KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

株式会社群馬建水
宮沢 勝富士

自分で選んだ仕事ではなくても

大きくなったら何になりたい?学校を卒業したらどうしよう?キャリアを積んで将来はこうなりたい。いつだって誰だって未来を想い描く。多くの人にとって、どんなに自分がいる職場やしている仕事が嫌であっても、それは自分が選んだことで、仕事が自分を選ぶなんてことは無い。賢者の中には多くのファミリービジネスの継承者がいる。やりたかったか、やりたくなかったではなく「やらなくてはならない」という立場で仕事に向き合い乗り越えた後に見えるものとは?

SHARE

PROFILE

賢者プロフィール

氏名 宮沢 勝富士
会社名 株式会社群馬建水
出身地 群馬県
出生年 1976年
こだわり keep my pace
趣味 旅行、観戦、鑑賞
特技 ものまね、暗算
休日の過ごし方 読書、スポーツ
座右の銘 有言実行
心に残る本 小山 昇氏 著書
尊敬できる人 社員
現在の仕事の魅力と苦労 東日本を短期間で様々な現場に行けることができ色々な出会いや発見が多々あることが魅力です。苦労は仕事が楽しいのであまり感じたことはありません。
日本を背負う若者へのメッセージ 建設業界でもまだまだ発掘の出来ていない様々な部分で可能性があると思います。是非とも野心を持って努力と挑戦の精神で共に頑張りましょう。「失敗なくして成功なし!」です。

HISTORY

賢者ヒストリー

  • 幼少~学生時代

    幼少期から中学校2年生くらいまではとにかく「お金持ちのお坊ちゃん」の典型例だったと思います。わがまま贅沢で育てられ、言えば何でも買ってもらえました。それだけに思春期を迎えても特に反抗期みたいなものもなく、自分で言うのも何ですが、とても真面目で勤勉な良い息子だったと思います。小学校中学校と野球をやっておりまして、学校以外は学習塾との文武両道に生活を送っておりました。高校進学の時期に特に進路の指南役もいなかったせいか、周囲は普通高校へ行く友人が大勢なのに、家業を理由に何となく商業高校へ進学することになったのは当時の担任の先生の推薦があったからでした。高校に入り、当時バンドブームもあり、中学の友人らでユニコーンメインのコピーバンドを形成しちょっとしたライブもやったりしてました。部活はスクールウオーズの影響でラグビー部に入部しましたが、監督とそりが合わず1年で辞めました。

  • 社会人時代

    高校3年生のとき、私は卒業後半強制的に家業を継がなくてはならなくなってしまいました。担任の先生からの経営・経済系の大学進学や、同業種系の社会勉強目的の就職といった進路提案に応じることができませんでした。就業後は、祖父と共に営業というか挨拶回りみたいな形で振り回されました。茶髪にパーマにピアスといったスタイルでお客さんもさぞかし驚いたでしょうね。しかも家業のことは名前だけで仕事内容は全く無関心でしたので初出勤した日から仕事の流れがある程度把握するまでは驚きの連続でした。外仕事なので夏暑く冬寒いし朝が早いため今までお坊ちゃん生活で生きてきた自分がこういう現場作業員、いわゆる職人になるなんて想定外でした。私生活では、高校時代にガソリンスタンドで2年間コツコツアルバイトで貯めたお金で、就業後すぐにホンダのレジェンドを中古で購入しましたが、2か月もたずに高速道路で居眠り運転をし廃車にしてしまい通行止めにまでしてしまいました。あんなに大きな事故でよく死ななかったなと今でも思います。友人らからもレジェンドだけに伝説を作ったなと今でも酒の席で言われてます。

  • 起業のきっかけ

    私は建前上は3代目ですが事実上はほぼ2代目です。社長就任のきっかけというよりは祖父が他界してからはほぼ一人で全ての業務をやっておりました。父は精神疾患を患っていたせいもあり、入退院を長年繰り返しておりましたので、社長として会社を経営していくのは誰がみても不可能でした。つまりは、ならざるをえなかったというほうがベターかもしれません。今だから言えますが、両親を後回しに自分の人生を優先し、あこがれていた競艇選手やオートレーサーの試験も受けましたし、他への転職も考えた時期も多くありましたが、最終的に身内を見捨てることができませんでした。

  • 起業当初

    祖父が他界すると、祖父のときにいた社員らが徐々にやめていきました。簡単に言えば、「先のない会社に人生は預けられないよ」といったところでしょうか。祖父の指示には従事できるが精神疾患のある父親や若造の私の指示は不安が多すぎて、「このまま続けられないよ」ということだと思います。結局その父と2人だけの会社になってしまいました。そのときは受注していた仕事が消化できなくなる恐れがあることが一番大変でした。同業の仲間もいなかったせいもあり、その仕事を断るしかないと思いましたが、若かったので昼夜で作業し、なんとか乗り越えることができました。仕事を断るのが嫌いなんです。断ることは誰にでもできるから。最近の苦労話は会社所有の車を1年で6台廃車になってしまったことですね。みんなボロ車ですが明らかに管理の怠慢だと思い、「連帯責任だ!」ということでスタッフ全員の給料を5%~10%カットしたら、モチベーション低下と辞める人間が続出してしまいました。なので半年でカットをやめ、カットした分結局全額返金しました。

  • 今後の目標

    現場に出ることを地道に続けるうちに人も増えて、気がつくと年商が1億円に達していました。当時は、できるわけないという目で見られてましたが、おかげさまで何とか達成でき有言実行できました。その後、3億円、5億円と順調に伸び続け、今期は10億円を超える予定です。社員たちの技術を底上げできれば、会社としても間口が広がって、より多くのチャンスが転がり込んで来るはずです。これからも現状に満足する事なく、成長し続ける企業でありたいですね。

COMPANY

会社概要

企業名 株式会社群馬建水
所在地 群馬県佐波郡玉村町樋越799-7
業種 建設
設立 1972年
資本金 1000万円(2013年9月現在)
従業員 22名(2013年9月現在)
事業内容 建設業、防水工事業、塗装工事業、防触工事業
URL http://www.ken-sui.jp/
{

RELATED MOVIES

関連動画