PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 児玉 雄二 |
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会社名 | 株式会社和光産業 |
出身地 | 宮崎県 |
出生年 | 1954年 |
こだわり | 自分に嘘をつかないこと、諦めずに最後までやり通す |
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趣味 | 多品目の野菜を作り人に喜んでもらうこと |
特技 | 苦難の中に気付きを持ち、即行で実践すること |
休日の過ごし方 | 農業、自然に触れること |
座右の銘 | 諦めなければ人生は思い通りになる |
好きな食べ物 | 肉全般 |
尊敬できる人 | 児玉 敬一(父) |
HISTORY
賢者ヒストリー
わが家は私が物心付いた時には既に12人の大家族でした。父親は公務員で、母親は主に農業を父と祖父母と行っていました。他には雑貨店や和牛育成等の仕事もしていました。雨が降り続く日は両親とうなぎ取りや投網漁に小舟で出かけて漁をした事を思い出します。両親の生きる逞しさ、生き方が今も時々思い出されます。母が亡くなって50年、父が亡くなって13年になります。両親に報告を兼ねて毎日仏壇と神棚には手を合わせています。学生時代になると剣道とアルバイトに夢中でした。新聞配達、牛乳配達等をしながら部活が休みの時には、決まって土木会社でのアルバイトの仕事をしていました。建築の基礎工事や住宅の解体等、色々な仕事を経験させて頂きました。工事現場での若い監督さんの姿を見て、将来は私も現場監督になると思った時でした。それは親の後ろ姿を見て何事にも挑戦する、諦めなければ人生は思い通りになると両親に教えられたからです。
宮崎の工業高校の建築科を卒業して大阪の建設会社に入社致しました。当時はまだ人手が足りずに私も18歳で入社して直ぐに現場監督見習いで仕事を始めました。いくつか現場を経験している内に、新設の中学校を創る工事に現場監督として赴任致しました。その現場は、監督が9名で私は9番目の見習い監督でした。仕事は背中で見て学べと言われ、主に私の仕事は雑用でした。自販機の補充や空き瓶の回収、そして先輩の残工事の手伝いが仕事でした。ある時、空き瓶の回収に手間がかかり上司に段取りが悪いと叱咤されました。それがきっかけで、どうしたら自分の時間が作れるか自ら考えました。結果は瓶をやめて紙コップに変える事でした。早速自販機を入れ替え紙コップで始めた所、現場が見違える様に綺麗になり、割れたガラスの瓶も無くなり、安全で美しいと関係者から喜ばれました。自販機の利益で皆で北海道に行ったことは、今でも思い出に残っています。
和光に入社して7ヶ月が過ぎた時、突然社長から和光は昭和59年12月をもって解散すると告知されました。それは創業時からの社員が働かず、なにより借金が一億円になったからでした。社長が創業して5年目の事です。12月までに私と経理を除いて皆退職しました。社長から新生和光産業に風を吹き込んで一緒にやっていこうと諭されました。社長の為にも自分の為にも全力で頑張る覚悟が出来た時でした。しかし不動産業は予測がつかず毎年赤字続きでした。いつかは会社経営が好転する事を願って必死に働きましたが、思いと反対に大苦難が訪れました。それは社員の事故死と社長の癌の告知です。社長は今は元気に復帰してますが、当時は何も分からず苦悩の連続でした。社長不在の経験が経営者としての今の自分に生きています。平成18年に2代目社長になりました。私も入社して 40 年になりますが、これからも創業者の思いを会社経営に生かして行く所存です。
社長になってからも退職する社員は後を絶たず、会社は毎年赤字経営の連続でした。焦る思いの毎日の中、熊本にある中小企業大学校から6ヶ月間の経営者セミナーの案内が届きました。この苦難の時に行くべきか悩みましたが、社員と会社の為に決心し参加いたしました。この研修が後に大きく自分を変え、会社も社員も変わりました。その研修は年齢、職種が様々でした。毎月7日間の宿泊研修で、研修後に毎日交流会があり、経営のうんちくを皆さんが語ります。会社経営で大事な事は社員がいつも喜んで働く事だと諭されました。又私は、倫理法人会の会員でもありますが、講師からも社員満足度を高めることが会社が良くなることと教えられました。今では私が自らトイレ掃除などを実践する事で社員と一体となっています。社員を大切に思う気持ちで毎月誕生日に葉書を書いて、お祝い金も朝礼で渡しています。社員が家族に自慢が出来る会社をこれからも目指していきます。
新生和光産業として出発して約20年が過ぎましたが、当時を知る人は部門長が数名です。和光産業で働いてくれる社員一人一人が幸せな人生を歩んでくれることが社長として一番の望みです。会社の経営としては今行っています、部門別経営を確実なものにして、5人の社長を作り、和光グループとして強固な基盤作りをします。建設業は個人・法人も含めていきます。企画事業は中古住宅を年間70%とし、建売住宅を30%とします。不動産事業は仲介業、賃貸業、積層業、管理業として安定を図ります。リフォーム業はOB・アフターのお客様を弊社の事業に常に拘って頂きます。循環型事業部門でイベントや体験を通じて弊社しか出来ない農業と福祉の事を大いに感じて味わって頂きます。今後は社員とお客様と障害を持たれている方が一つになって、年中イベントや農業体験を通して喜んで皆さんが弊社に集まって頂く様な活気あふれる企業、社会に役立つ企業になる事が我社の未来の形です。
私は旅行が趣味で、特にアジア方面に友人と年に数回、仕事と遊びを兼ねて出かけています。今年はインドネシアに7日間友人と行きました。現地の大学と日本語学校で経営者としてどの様な心構えで会社経営を行っているかを若者に講話しました。目をキラキラさせる若者からはどうしたら社長になれますか、又は日本の社長はどんな人を欲しがっていますかという質問が多数ありました。日本を背負う若者には両親や家族に感謝する心、ありがとうの言葉が一番大事です。会社の仲間や友人といつも将来の夢を語る人生になってほしいです。そして弱者救済、困っている人を助ける、障害を持った方や高齢者の方に明るい挨拶をする事も救済に繋がると思います。月一回の地域清掃を約20年、我社では行っています。出会う方に必ず挨拶を社長が行うことも社員教育に繋がるし、若者の意識も変わると思っています。若者の未来に向かう旅立ちに大きな期待を求めます。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社和光産業 |
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所在地 | 宮崎県延岡市古城町4-113 |
業種 | その他 |
設立 | 1979年 |
資本金 | 2,000万円 |
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従業員 | 41名 |
事業内容 | 建設事業、企画事業、不動産事業、リフォーム事業、農業福祉事業、保険管理事業 |
URL | https://www.wakosangyo.com/ |