PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 嶋津 和久 |
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会社名 | 株式会社ハイブ |
出身地 | 東京都 |
出生年 | 1976年 |
こだわり | 自分が信じる、環境や健康にとって良い行動をする |
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趣味 | 旅行、寺社仏閣や温泉を巡ること |
特技 | バランス感覚が秀でている |
休日の過ごし方 | 旅行先で発酵食品や雑貨などを探す |
座右の銘 | 熱意に勝る力なし |
好きな食べ物 | ご飯、焼き魚、納豆、ぬか漬け、お味噌汁 |
尊敬できる人 | 高杉晋作、経営者、両親 |
HISTORY
賢者ヒストリー
新宿に生まれ育ち、自然環境の乏しい環境下で幼少期を過ごしました。年末年始やお盆に行く、父の実家がある山梨県韮崎市穴山町では、豊かで大きな自然が近くに存在し、東京では得られない満足感を得られる環境でした。古くから養蚕が盛んな地域で、桑畑でカミキリ虫を捕まえるとお駄賃がもらえ、豊かな自然環境を肌にすり込むように朝から夕方まで畑で過ごしました。ごはんも大変美味しく、白菜の塩漬け、ぬか漬け、大根おろし、鮭の塩焼きといった献立は今でも僕の中で一番のメニューです。また、ボーイスカウトに入っていた中で、共助の考え方を身につけ、キャンプなどのアウトドア活動では自然の大切さを知り、現在の人格形成に大きな影響を受けました。
飽きっぽく、一つの事がなかなか長続きしない性分でしたが、店舗内装の仕事は、様々な素材の知識やシーズン毎に変わるデザインで、常に変化と刺激があり、飽きる事がありませんでした。店舗を通してお客様とやり取りする事で、リテールや飲食といった業態について色々学べましたし、様々な人脈を作る事ができました。第一線で業界を率いるブランド経営者の考え方や姿勢に接する事ができたのは、大変貴重な時間だったと思います。
前社退職時当初、業界を変えて食育施設の運営に携わる予定でしたが、東日本大震災によって計画が頓挫しました。取引先に退職の挨拶に行った際、お客様から「君が内装の仕事をやるなら、仕事をお願いしたい」とお声掛けいただき、前社社長にも御承認いただいた上で内装会社としての起業を決意しました。前職での営業経験を活かし、後発の内装会社がどういった価値を作れるか?に向き合い、お客様と同じ目線・意識を持った会社となる為、運営ノウハウの構築とリアル店舗の価値創造といった目的を持ってリテール事業を立ち上げ、以降はリテール事業に関連した食品製造などの新規事業化が進んでおり、今に至ります。
昔から自分の中で、見え方やスタイルに対して、美しいやカッコイイといった美学、こだわりを持っていました。そうした美学、こだわりが自分に対する甘えや緩みといった事から律する事ができ、評価される業務内容やスタイルになっていたかもしれません。また、仕事には金額だけでない価値を求めてきた中で、他社がやらない事や、一つしかないサービスの開発につながっていると考えます。そして、弊社企業理念「人を想い、自然を想い、豊かに健やかに共栄できる環境の創造」は、どれだけ事業が好調でも地球環境が悪くなってしまっては意味がない為、事業活動を続けていく限り環境に対する貢献も続けていくといった想いがあります。創業からそうした理念のもと事業活動として取り組んできた今、コロナ以降は世の中の環境に対する意識向上で、理解いただけるようになって来ました。価値が先にあり、後から対価が伴うといった考えでは、実直に取り組んできた事が花開くのを楽しみたいです。
この後はAIの急速な成長もあり、大きく価値や感覚が変わっていく時代と考えます。そうした中にも普遍的な価値は必ずあり、時代に添った形の、普遍的な価値を作りながら、人々の健康と自然環境に寄与する新たな事業に挑戦していきたいです。
大谷翔平さんやSHOGUNがアメリカで大変大きな結果を出し、評価を受けています。葛飾北斎などの日本文化は海を渡り、欧米に影響を与えてきた様に、大変魅力ある民族文化です。大戦以降、欧米至上の思考が強くなり、日本文化に対するリスペクトと洗練が失われてしまった様に思います。これからはもっと自らの国と文化に自信を持ち、また磨き上げていけば、世界からもっと評価を受ける時代が必ず来ます。自信と熱意を持ち、世界に出て行きましょう!
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社ハイブ |
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所在地 | 東京都港区東新橋2-10-10 東新橋ビル2F |
業種 | その他 |
設立 | 2011年 |
資本金 | 2,000万円 |
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従業員 | 50名 |
事業内容 | 店舗の内装デザイン及び設計施工業/ライフスタイルショップ85運営事業/食品製造事業 |
URL | https://www.hive.jpn.com/ |