の工場は、床などが水浸しの環境が細菌の温床になってしまうという問題がありました。この問題を任せられた当時、大量の水を扱うことは常識だったため、水を使わないで解決していくためにはどうするべきか頭を悩ませましたが、先代の社長である父の「最後まできっちりやる」という言葉が、背中を押してくれました。本当に大量の水を使わずにできるのかと不安もありましたが、決めたからには徹底してやり切る父の教えを胸に、やっておくべきだったと後悔するよりも、まずやってみようとこの衛生問題に取り組んでいきました。3年に渡り試行錯誤を繰り返した結果、1人に1つの水場を持ってもらう独自設計の作業台にたどり着き、大量の水を扱わない国際規格のHACCPに準拠した理想の工場形態を実現しました。
設備投資に注力し、弊社独自設計の作業台を生かして、低塩で日持ちするオンリーワンの高品質な食品作りを続けていきます。また、製造する商品の安全と安心だけではなく、災害が来ても対処出来る環境を作る等、これからの会社の未来や働いている社員の安全を重視していきたいと思っています。虎杖浜というタラコの町で、美味しくて安全な「竹丸渋谷水産のタラコ」という先代の社長から受け継いだ伝統食品を、父の言葉を胸に、今後も日々アップデートしていくことで進化を続けて、会社も伝統も守っていきます。
HACCPの導入や衛生管理を徹底することで、低塩化に成功し、少ない塩分濃度で日持ちするタラコの実現に繋がりました。高水準の衛生管理と塩分を抑えタラコの旨味を引き立てた味が評価され、大手コンビニエンスストアをはじめ各地の企業の方々にお喜びいただいております。販路拡大に注力し、ネットでの販売先の確保に苦労しましたが、私自身様々な講習などを受け、そのノウハウを生かすことで、成功することができました。また、国際規格であるHACCPの講習や人材育成にも力を入れており、社員のモチベーションが上がるような取り組みをしています。
人生には、良いことも悪いこともたくさんあります。成功することも、失敗することもあります。まずは挑戦してみてください。やっておくべきだったと後悔するよりも、実行していくことで見えていくものがあります。おもてなしの日本の精神を大事にしつつ、前向きに生きてください。
COMPANY
会社概要
企業名 | 竹丸渋谷水産株式会社 |
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所在地 | 北海道白老郡白老町字虎杖浜179番地5 |
業種 | 製造 |
設立 | 1989年 |
資本金 | 2,000万円 |
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従業員 | 130名 |
事業内容 | 水産加工品(主に魚卵たらこ、いくら、数の子等) 製造販売 |
URL | https://www.kojohama.com/ |