PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 池田 正雄 |
---|---|
会社名 | 株式会社新宅工務店 |
出身地 | 大阪府 |
出生年 | 1961年 |
こだわり | 朝のルーティーンを変えない |
---|---|
趣味 | ゴルフ、スキー、サーフィン |
特技 | 居合道 |
休日の過ごし方 | 読書とゴルフ練習、テレビ録画鑑賞 |
座右の銘 | 而今 - 一瞬一瞬を大事に生きる |
好きな食べ物 | カレーうどん |
尊敬できる人 | 坂本龍馬 |
HISTORY
賢者ヒストリー
祖父が鍛冶屋、父が鉄工所経営、と何かしら建物づくりに関連する系譜の長男として生を受け、祖父母、両親、妹二人、そして父のもとで働く何人かの職人さんと寝食を共にする大家族のなかで育ちました。自分が建築家という職業に触れ、興味を抱くようになった原点は15歳の時に経験した自宅の新築です。父とつながりのあった建築家の先生の設計のもと、自社で鉄骨工事を行い、父自ら施工監督も務めていました。先生が示された間取りプラン図、外観や各部屋の完成予想スケッチの美しさに衝撃を受けた記憶があります。そして誇りをもってそのプランを説明される先生の笑顔や佇まいに憧れを抱いたことが、自分の将来の職業の選択肢として心に刻まれました。期せずして、施主と施工者の立場を体験することで、一枚の紙に収められたイメージを立体化させ、人間の命と健康を守る壮大な空間を創り上げることの感動、ロマンを原体験として得ることになりました。建築学科のある大学への進学に真剣に取り組んだ結果、近畿大学理工学部建築学科に進学しました。建築の知識や技術を学ぶ傍ら父の仕事を手伝い、重層的に学識と実務を身につけることができました。学生時代に結婚式場スタッフチームのキャプテンというアルバイトの機会を得、年上のスタッフの指揮指導を行い、新郎新婦やご家族の晴れ舞台を支えるためのリーダーシップの在り方について貴重な経験をしました。スタッフが楽しく、効率的に働くために適切な情報共有や役割分担、時間管理をリードすることに工夫し、注力したことがリーダーとしてのふるまいを学ぶ原体験となり、その後の仕事においても役立つことになったと思います。
就職活動を通じて、自分のやりたいことが設計に留まらず、現場で実際に建物を創り上げることであることを認識し、そうした仕事に就ける会社を選別する中で大学の先輩が数名在籍する当社への入社を決めました。幼少期から学生時代に経験したこと、身につけていたことが上司の信頼につながったのかもしれませんが、入社一年目に大切なお客様の新社屋建設というプロジェクトの現場監督を任せていただくという機会を得ました。その後も、仕事を覚えたいという一心で、自分の現場に余裕が出ると先輩の現場に応援に出向き、測量や掃除などを手伝いながら先輩のスキルやノウハウを積極的に学びました。その傍らで夜は国家資格取得のための受験勉強に勤しむ充実した生活、自分にとって大きな財産となる2年間だったと思います。その後の十数年は住宅やオフィスビル建築の現場監督、所長として采配をふるう日々でしたが、とりわけ当社が他社とのJVのなかでメインを務める現場の指揮を執ったときは、自社だけでなく他社のスタッフの方々、そして個性的な職人さんたちを効果的にまとめ、仕切るリーダーとしての覚悟、配慮など人間関係構築スキルの重要さを認識し、それに磨きをかけていくことを学ぶ機会となりました。一方で、社内においては工事部の課長、その後入社18年目で部長という立場で部下の育成にも関わるとともに、業務の効率化や品質向上に向けての電子化などを進め、また、役員として経営会議への出席を通じて部を超えた会社全体の経営という視点での判断、情報収集や共有、変革の主導、という一連のマネジメントスキルを身につける経験をさせていただきました。
取締役就任後は経営の一端に参画し、組織を作り、導き、変革していく、という経営者のマインド、スキルを少しづつ身につけていくことになったとは思いますが、自分が当社のトップに立つことは夢にも想像していませんでした。ところが、創業家2代目の社長が突然病に倒れ、その後逝去されることは想定外のできごとで十分な事業継承の準備もなく、結果的に実質的に私が代表取締役専務として経営を担うことになりました。借入金返済や各部門における様々な課題解決に文字通り奔走する日々の中、お客様の信頼、社員の生活を守ることを最優先としてなんとか社業を安定させることができました。多くの社員、取引先、お客様の支えの賜物であったと思います。その流れのなかで、いつしか「現状維持に邁進することは会社衰退を意味する」という意識が芽生えてきました。一層深く、会社の在り方、どのようなビジョンに向かって組織を変革していくべきか、ということを考え学ぶようになりました。大きな会社を目指すのではなく、一流の価値を意識する優れた会社を目指し、少数ながら精鋭をかかえ、育成し、経営理念の実現にむけて持てる能力を最大限に発揮できる、そんな組織でありたいと思うようになりました。スピード感をもった経営を進めるためにステークホルダーの賛意を得て資本と経営の一体化を行い、創業家からの独立を果たしました。
創業55周年を迎えたときに5年後(60周年)に社屋の建て替えを行うというビジョンを設定しました。社屋建設は亡くなった2代目の夢でもあり、そして私の思いとしては社員の安全・健康を守り、誇りをもって仕事に取り組んでもらう、また優秀な人材に魅力ある職場を提供したい、ということがその主な理由でした。温故知新を設計思想に据え、耐震性、省エネ断熱、健康を機能として実現するため、当社の主要ブランドである木造の「SE構法」による建築施工を取り入れました。災害に強く省エネで安心の生活を保証する規格型賃貸マンション「Y&Mスパジオマンション」は、大阪で唯一(2021年7月現在)のフランチャイズとして、マンションオーナー、入居者の方々の満足をお届けすることを目的として事業展開しています。長年の伝統や価値観を大切にすることは必要ですが、一方、激変する環境の中で過去の成功やしきたりにこだわっていてはお客様のニーズを満たすことはできません。組織風土の変革も私の大事な責任だと考えています。すべての社員が役職の上下や入社年次や性別などにしばられることなく、自分の仕事に使命感と誇りを感じ、ワクワクしながら、失敗を恐れず新しいことにチャレンジし、自己実現を図る環境を創り上げるために様々なアイデアを試しています。
コロナ禍を経験することによって、これまでの世のなかのパラダイムが急激に変わっていくスピード感を実感しました。毎日オフィスに出社して業務にあたることが、もはや当たり前ではないことを期せずして学びました。また、いち早くそうした対応をとることが当社でも可能であることを証明できました。創業100周年を迎えることを目標とする中で、重要なことはそうした環境変化のなかで、会社としても、そして社員一人一人が、柔軟な発想、精緻で俊敏な実行力を鍛えることだと思います。戦略を明確にし、計画にそって戦術を確実に実行するために、3ヵ年計画を立案し、年次、月次でその進捗について分析し、継続すること、始めること、修正すること、止めることなどを経営陣で討議しています。政府が示す2050年の未来構想である「脱炭素社会」実現に向け当社設計施工の戸建て住宅は「ZEH」(ネット・ゼロ・エネルギーハウス)及びパッシブハウス、そして共同住宅は「ZEH-M」ゼッチ・マンションを企画提案~施工していく必要性があり、そのための技術的準備を進めています。現時点の中期経営計画が順調に進めば、年間目標ユーミーマンション5棟そして戸建て住宅10棟、自社所有のユーミーマンション毎年1棟計画施工、社員数25名、売上及び利益150%という数値目標が達成でき、100年企業の基盤が固まると考えています。
自分自身の隠れた限りない能力があることを信じ、毎年少し背伸びをした目標を設定しその達成に向け日々、昨日より今日、今日より明日、一歩一歩前に進む日々の努力を怠らずに、自分自身の行動言動に誇りが持てる日々を過ごすことで幸せな未来が待っています。「永久の計は一念の微にあり」(安岡正篤)日々の少しの心の持ち方と行動によって、将来的に大きな差となって現れます。「而今」(にこん禅の言葉)時は刻々と過ぎます。今という時間はとどまることはありません。だから一瞬一瞬を大切に生きていくことが大事です。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社新宅工務店 |
---|---|
所在地 | 大阪府大阪市都島区高倉町2-3-11 |
業種 | 建設 |
設立 | 1983年 |
資本金 | 5,000万円 |
---|---|
従業員 | 21名 |
事業内容 | 注文住宅事業、ビルダー事業、土地活用事業、リフォーム・リノベーション、賃貸・不動産管理 |
URL | https://shintaku-group.co.jp/ |