株式会社光英科学研究所
村田 公英

乳酸菌に人生を
懸けた男

今でこそ馴染みある存在となった乳酸菌も、かつてエビデンスのないそれに対して、世間の目は厳しかったという。そんな時代から「乳酸菌で世の人々を健康にする」という夢を背負い、その道を歩んできた賢者。業界で注目される存在となった今も「やれるところまでやってやる!」と熱っぽく語る。

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賢者プロフィール

氏名 村田 公英
会社名 株式会社光英科学研究所
出身地 山口県
出生年 1940年
こだわり 本物の探索 (真理の探求)
趣味 読書・ドライブ・旅行
特技 76才まで何事もなく。ツキに乗ってきた。
休日の過ごし方 健康に関する食について調べる。特にTVCMについて傾向を分析
座右の銘 報恩
好きな食べ物 ジャガイモ
尊敬できる人 西本願寺第二二世門主  大谷 光瑞 師

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    1940年、山口県に生まれました。今の仕事の原点になったのは母の存在でした。8才の頃から乳酸菌生産物質の販売員であった母から薦められて、その製品に触れていたのです。母はとても製品に誇りを持っていたのが印象的です。その後、進学の選択の際も私としては電子工学を勉強したい気持ちもあったが、母の勧めで研究所の門を叩きました。

  • 社会人時代

    乳酸菌研究の第一人者、正垣一義氏の研究所に入社。その業界の草分け的な存在で、独自の哲学を徹底的に叩き込まれました。乳酸菌は人類が出来上がる前にあったものであり、「真摯な態度で菌に接しなければならない」という教えが印象的です。それが広がれば、世の中が明るくなる、という信条を持って、研究に没頭する日々が続きました。

  • 起業のきっかけ

    少し時代の先を行きすぎていたのかもしれません。あまりにも先のことをやっている研究所といった状態で、すぐに受け入れてくれる市場がなかったのです。気づけば経済的に追い詰められていきました。「絶対に火を消してはいけない」その一心でやっていた気がします。その時、知り合いの社長が応援する気持ちからなのか、販売の権利を私にくれ1969年に起業しました。ただ、すぐに好転することもなく、金銭的に厳しかったので一般企業に就職しながら研究を続ける、という二足のわらじの状態がしばらく続きました。その期間、なんと25年。本当に長かったですが、諦める事はしないと心に決めていました。そしてある紹介で一気に動き出したのです。きっかけは、紹介の会社の社長との出会いでした。商品を渡して置いて帰った翌日、電話があり「とても良いものだから作ってください」「工場がないなら作ってあげます」と。苦節25年、1994年に工場を新設し法人化を果たしました。

  • 現在の事業において

    飲んでくれる人が「良い」と実感、しわかってくれる商品づくりです。先代のこだわりを守り抜いた結果の高品質が弊社の強みです。口コミで広がり「助かったよ!」「よかったよ!」という声が本当にありがたいです。お客様の愛を持って支えていただいて今の会社は成り立っていると思います。

  • 今後の目標

    情熱を絶やさず、やるとこまでやってやる。みなさんを健康にしたい、それが私の原動力です。

  • 若者へのメッセージ

    暗いニュースが目立つ今の時代です。私たちの若い頃は前を向いて行こう、といった前向きな時代だったように記憶しています。ただ、だからこそ、時代のせいにせずに、希望のない時こそ前向きにな気持ちを忘れないで明るいものがある、を信じて行動する事が大切だと思います。信じる、という事が一番大切である事を忘れないでください。

会社概要

企業名 株式会社光英科学研究所
所在地 埼玉県和光市新倉5-1-25
業種 製造
医療・福祉 - 医療
設立 1969年
資本金 1000万
従業員 50名
事業内容 乳酸菌生産物質の製造・販売
乳酸菌の培養
URL http://www.koei-science.com/

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