PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 千本 倖生 |
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会社名 | イー・アクセス株式会社 |
出身地 | 奈良県 |
出生年 | 1942年 |
こだわり | 忍耐強くきちんとやり、途中でやめないこと |
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趣味 | 読書、書道 |
休日の過ごし方 | 読書 |
座右の銘 | 「周到に準備をして果敢にリスクを取れ!」 |
尊敬できる人 | 松下幸之助 |
現在の仕事の魅力と苦労 | 新しいことへの挑戦には必ずリスクや困難が伴います。そのリスクや困難に正面から立ち向かい乗り越え、目的を成し遂げたときの喜びと充足感が魅力であり、次の挑戦への勇気とバネを与えてくれるものです。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 日本には「出る杭は打たれる」という諺がありますが、打たれることを恐れずリスクをとり、型にはまることなく大胆に挑戦することが大事です。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
父は起業し会社を経営していましたが、私自身は大企業に就職したいと思っており、起業家志向ではありませんでした。京都大学では電子工学を専攻。20代半ばでフルブライト奨学金を得てアメリカのフロリダ大学大学院に入学しました。留学経験を通して身に着けたアメリカ流の価値観が後の起業につながっていきます。大学院時代のルームメイトが言った「独占企業に勤めるなんて面白くない」「それまでにない新しいことを、リスクを取ってつくり上げていくことが、価値のある人生だ」という言葉に衝撃を受けたことは今でも忘れられません。
電電公社(当時)に勤務していた時代はデジタル国際標準化に携わり、ITU(国際電気通信連合)の国際会議に出席したこともありました。1年の3分の1近くは欧州で過ごしていましたね。保全局時代には、国会答弁の担当補佐として答弁書・資料作成に従事。近畿電気通信局時代、INSの伝道師としてあらゆる機会・場所で講演を行いました。松下幸之助氏、稲盛和夫氏、真藤恒氏、3名の企業人との出会いは私にとって非常に大きなターニングポイントとなりました。
1980年初頭、米国では新興通信事業者の台頭により、大幅な規制緩和の波が広がっていました。これは、日本国内における電電公社民営化にも大きな影響を与えた出来事でもありました。それに呼応する形で、「健全な競争相手がいてこそ日本の通信事業は活性化する」という信念のもと、第二電電の設立に携わりました。その後、日本とアメリカのインターネット環境格差を目の当たりにし、世界に取り残されないためには当時日本にあった「市場の矛盾」を取り除く必要があると確信したのです。そして、世界と日本との格差を埋めるべく、 イー・アクセスを設立。まさに、ブロードバンド革命の旗揚げでした。
イー・アクセスを設立後、2005年にはイー・モバイルを設立しました。ADSLの次の事業を模索する中で、次代を担うのは「モバイルブロードバンド」であると確信し、また3社独占に風穴を開けることで、消費者の利益につながるとも考えていました。13年ぶりのモバイル市場新規参入を果たし、定額制モバイルブロードバンドの普及、料金の低価格化に取り組むとともに、モバイルWi-Fiルーターという新ジャンルを切り開き、あらゆるWi-Fi機器をどこでも自由に接続できる新しいライフスタイルを提案してきました。判断にあたっては、いろいろな人に相談し、会話をして、用意周到に準備をすることを心がけ、自分がやろうとしていることが本当に社会の役に立つことなのかを常に考え抜いて決断しています。周囲のサポートを得ながら常に明るくポジティブに仕事をしていく姿勢が大事です。
第2の創業と位置付けている「モバイルブロードバンドの強化」、「スマートフォン戦略」を加速させ、「成長戦略2015」を成し遂げ、イー・モバイルをメインストリームキャリアに成長させることが当面の目標です。あらゆる人々が普段の生活の中で、どこでも・常に、高速通信サービスでつながっている、そんな新しい時代の扉を開き、日本を世界一のモバイルブロードバンド先進国にする事が当社の使命であり、自分自身の夢であります。
COMPANY
会社概要
企業名 | イー・アクセス株式会社 |
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所在地 | 東京都港区虎ノ門2-10-1 虎ノ門ツインビルディング |
業種 | 情報通信 - 通信 |
設立 | 1999年 |
資本金 | 185億円(2012年6月現在) |
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従業員 | 1,265名(2012年6月現在) |
事業内容 | ブロードバンドIP通信サービス |
URL | http://www.eaccess.net/ |