PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 清水 大輔 |
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会社名 | 株式会社リードビジョン |
出身地 | 富山県 |
出生年 | 1969年 |
こだわり | 身だしなみを整える |
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趣味 | 読書、映画鑑賞 |
休日の過ごし方 | 靴を磨く |
座右の銘 | 「幸せは自分の心が決める」 |
心に残る本 | 『僕にできないこと僕にしかできないこと』春山満氏 |
尊敬できる人 | 稲盛和夫氏、松下幸之助氏、母 |
現在の仕事の魅力と苦労 | お客様から感謝、喜びの言葉を頂いた瞬間がモチベーションの源泉であり、さらに貢献できるようにならなければと心に誓える機会でもあります。この仕事はお客様の聴力に補聴器をフィッティングするという技術職でありながら、お客様の立場で気持ちを理解できる資質や生活環境を把握するための想像力、また提案力や販売力も大切です。そのため人材育成がとても重要であり、また難しいように思います。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 人生は一度きりで一人ひとりに与えられた時間は平等です。後悔のない人生を送るためにも大きな夢を持ち、長いスパンで考えることが大切だと思います。つい目先のことばかりに意識がいくと小さな困難でもしんどく感じます。しかし、俯瞰して長く大きな視点で物事を見ると大きな困難も自分に与えられた試練だと思えますし、また乗り越えられるための思考が生まれ実現性が高まります。そう思うことが重要だと思います。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
家業として両親が書店を営んでおり元旦以外定休日がなかったころから、幼いころは平日は祖母に日曜は近所のお寺が運営していた日曜学校に預けられていました。小学校から野球に夢中になり地元の甲子園常連校富山商業高校に入学、無我夢中で取り組みました。家では毎晩のように店の資金繰りや親戚とお金のもめ事の話があったことから、将来は大きな会社の社長になりお金の心配がない生活をしたいという夢がありました。商業高校という環境も影響したと思います。周りの友人たちと同じことをするのが嫌いで、高校3年生の後半には自分でイベントを企画・運営しビジネスの面白さを身をもって体験するなど、当時は誰よりも先に様々な経験をしたいという好奇心旺盛な青年でした。
サラリーマン時代は自分が正しいと思えないことには上司に反論し了解が得られなければ結果を出し意見を押し通すタイプでした。上司の立場からするとかなり厄介な部下だったと思います。将来は自分でビジネスを立ち上げたいと考えていたことから、昼はサラリーマン、夜は2時まで食品工場でアルバイトをしながら資金作りをし、大前研一氏のビジネススクールABSの通信講座でアントレプレナーシップについて学び事業計画を練りました。母から「人がこの世に生を受けたのは何かしらその人に役割があるからよ」と幼いころからよく言い聞かせられていたので「自分の役割は何か?」と常に考えていました。母は最期乳がんで亡くなるのですが、前日まで自らテレビや新聞に積極的に出て自分の存在意義としてピンクリボン活動をおこなっていました。母の考え方や行動力の影響を強く受けていると感じます。社会人になってから自分が補聴器を着けざるを得なくなったことをはじめ、家業の倒産、親戚同士の争い、両親の大病と身辺に大きな出来事が重なったことで考え方の軸が形成されたように思います。
15歳のときに再発性の耳の病気にかかり約10年間で7回、両耳に大きな手術を経験しました。その間、後遺症で徐々に聴力が低下していったことから、聞こえないこと、聞こえなくなっていくことに大きな悩みとコンプレックスをもっていました。このような耳で生まれたことを恨みよく母親に八つ当たりしていました。仕事に影響が出ることから27歳の7回目の手術後に補聴器を着けざるを得なくなりました。どん底まで気持ちが落ちたとき母から「難聴はあなたの運命なんだから仕方がないじゃない」と受け入れる覚悟を教えられました。それをきっかけに補聴器業界を調べてみると、高齢者の増加や難聴に関する統計から潜在的なマーケットが存在し成長性が高いこと、そして日本の補聴器業界には実際に補聴器を着けている若い経営者がいないことがわかりました。このときはじめて自分はこれまで聞こえで日々悩み苦労してきたこと、若くして補聴器を着けることになったことは補聴器を世に広めるために自分に与えられた役割、使命だったのだと納得したのです。そこからは使命感に燃え事業計画を作成、妻の理解もあり3歳の娘と3人で上京し多くの方々の協力をいただき無事起業することができました。
ネガティブなイメージの補聴器がメガネと同じように積極的に使ってもらえるツールとなり世に広めることが自分の役割だと考えていましたから、自分と同じ境遇の方が多いと思われる東京で起業しました。創業後は私自身が補聴器を着けているということを積極的に広告に掲載しました。これは母の影響が大きいと思います。聞こえの悩み、コンプレックスをお持ちの方が、ここであれば自分の気持ちを理解してくれるだろうと遠方からも多数のお客様が来店されました。補聴器装用者の自分が社会に対してできること、それは聞こえで悩む方々が気軽に安心して相談できる、改善できる受け皿になること。それが私たちの存在意義であると考えています。これまで様々な困難がありましたが、必ずその原点に立ち返ることで乗り越えることができました。
補聴器は欧米と比べ日本ではネガティブなイメージのため超高齢社会の現在でも難聴者に対する補聴器普及率は約25%しかありません。補聴器は本来、より身近で人生を豊かにするツールです。バリアフリーになるためにも、これまで以上に医療機関とのアライアンスと社会への啓蒙活動が重要です。補聴器のおかげでより楽しく充実した人生になったとたくさんのお客様に喜んでいただきたい。そして働くスタッフがお客様からたくさんの喜びを頂戴し、今以上に社会で認知され誇りある仕事となるよう努めていきます。日本の補聴器販売店はパパママ・ストアが中心ですが、サッカー大国ドイツの強豪チーム、ハノーファー96のオーナーは数百店舗をもつ補聴器販売店です。それほどヨーロッパでは補聴器、補聴器販売店が身近な存在となっています。日本でのイメージを変え、普及率をヨーロッパ並みに現在の3倍に上げていく役割が私たちにあると考えています。私たちの経営理念「従業員の物心両面の幸福を追求し、補聴器のイメージをより自然なものにします。快適なコミュニケーションで人々の幸せに貢献します。」の実現を目指していきます。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社リードビジョン |
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所在地 | 東京都目黒区自由が丘1-26-4 ステラ自由が丘6F |
業種 | 卸売・小売 |
医療・福祉 - 医療 | |
医療・福祉 - 福祉・介護 | |
設立 | 2002年 |
資本金 | 1,000万円 |
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従業員 | 22名 |
事業内容 | 補聴器の販売およびヘルスケア事業 |
URL | http://www.hearing-store.com |