PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 山田 一之 |
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会社名 | 社会福祉法人まんてん |
出身地 | 大阪府 |
出生年 | 1955年 |
こだわり | 決まり事を守り整理整頓を欠かさず行うこと |
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趣味 | 国内、海外旅行、映画鑑賞 |
特技 | 複数の仕事を同時に効率よくこなせること |
休日の過ごし方 | 休日は国内、海外旅行に1人で行く |
座右の銘 | 明日に向かって打て |
好きな食べ物 | 大阪にある某ホテルの天ぷら |
尊敬できる人 | 新島襄やエジソンなど挑戦と発想力を持っている人 |
HISTORY
賢者ヒストリー
1970年、大阪万博で初めて世界各国の文化や人々に触れ、日本しか知らなかった自分に世界の広さを教えてくれた出来事でした。翌年、祖父が招かれたバチカン市国訪問に同行し、ヨーロッパ各国を巡遊。壮麗な建築や歴史的な街並みに強く心を揺さぶられました。19歳で交換学生に選ばれ、アメリカ・インディアナ州で2カ月間過ごし、欧米的な発想や自由な価値観を体感。この経験が固定観念を打ち破り、視野を世界規模へと広げる契機となりました。幼少期から学生時代を通じて積み重ねた異文化体験は、その後の挑戦心と発想力の源泉となり、人生の大きな羅針盤として今も息づいています。
大学卒業後、アパレル大手ワールド社に入社。新しい仕事に挑み、喜びと悔しさを繰り返す日々を送りました。5年後、父が経営する山田ニット株式会社に入社。幼い頃から見てきた家業も、実際に現場に入ると想像以上の責任と厳しさが待っていました。当時、繊維業界は急速な海外移転に直面し、国内生産はわずか数%に。取引先の倒産も相次ぎ、経営環境は悪化の一途を辿ります。事業継続の危機と直面したことで、守りではなく変革へ舵を切る必要性を痛感。現場での奮闘を通じ、経営者としての覚悟と判断力を磨く貴重な時期となりました。
繊維業界の急激な衰退と倒産ラッシュにより、このままでは会社も生活も守れないと直感。2000年の介護保険制度開始を機に、行政の要請と助成金制度を活かし、介護事業へ参入しました。地域に不足していた認知症対応型グループホームの開設依頼を受け、西浅井町での事業化を即決。社会福祉法人を運営法人に選び、滋賀県・大阪府の60カ所以上を視察して理想像を描きました。病院や保育園のような施設が多い中、あくまでも「住まい」であることにこだわり、入居者が安心して暮らせる環境を追求。この原点は、現在の事業哲学にも脈々と受け継がれています。
現在は介護・福祉事業を軸に、利用者一人ひとりが「自分らしく暮らせる住まい」の提供に注力しています。施設は単なる介護の場ではなく、温もりある生活の舞台であるべきと考え、細部まで住環境にこだわります。また、社員を最大の財産と捉え、命令ではなく理由と意図を伝え、納得のうえで行動してもらう対話型の経営を実践。地域一番の給与水準を目指し、努力が報われる仕組みづくりにも力を入れています。職員が誇りを持ち、笑顔で働ける環境が、利用者への最高のサービスにつながるという信念を軸に、日々の事業を展開しています。
今後は毎年1つずつ新規事業を増やし、将来的には売上を現状の倍、30億円規模に成長させることを目指しています。介護・福祉業界の最新情報を常に収集し、展示会や業界団体での交流、他法人との情報交換を継続。社員教育にも力を入れ、外部研修や現場見学など、成長の機会を惜しみなく提供します。地域一番の待遇を維持しながら、利用者、家族、職員すべてが満足できる環境を構築し、2030〜40年代には持続可能かつ先進的な福祉法人として、日本の介護モデルの一つとなることを視野に進化を続けます。
若い世代には、もっと大きな志を持ち、恐れず挑戦してほしいと思います。私は大学卒業後も文章講座や話し方教室に通い、英会話や資格取得など学びを継続してきました。新聞や経済誌も日々欠かさず読み、東京や大阪の介護展示会には多忙でも必ず足を運びます。継続的な学びこそ、深い情報や新たな発見をもたらします。小規模でも優れた技術や発想は現場に存在します。それを掴むのは、探し続ける人だけです。ぜひ自らの可能性を信じ、知識と経験を積み重ね、未来を切り拓いてください。
COMPANY
会社概要
企業名 | 社会福祉法人まんてん |
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所在地 | 滋賀県長浜市西浅井町塩津中270 |
業種 | 医療・福祉 - 福祉・介護 |
設立 | 2004年 |
従業員 | 250名(2025年6月 現在) |
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事業内容 | 高齢者介護事業、保育事業、障がい児支援事業、公益事業。 |
URL | https://www.man-ten.org/ |