PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 金丸 恭文 |
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会社名 | フューチャーアーキテクト株式会社 |
出身地 | 大阪府 |
出生年 | 1954年 |
趣味 | ゴルフ、囲碁 |
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特技 | 記憶すること |
休日の過ごし方 | ゴルフ、子どもと遊ぶ |
座右の銘 | 「陽はまた昇る」 |
心に残る本 | 『ウィナーズ~アメリカン・ビジネスの勝利者たち』カーター・ヘンダーソン |
尊敬できる人 | 西郷隆盛、大久保利通 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 若いころに挑戦をしておかないと実際に大きな仕事を任された時に、恐れて何もできなくなることがあります。ぜひ、挑戦をし続けてください。みんなが行かない道、いわゆる「マイノリティー」を恐れないことが重要です。10人の中で1人反対の道を進む勇気を持って、豊かな人生を送っていってください。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
小学校入学はちょうど敗戦から15年ほど経ったころで、当時はまだ私が育った大阪府枚方市のあたりも自然が豊かでした。生き物がとても好きで、昆虫に限らず「生きている」ありとあらゆるものを採集するのに夢中になっていました。近所の淀川で、よく水遊びもしました。小学校の時に父のギターに触れたのがきっかけで音楽に興味を持ち、中学生の頃は当時ブームだったグループサウンズの影響を受け「ギターを弾けるようになりたい」と懸命に練習したものです。大学入学後には、本格的にバンドも組んでいました。
大学卒業後に就職したのは、財務会計などの情報システムを手掛ける企業。同級生たちが有名企業に就職を決めていく中、私はあえて「大きくない」企業を選びました。入社して1年後の当時、会社の同期のほぼ全員が大型コンピューターの開発をしていたのですが、私はたまたま小型コンピューターの開発プロジェクトのメンバーとして選ばれることとなり、これがきっかけで参加した海外研修が私にとってのターニングポイントとなります。スティーブ・ジョブス氏やビル・ゲイツ氏は私と同世代ですが、彼らが自らハードウェアを開発したり会社を起こしたりしているのをアメリカで目の当たりにし、衝撃を受けたのです。彼らは会社の「サラリーマン」として働いているのではなく、自らリーダーとして仕事をしていると強く感じました。その時、自分が日本の代表として16ビットパソコンの開発をするべきだと決意しました。
16ビットパソコンの開発を進めるため、若い自分にリーダーとしての役割を任せてくれる会社に転職をしました。某大手コンビニチェーンに提供した情報分析システムの開発により、マスコミにも多く取り上げられ、やがてヘッドハンティングの話も数多く持ちかけられるようになりました。しかしながら、当時いただいた話のほとんどが「アメリカの会社の日本法人の社長」になることが前提で、「どうせならやはり自分の会社を興したい」と思った私は、起業を決意しました。
1989年、バブル経済の真っ只中で起業した私にとって、当時の経済の流れは向かい風でしかありませんでした。2人だけで起業した会社ですから、「仕事は100人単位で発注させてくれ。話にならない。」と門前払いされることもしばしばでした。ですから、バブルが続いていたとすれば私たちの会社は成長できなかったかもしれません。バブル崩壊を機に、私たちにチャンスが訪れることとなりました。大企業ができなかった仕事を10人足らずのプロジェクトメンバーで完遂することを幾度も経験し、「仲間とともに仕事を実現させていく」というところに喜びを見出していました。
質的にインパクトのある会社にしていきたいと考えています。日本だけでなくアジアを中心として世界に通用するように、生産性や専門性を今まで以上に進化させていきます。
COMPANY
会社概要
企業名 | フューチャーアーキテクト株式会社 |
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所在地 | 東京都品川区大崎1-2-2 アートヴィレッジ大崎セントラルタワー |
業種 | 情報通信 - ソフトウェア |
情報通信 - 情報処理・提供サービス | |
サービス - コンサルタント | |
設立 | 1989年 |
資本金 | 14億2100万円 |
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従業員 | 1,222名(連結、2011年12月現在) |
事業内容 | ITコンサルティング |
URL | http://www.future.co.jp/ |