PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 江幡 良太 |
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会社名 | 有限会社東秀興業 |
出身地 | 茨城県 |
出生年 | 1980年 |
こだわり | レスポンスなどをスピーディーにすること |
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趣味 | ゴルフ |
特技 | 足場の施工図を描くこと |
休日の過ごし方 | 掃除 |
座右の銘 | 迅速対応、何事も挑戦 |
好きな食べ物 | カレー、みそ汁、おでん |
尊敬できる人 | 現会長 |
HISTORY
賢者ヒストリー
小学校の頃は、野球が好きでゲームなどはほとんどせず、体を動かすことが好きな子供でした。中学にあがるときにはJリーグができたころで、サッカーへの憧れもありサッカーに打ち込んでいたのを覚えています。その後、将来のことを考える中で、建物に興味があったこともあり、デザインや設計を学ぶ為、専門学校に入学し、2年間勉強に打ち込みました。就職活動では、総合建設業者など複数社受けましたが就職難の時期で、ゼネコンには入社することができませんでした。しかし、「仕事はしなければ」と思い、当初10人規模だった「東秀興業」に入社を決めました。
東秀興業に入社を決めた当初は、どちらかというと消極的な理由ではありましたが、とにかく言われたことは夢中にやっていました。とにかく仕事に夢中で、そして仕事があれば何事よりも優先していたほどがむしゃらでした。その中でだんだんとやりがいを見つけていくことができ、足場ができた際の喜びや達成感や楽しさを見出していました。その結果23歳にして、役職を任されより会社への愛情と成長意欲が芽生えていきました。ゆくゆくは独立も視野に入れていたこともあり、「いい仕事をする」ということはいつも心掛けていました。24歳の頃には建築の知識を生かし、コンピュータ上で製図を行うためのツールを用いて足場施工の図面を描き企業様に提案をしていました。当初は企業の重鎮に舐められないように自ら学び知識と技術を身に着けていました。そこで提案が通ったときにはやりがいを感じたのを覚えています。
30代の頃、現会長からそのうち時が来たら社長になってほしいと相談を受け、当初は不安もありましたが、M&Aで解体の会社と合併し、東秀グループとして歩むことが決定してから、次第に本体である東秀興業を任せてもらえるようになりました。当初、抜本的に改革をしていったのは福利厚生の見直しや社員たちや協力会社の従業員が働きやすい環境になっていくかについてでした。最近は地域の会社対抗ソフトボール大会に「東秀興業」として参加し、シゴトだけではなく、プライべートも一緒に楽しんでいくことにも取り組んでいます。
業界全体が良くなるためにはどうすればよいかについて考えています。受注をする際、他の会社より値段を下げて契約をすることもできますが、それはしないようにしています。価格競争にしてしまうことは業界の質と価格を下げてしまうことにもつながります。なので、東秀興業だけが良ければそれでいいではなく、東秀興業も他の企業も業界全体を盛り上げていくことができるように、良いものを適正な価格で取引することを心掛けています。
会社が100年先も存続し続け、社員が安心して定年まで働ける環境を作りたいと思っています。また、現在は図面を描けるような人材の育成や資格獲得にもチャレンジできるような環境を作っていき、様々な分野で活躍できる会社作りをしています。将来的に、足場の図面から設営、解体まで一貫してできる会社として業界をリードしていけるような存在になれれば嬉しいです。
建設業はなくてはならない業界であり、やりがいと誇りもしっかりあります。力仕事で大変なのではという印象もあるかもしれませんが、チャレンジすることでチャンスは広がっていきます。一緒に楽しく安全な仕事をしていきましょう!
COMPANY
会社概要
企業名 | 有限会社東秀興業 |
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所在地 | 茨城県ひたちなか市西大島2-6-31 |
業種 | その他 |
設立 | 1997年 |
資本金 | 1,000万円 |
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従業員 | 25名 |
事業内容 | 仮設工事、重量鳶工事、解体工事 |
URL | https://toshu-g.com/ |